2005年 今週の意見 9月
今週の意見(437):
政治活動と選挙運動
「総務省選挙部は2日、選挙期間中のホームページ(HP)の開設・書き換えが
公職選挙法に違反するとの解釈に変更はないとの見解をまとめ、民主党に文書で提
示した。
また、総務省は同日、民主党の指摘を受け、一部のHPを更新していた自民党に
対しても、「公選法に抵触する恐れが強い」と連絡した。
民主党は8月30日に岡田代表の第一声などを党のHPに載せ、総務省から「許
可された文書・図画以外の頒布を禁じた公選法に抵触する恐れが強い」との指摘を
受けていた。 これに対し、同党は「選挙関係の記事は4月の衆院統一補選の際も
掲載したが、指摘・指導はなかった」と反論し、1日に公選法の解釈を問う公開質
問状を同省に出していた。」 読売新聞 9月3日
これを受けて民主党は自民党も公示後そのHPを改訂していることを指摘したが
総務省はそれも選挙法に違反する可能性が高いと返答したそうだ。
この問題は今に始まったことでない。先進国のほとんどがインターネットを選挙
活動に利用することについては認めているのになぜ日本がそれを認めないのか、と
いう批判はずっとあった。選挙中もHPやBLOGでその政策や主義主張を書くこ
とのどこがいけないのかということだ。
私は個人的にこの法律があることは知っていたが、それは立候補者や、政党に関
わることで、それに直接関係ない団体ましてや個人についてはなんら関係ないもの
だと考えていた。だから過去選挙中もHPやBLOGなどで、特定の候補者につい
てうんぬんすることはなくても、政党の政策に関してはそれぞれさまざまな批判、
批評を書いてきたのだった。
いや、それは思いちがいで、我々個人についても同じ制限が加えられている、公
示後から選挙が終わるまで、HPやBLOGでそうした記事を書くことはやめてお
いた方がいいと、指摘されたのは、MLの仲間、渡部 陽氏だった。私もはじめて
認識を新たにしたのだった。だから今回からその注意をすることにしたのだ。
しかし、大きな疑問が残っている。公職選挙法では、インターネットを選挙活動
に利用することは禁じているが、政治活動についてはかまわないということについ
てである。それは一体どういうことだろうか。
例えば、HPやBLOGで自衛隊のイラク派兵に反対だと書いたとする。それは
選挙が公示されるまでもずっと書いてきたことだ。またそれは憲法9条に関わるこ
とであり、その改訂についても反対だと仮に書いてきたとする。例えばそのことも
選挙が始まったとたん一切書いてはいけないことになるのか、である。
いや、そうなるのであろう。だってそれは今の選挙戦の一つの政策論争にもなっ
ていることなのだ。どの党がそれに反対、賛成かも明確になっている。
しかしそれをしてはいけないというのはおかしい話である。選挙と名目のもと、
憲法で保証されている言論の自由を制限することになっているのはないか。いや
HPでやってはいけないだけで公職選挙法で認められた手段方法ならいいという
論理はきわめておかしいのである。
2005/9/3
早勢 直
今週の意見(438):
無党派層
いよいよ明日は衆議院総選挙投票日である。私はいつも夜半過ぎに始まる開票結
果をテレビで、決着のつく深夜まで見ているのが常である。今回の選挙ではどうや
ら自民党が圧勝するというのが多くの新聞報道の予想である。ただ、同時にそれは
また投票行動を決めていない無党派層の投票いかんによっては大きく変わる可能性
もある。
今の私の関心は、不利と報道されている民主党がその最後の瞬間無党派層の投票
行動でどれくらい自民党に追いつけるかどうかの一事である。
無党派層と無関心層とは違う。今回の選挙は有権者の関心が高く、投票率は5ポ
イント位は上がるのではないかというのがもっぱらの予想である。そしてその増え
る部分の中心は無党派層であり、そういう意味では投票率が上がれば上がるほど、
民主党にとって有利に働くことは間違いない。すべては投票率いかんにかかってい
るのだ。
無党派層とは一体なにか。私自身が無党派層の一人だから、それはよくわかる。
長年そうであった。どこか特定の政党に属することもなかったし、ずっと同じ党に
投票してきたこともない。これからもそうだろう。
はっきりした統計はわからないが、日本では有権者の60%はいわゆる無党派層
である。私はその事自体は日本国家の政治にとって好ましいことだと信じている。
なぜそうなのか、今それを論理的に説明できないし、するつもりもない。
私はその無党派層の一人として最近の選挙ではずっと野党に投票してきた。現在
の政治状況を見るにつけ、ここは是非一度政権交代を実現することが、日本の政治
をよりよくする最大の方法だと信じるからである。多くの有権者、特に無党派層の
有権者は、それが国民として政治をよくするための戦略的選択だと考えて欲しいの
である。
しかし、どうやら今回は残念ながらまだその戦略的選択は行われないようだ。明
日の夜は最初の2時間もテレビを見たら、深夜まで見ることもなく早々に就寝する
ことになりそうである。
2005/9/10
早勢 直
今週の意見(439):
ステレオタイプとは
自民党圧勝の総選挙の結果には驚いた。もっと驚いたのは結果を見てどう思うか
の世論調査(朝日新聞)で、55%もの人が、「驚いた」と答えたことである。そ
れは主にいつも選挙に行き、投票してきた人々の感想なのだろう。これまで選挙に
など行かなかったいわゆる無党派層の票が今回は7ポイントも増えた。驚くべき結
