今週の意見 −10月
今週の意見 (33):
無謀なる解散
9月27日衆議院が解散された。野党はもちろん、社民党、さきがけなど与党
内からも、国会冒頭で、内閣総理大臣の施政方針演説を行った上で解散すべきだ
という声があったが、これを無視しての解散である。特に社民党や新党さきがけ
の連立与党内部からのそうした意見に対し、解散は内閣総理大臣の専権事項であ
るからまかせて欲しいとの首相の考えで、冒頭解散が決まったとのこと、まこと
におかしな、そして無謀なそして無法な解散権の行使であると言わざるをえない。
前の総選挙から内閣が細川、羽田、村山、そして橋本政権と変わり、与野党の
組み合わせも変わった事情もあって、解散自体はこの際、国民の審判をあおぐた
めにも是非必要であり、むしろ時期としては遅きに失したと言っていいくらいで
あろう。しかし、解散のための国会召集だと言っても、現橋本政権の政策、それ
について与野党からの意見、争点を明らかにせず、施政方針演説もそれに対する
質疑応答もなく、いきなり解散というのは、一体いかなる考えなのであろうか。
いうまでもなく今日政治課題は山積している。住専処理問題、行政改革、消費
税率のアップ、沖縄をはじめとする基地問題、老人介護制度の問題、などなど、
である。これらはいずれも国の今後の政治、国民の生活を左右する重要問題であ
る。それぞれの問題について、政府自民党の考え、連立与党としての考え、そし
て野党の考え、政策方針、それらの政策課題についてそれぞれの各党の方針、考
えを具体的に国民の前に明らかにして、選挙に臨むことは民主政治の当然のプロ
セスである。
国民の審判をあおぐべく、それらの政策課題について各党の争点は明らかにな
ったのか。答えはノーである。特にこれから国民の生活に重要な関わりを持つ消
費税率の3%から5%へのアップという問題について、連立与党はそれを決めな
がら、その後自民党、社民党、さきがけ党などの与党内部での意見方針の相違は
一体何なのか。特に社民党のそれはひどい。新進党もこれについて凍結を主張し
ているが、それについても過去のいきさつから言って今一つ不明確な点が多い。
今回の解散はこうした重要問題の争点を隠して、これをうやむやにしたまま第
一党の優位な立場で、新しい小選挙区制の選挙制度を利用して、これに勝ってし
まおうという自民党の戦略であることは明らかである。また選挙前にあたふたと
できた民主党に、社民党やさきがけ党からまたさき状況で参加者が加わるという
状況を見ていると、要するに政策などどうでもよく、いわゆる風とムードだけで
選挙を戦おうとする姿勢なのである。こんないいかげんな政治家の存在を国民は
このまま許しておくのか。
当たり前のことだが、今度こそ国民はそれぞれの選挙区において、政策中心に
それぞれの党と候補者本人の政策を判断し、それを中心に選ぶべきであり、決し
て風に流され、ムードに流された選択を行ってはならないことを肝に命じるべき
である。
1996/10/5
Tadashi HAYASE
今週の意見(34):
もっとスポーツを
10月10日、体育の日。1964年に東京オリンピックが開かれたのを記念
してできた祝祭日である。1964年と言えばもう32年前。日本が太平洋戦争
で破れ、敗戦の廃墟から立ち直り、ようやく本格的な経済復興を成し遂げつつあ
る、その後の高度経済成長の黎明期であった。東京・大阪間に新幹線が、そして
東京に高速道路が建設されたのもこの時であった。私がはじめて米国に渡ったの
が、オリンピックの前の年の1963年8月。新幹線などもちろんまだなかった
し、東京都内から羽田空港へは蒲田からバスで行ったものである。そして帰国し
たのが2年後の1965年の8月であった。その時は羽田から都内のホテルまで
高速道路、そして東京から大阪への帰郷は新幹線。隔世の感を抱いたものである。
ここではオリンピックの思い出話をしようとするのではない。体育の日の話。
体育の日は言うまでもなく、国民が皆なんらかの体育、スポーツを積極的に行い、
これを楽しみ、そして自らの健康増進に役立てよう、国民全体の健康づくりをや
ろうという趣旨である。その趣旨は大変結構だ。が、果たしてスポーツ振興の現
状はどうなのだろう。私の周辺を見回しても、毎日の生活の中でスポーツを定期
的に行っている人は意外に少ないようだ。毎週1度はゴルフをやっているとか、
