1997年 今週の意見 −10月
今週の意見(37)
まだ続くバブル
野村証券の総会屋への利益供与事件が発覚した時、果たしてこれは野村だけ
の問題だろうかと思っていたが、案の定残り3大証券もその程度の差こそあれ
同じような不正を働いていたことが明らかになった。日本の経済、資本市場を
動かしてきた4大証券がこうした事件に関わっていたことは極めて嘆かわしい
ことである。
銀行関係でも第一勧業銀行の利益供与事件があるが、その他銀行にも同じよ
うなことが出てくる可能性は否定できない。こうした日本を代表する金融業界
の代表的企業の不祥事は金融ビッグバンを控えて、日本の経済基盤そのものを
揺るがすことになりかねないことを憂慮するものである。時あたかも株式市場
は低迷し、景気回復も遅々として進まないのはこうした不祥事が消費者、国民
の日本経済への不信感につながる一つの要因となっていることは間違いない。
株式市場こそ市場経済の象徴的存在であり、自由競争、競争原理のお手本と
もなるべきものであり、そのはずであった。が、総会屋への利益供与といい、
野村証券事件で明らかになった一部株主の特別口座の存在など、市場原理、自
由競争どころか、市場での独占的地位を利用して一部株主への損失補填や、さ
まざまな便宜の供与など、やってはならぬことをやってきた事実があきらかに
なって一般消費者、顧客の信頼を大きく失ってしまったのは当然のことである。
私自身、少ない収入から将来に備えての貯蓄は殆ど郵便貯金や、銀行の定期
預金を中心にやってきた。サラリーマンなどの間でも人気のあった株式投資な
ど殆どしたことはなかった。が、証券会社に勤務する友人のすすめもあって7、
8年ほど前、つまりバブルの最盛期であるが、証券投資を少し試してみたこと
がある。それを始めたとたん毎日のように営業マンから電話がかかってきて、
これを買え、あれを買え、絶対儲かるからとやかましく迫ってくる。最初はそ
れでもまじめに対応しているが、そのうちに確かに適当に儲けさせてくれるし
段々と営業マンのいいなりになってしまった。ある時、電話がかかってきて、
来週上場する某自動車会社の株を割り当てるから買えということ。本来抽選か
なにかでしか買えないものを特別割り当てるから、という話。まあそれならと
何百株だか買ったのだが、それで一晩で50万円ばかり儲かった。こんなうま
い話はないものだと思ったわけだ。
が、やはりそんなうまい話はそれでおしまい。次にすすめられて買ったワラ
ント債なるものが結局バブルの崩壊とともに200万円の購入価格があっとい
う間にゼロになってしまったわけである。私の場合証券投資の損はそんなとこ
ろで済んだわけで、それはいい教訓代であったと今でも思っている。特別割り
当てなどということ自体、考えてみればおかしいし、そんな話に乗って欲をか
いた方が悪いと今は思っている。ただ納得できないのは証券会社が顧客によっ
てはそうした損失の補填をしているケースがあるということ、こうした不正な
損失補填のケースがまだまだ沢山あるだろうということである。
金融ビッグバンを控えて、証券業界のそうした不正な取り引きが徹底的に質
され、その取り引きの透明性が高まることが望まれる。これが徹底的に進まな
いない限り株式市場へ消費者は返ってこないし、市場への信頼回復はなく、株
式市場は相変わらず低迷を続けるであろう。
1997/10/4
Tadashi HAYASE
今週の意見(38)
新学力テスト
文部省は9月29日、1994−96年に全国の公立小中学校で実施した
「新学力テスト」の結果を発表した。全国規模の調査は1982−84年
以来12年ぶりとのこと。その詳細についてはここではふれない。
数学、国語、理科、社会などの各教科についていえることは、いわゆる知
識、計算能力などは着実に身についているものの、自分で問題を考え、それ
を表現する能力がきわめて劣っているということである。文部省では現行の
指導要領では知識量ではなく、自分で考え、それを表現する力を重視する
「新学力観」を打ち出していた。にも関わらずその方針が現場に十分浸透し
ていないということなのであろう。
その問題は今に始まったことではない。そもそも学校教育をそのような知
識偏重型に導いたのは、高校入試、大学入試に代表される試験中心の入学選
抜制度であることは言うまでもない。義務教育の学校ではそのためにとにか
く知識をつめこみ、親はそれでも足りないからと、子供を塾に通わせるので
ある。そのような教育制度を作ったのはそもそも誰か。全て文部省の責任と
は言わないが、文部省に大きな責任があることはいうまでもない。
文部省が打ち出している「新学力観」がまちがっているとは言わない。私
も21世紀の教育は知識偏重ではなく、思考力、創造力、そして表現力をつ
けるための初等中等教育を行うべきだと思う。それをどうするか、どのよう
にやるか。今回の文部省の発表では問題指摘があるだけで特に具体的な提言