果をもたらしたのはその無党派層の票であったのだ。
先週の「今週の意見」では、今回はその無党派層の票が増えそうだから、自民党圧
勝の予想は多分かなりはずれるだろう、またそれを期待したいというニューアンスの
ことを書いたのだが、予想は完全に外れた。「郵政賛成か反対か」、単純明快小泉演
出劇にやんやの拍手を送ったのは、これまで選挙にあまり登場しなかったこの新手の
無党派層というより、政治的無知、無関心層だったのだ。
世の中無知、無関心ほど恐ろしいものはない。何回前の選挙だったか、時の森総理
大臣が選挙前あまり与党に有利でなさそうな風が吹いていたので、「無党派層はこの
まま眠っていてくれ」といった発言をして物議をかもしたことがある。世論はそれに
反発し、それが野党前進につながった。
これまでは選挙前与党優勢の予想が高いと、良識を持ち、バランス感覚のある無党
派層の票が動いて、いい意味でのバランスを取ってきたのが常であった。今回もそう
なるだろうと期待されたがその期待は裏切られた。
一般に日本人の発想は元々かなりステレオタイプ、画一的、固定的であると言われ
ている。その証拠の一つが政治の世界でも長らく二大政党存在の必要性が叫ばれなが
ら、一時の例外を除いてずっと自民党が政権を独占してきたのだ。独占状況がいい結
果をもたらさないことはビジネスの世界を見てもわかる。その弊害を防ぐため、あの
手、この手で法律まで作って予防策を講ずるのである。それは政治の世界だった同じ
ことであるのだが、こちらは法的措置どころか、選挙という修正手段がある。
政治の世界では政権交代があるからこそ正常な緊張関係が保たれ、必要な改革も行
われる。選挙民の厳しい目がそこにあるからだ。が、そういうわけか日本ではそれが
あまり働いていない。その理由は一にかかって、日本人の画一的、固定的、守旧的発
想にあると私はずっと思ってきた。ただし、いわゆる無党派層の中にそうではない良
識派というか、よりバランス感覚に優れた層があってそれがある意味でややもすれば
一方に偏りがちな状況を修正してきたのだと思う。
今回これまで眠っていた無党派層は同じくそうしたよりバランス感覚に優れた層だ
という想像は見事はずれた。新しく登場した無党派層とは、なんのことはない、単純
画一、固定の典型的なステレオタイプの層であったのだ。
音響の世界では、ステレオとはモノラルに対して、二つのスピーカからそれぞれ違
う音を出すことで、全体にバランスのいい音にする仕組みなのだ。それがどういうわ
けで、その意味が社会学的には、単一的、画一的というような意味になるのか、改め
て疑問にもったのである。音響の世界では今はステレオどころか5.1チャンネルの
時代である前面、横面、背後からも音を出すことで、すばらしい音響効果が生まれる。
政治の世界でも同じことが言えるのかもしれない。
数多くの指摘があるように今回の選挙結果はどう見ても、日本の政治にとっていい
ことでない。いくらでかくて、強力でもも、ただ一方からだけ音が出てくるような仕
組みがトータルに優れた効果を出せるわけがないのだ。
2007/9/17
早勢 直
今週の意見(440):
参議院の存在意義
正確には覚えていないが、「茶坊主を ほん訳すれば チルドレン」というよう
な川柳が新聞に載っていた。今週の私の一句は、「信念も 誇りも捨てた 参議院」
である。頼まれて町のスーパーの店主が比例区リストを埋めるためにと、気楽に立
候補したらいきなり当選してしまった。自民党圧勝劇のかげで数多くのそうした即
席議員が誕生した。いやはや国会議員という選良なんてそんなものだから、日本と
いう国の民主主義もまさに絶望的状況である。
もっとひどいのは、参議院で郵政民営化法案に反対票を投じた議員たちである。
かれらは法案そのものに政治的信念をもって反対したはずだ。ところが総選挙がま
だ終わっていない段階から自民党圧勝を読んだ鴻池とかいう議員は法案には賛成だ
と変節した。選挙が終わってから中曽根議員など派閥議員はまとめて10人ほど法
案賛成を表明するのだから、驚きかつ落胆した。
かれらの大義名分はそれが民意だからという。もともと参議院で否決されたから
民意を聞いてみたいと衆議院を解散したこと自体がおかしいのである。衆議院では
法案は可決された。それが民意だった。参議院は否決した。それは参議院としても
う一つの民意だったはずだ。小泉首唱はその民意は違うという。そんなはずはない。
そうか、それは古い民意であって、最新の民意に従うのが当然だという論理か。
それではどうして二院制など必要なのか。衆議院一つだけでいいのではないか。ど
っちであろうと時の政権にとって都合が悪い決定を議会が出したらその都度衆議院
を解散して民意を問えばいいのである。
郵政民営化法案などもともとどうでもよかったのである。そんなものさっさと通
したければ通したらいい。本国会では憲法の根本に帰って、先の解散総選挙の妥当
性が問われなければならないのはないか。少なくとも参議院でそういう論議が起こ
ってしかるべきだ。もしそれが妥当だというのなら、参議院の存在そのものの意義
について大議論を展開してもらいたいものだ。
ただしこのことは残念ながら与党からはもちろん野党からも参議院無用論など出
てくるわけがない。議員というものそのものそれ自体大きな既得権であり、彼ら国
会議員がそんな議論を始めるわけがないのである。
しかし大きな世論としてそのことについて今大きな議論を起こすべき時だと思う。
極めて根本的な憲法論議でもあるはずだ。
2005/9/24
早勢 直
ホームページへ