テニスをやっているとか、ジョギングをやっているなどという人は5人に一人も
いるのだろうか。もっと少ないかもしれない。
テレビを見ているとスポーツ番組がさかんである。野球、サッカー、ゴルフな
ど。しかし、スポーツはただ見るものではない。自らやってみてはじめてそのお
もしろさも、楽しさも、そして健康づくりにも役立つものだ。週末ゴルフのテレ
ビ中継などが多いが、私はあんなものを見ていてどこがおもしろいのかわからな
い。単なる暇つぶしにもならない。
幸い私の場合、週末にはほとんど土日、テニスを楽しんでいるが、そのおかげ
と言っていいのだろう、極めて健康である。食べ物はなんでもおいしく、アルコ
ールもほどほどに楽しみ、体重もほぼ理想的なレベルを保っている。かぜをひく
こともめったにない。それもこれもテニスのおかげであること、スポーツのおか
げであることはいうまでもない。テニスなどそんなスそんな経済的余裕がない、
時間がないという人も多いだろう。たしかに私の場合それは恵まれているが、し
かし果たしてそれだけの問題だろうか。
以前この「今週の意見」でも日本のスポーツ公共施設の乏しさを指摘したこと
がある。欧米先進国に比べてのそうした施設がまだまだ貧しいことはそうだ。し
かし、仮にそうであったとしても、それは心がけしだい。毎週週末に数時間なん
らかのスポーツをやることは可能のはずだ。ジョギング、山歩き、水泳などなど
お金のかからないものもある。別にテニス、ゴルフとは言わない。
総選挙。高齢化社会を迎えて老人介護制度のことが選挙の一つの政策争点にな
っている。それはもちろん大切なことだが、もっと積極的にこれからは高齢者も
体を動かし、スポーツを行い積極的に健康づくりをすることが大切なのではない
だろうか。生涯教育、生涯学習という言葉があるが、生涯スポーツを楽しめるよ
うな環境づくり、考え方をもつことがこれからますます大切になるのではないだ
ろうか。インターネットなどでもハーチャルの世界が大流行だが、スポーツだけ
は実体験、実行以外にはあまり意味のない世界である。
1996/10/12
Tadashi HAYASE
今週の意見(35):
この頃の読書
せっかく静かな休日、本でも読みながら昼寝を楽しもうと思っているのに総選
挙で街を走る車の騒音でじゃまされる。秋のひざしをあびながら、畳の部屋に寝
転がって好きな雑誌や、枕元に積んであるが、いっこうに読まない本に手をのば
しぱらぱらとめくるうちに、おもしろくなって一気に読んでしまうこともある。
私の読書スタイルはきわめていい加減。これとこれを読もうと机に向かい、線で
も引きながら一字一句読んでいくのが読書の本格派なのだろう。私の父がそうで
あった。書斎に文芸春秋とか中央口論、世界などといった月刊誌、それに専門の
教育関係の本などがいつも数冊机の上にあって、それに赤鉛筆で線をいれながら
読んでいた姿を思い出す。
読書の習慣など誰も教えてくれない。父の読書姿を見て読書習慣など全くない
子供の私にも大変いい読書の教育になったようである。中学生の頃から、それに
高校生、そして大学生になってからはなおさら、文芸春秋や中央公論などおもし
ろそうな記事を拾い読みするくせがついたことは大変よかったと思う。中央公論
など最近はみかけなくなったが、おかげで文芸春秋などは今でも毎月必ず本屋に
立ち寄って買うのが一つの習慣となった。今雑誌では文芸春秋のほかはパソコン
の雑誌を定期的に買う。もっともパソコン誌はともかく、文芸春秋など、買って
もほとんど読まず、つんでおくだけということもが結構ある。読書の時間が少な
くなったのは、やはりテレビだの、パソコンだのに時間をとられることが多くな
ったからだろう。特にパソコン通信をやるようになってから読書そのものに費や
す時間はうんと少なくなったようである。
だから文芸春秋など雑誌のほか、話題の本を買っておいてもほとんど読まない
まま、次の月のものを買ったり、別の新刊書を買うことも多い。情報入手源がテ
レビ・ラジオ・新聞、それにパソコン通信やインターネットなど幅広くなって月
刊誌や週間誌、それに一般の出版本などの情報源としての価値そのものが大きく
変わってしまった。週間誌などは散髪屋や歯医者での待ち時間でぱらぱらと見る
位。月刊誌は以前からの習慣でで文芸春秋をを買う位。あとはすべての情報はテ
レビ・新聞・パソコン通信、インターネットで得られるようになった。本や雑誌
に触れる時間は以前に比べ機会うんと減ったし、その読み方、情報源としての使
い方も変わってしまった。本を読んで自己啓発するより、パソコン通信の電子会
議やフォーラムに参加して意見交換をしたり情報を集めたりした方が効率的だし
役に立つている。パソコン通信では、その本や原稿を書いた人とインターアクテ
イブなやりとりすら可能である。本では絶対にそれはできない。そういう意味で
もマルチメデイアの時代を迎えて、本のこれまで果たしてきた重要な役割がだん
だん失われていくのかもしれない。
しかし、本屋へいくと相変わらず新刊書が山とつまれ、雑誌が山ほど出ている。
人々も、それに私自身本屋に出入りする回数は増えこそすれ、別に減ってはいな
いようである。本はまだまだその本来の魅力を失っていないようだ。また失って
欲しくない。読もうと読むまいと枕元には何冊も雑誌や本をおいておかないと安
心して眠れにつけないという習性だけは、相変わらずだし、私はそれでいいのだ
と思っている。第一パソコン通信のフォーラムで意見交換をできるのは、これま
で読書習慣で身につけた、思考力のおかげであることは明らかであるからだ。
1996/10/19
Tadashi HAYASE
今週の意見(36):
国民不信
総選挙が終わった。マスコミの事前予想通り、自民党の勝利に終わった。それ
がいいとか悪いとかは今回コメントするつもりはない。問題は選挙の投票率。
59.62%と戦後最低。これが日本の今後の政治、いや日本の国の将来を占う上での
大問題だと思う。
今度の選挙は日本にとって、日本の国民にとって、国の今後の政治のあり方を
決めるきわめて大切な選挙であったはずだ。240兆に膨らんだ財政赤字を一体
どうして解消していくのか。それを先送りばかりしておられないことは自明のこ
とである。そのための消費税率の5%への引き上げや、行政改革が大きな選挙争点
になったはずだ。各党が何をどう主張したかはあらためてここで論じるつもりは
ない。それは私に言わせれば具体性実現性にさまざまな疑問があったもののそれ
ぞれある程度論議されたと思う。争点がわからないという言い分は勉強不足の一
語につきると思う。それなのに、それが今後の日本の進路や、我々の生活と直結
する問題であるにも関わらず、その方向を決めるための選挙への関心が低いいの
はどういうことだろうか。
もう政治は信頼できない、どうにでもしてくれというあきらめの気持ちが棄権
者の中にあることは間違いない。今までもそうであったから。公約なんて守られ
たことはないし・・。しかし、そんなあきらめからは政治は絶対よくならず、我
々国民の生活も改善されることはないのである。
あきらめとともに、一番の問題は、自分の現状の生活さえなんとかなっていれ
ば、それでいいという、超保守主義の生活態度、人生観である。まあどうせそん
なに自分の生活が大きく変わることはないだろうし、期待もできない。せっかく
手にいれた現状の安定した生活さええられたらいいという考え。彼らは実はそれ
が大間違いだということに気づいていない。その生活自体すでに砂上の楼閣であ
ること。このままだと国の財政の大赤字は自分の子供、孫の時代にそのまま引き
継れること。その時生活の困難に直面するのはほかあろう、自分の子供や孫なの
であることから目をそむけているのである。決して自分さえよければいい、今さ
えよければいい、ではすまないのである。一体何を考えているのか。
アメリカの大統領選挙がまもなくあるが、投票率はおそらく70%を越える。
日本の投票率が低いのは先進国の証拠であるなどという評論家がいるが、とんで
もない話。投票すべきだとは思っているが、投票する政党や人がないからという
理由で投票にいかないのはまだ許せる。
問題は自分さえよければ、今さえ、よければ人のことなど、ましてや国のこと
など知らぬといういうミーイズム。投票率の低さはあきらかにそうしたミーイズ
ムの現れである。こんな意識の国民の多い国のどこが先進国家で、民主国家で、
文化国家なのであろうか。なにかというと政治不信、マスコミ不信をいう前に自
分たちが国民として、市民として、そしてなによりも人間としてのあり方、生き
方がいまこそ問われているのである。
1996/10/26
Tadashi HAYASE
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