や方針はない。それは言うがやすく難しい問題である。
この問題と関連してかどうかわからないが、中教審であったか中学でデベ
イトを授業に取り入れるというニュースがあった。アメリカの学校などで行わ
れているものからヒントを得たのだろう。たしかにそれは子供に自分で考え
自分で意見をまとめ、発表するという能力をつけるための非常にいい方法だ
と思う。
思考力をつけさせるための私の具体的提案を一つ。それは子供達にパソコ
ン通信をやらせたり、それぞれのクラス単位でもいいからホームページを作
らせたりしたらどうかと思う。パソコン通信を通じて日本中のいや世界中の
人と交流したり意見交換をするのである。クラス単位でホームページを作り、
作文、音楽、絵などの作品を世界に向かって発表するわけだ。こんなすばら
しく効果の高い方法はほかにないと思うがいかがであろうか。
1997/10/11
Tadashi HAYASE
今週の意見(39)
電子メールは文書にあらず
以前今週の意見で、自治体の情報公開について意見を述べた。自治体の仕事
に関する公文書はすべて市民に公開すべきものであることは当然のことであり、
今や日本のみならず民主主義国家では常識となっている。ところがこれについ
て10月6日の朝日新聞におもしろい記事が載っていた。各自治体でも業務効
率改善のため電子メールが導入されているケースが増えているが、さまざまな
公文書の中でも電子メールは「公文書でない」とし、そうした条例を作っている
ところがあるとのこと。
その結果電子メールはいわゆる情報公開の範疇からはずそうという動きが多
いそうである。情報公開を求める市民団体がこのことに異論を唱え、電子メー
ルも同じように必要に応じて公開することを求めているのは当然のことだと考
える。電子メールは文書と違い、ハードデイスクなど記録媒体に残っているわ
けだが、どうしてそれは公開しないということなのか、全くその意味がわから
ない。電子メールなどの中には公開にたえないような、内容が残っていてそれ
を公開するのはまずいということなのか。それは文書とて同じだが、文書の場
合は後からいくらでも改ざんしたり、書き換えたり、処分できるが、電子メー
ルなどの場合、記録が実に正確に残ってしまうので、それが難しいからという
理由だろうかと、勘繰りたくなる。
企業などの電子メールや電子会議の記録は全くプライベートなものであり
これは公開したり、それを強制したりするいわれはない。それが法律に触れる
ものであったりする場合はその限りではないが。が、それが国といい、地方
自治体といい、本来市民が知る権利のあるものは電子媒体のものであろうと何
であろうと当然公開すべきである。もちろん個人のプライバシーなどに関わる
もので公開してはいけないものも多々あるだろう。それはそれこそ法律や条例
ではっきり決めたらいいことである。
が同じ情報公開の対象になっているもので、片方は文書だから公開し、片方
は電子データだから公開しないという理由は全くおかしい。米国などではすで
に電子媒体でやりとりされる情報も公開対象となっている。
情報公開こそが民主主義政治を推進させる原点であり、しかもそうした情報
公開が電子メールなど電子媒体の導入によって促進されるという側面を考えれ
ば、「電子メールは公開しない」などという自治体条例は全くおかしい、憲法違
反であるとすらいわざるをえないのである。
1997/10/18
Tadashi HAYASE
今週の意見(40):
郵政3事業の民営化
郵政3事業の民営化をめぐって政局がゆれている。小泉厚生大臣は橋本総理
に当初の郵政3事業の民営化の方針を貫徹するよう迫り、それが聞き入れられ
ないなら閣外に去ると発言、内外に波紋を投げかけた。
政府行政改革会議でも郵政事業は民営化の方向であった。が、いわゆる族議
員の猛反対、それに与党の社民党などの反対もあって、流れが変わり、国営維
持ということで決着がつきそうな雲行きである。
国営論が強いのは、かって国鉄が民営化されたの違って、郵便局は国民に愛
されており、世論もそれを支持しているというのが国営維持主張の根拠となっ
ている。実は私もその意見にはある程度同感であった。と言うのは昔から銀行
は大嫌い。民間事業のくせにやることなすことが極めて官僚的、形式主義それ
でいて、住専の問題で露呈したように、ずさんな経営をやってきたその体質。
たしかに町の郵便局の方がよっぽど親しみやすかった。だから預金の大半は郵
便局。生命保険もそう。養老保険に入るというと地元の局員が何度も足を運ん
で親切に説明してくれた。
大体小泉氏がなぜあそこまで郵便局を目の敵にするのか。彼は郵政事業が銀
行の商売のじゃまになっていると考えているらしいのである。だから私は氏の
いうことにが道理であってもどうも感情的にすんなり同感できないところがあ
った。
が、しかし、今は小泉氏の主張を支持したい。今やろうとしている行政改革
のためには郵政3事業の民営化は避けて通れない道だと思う。ところがこのま
まだと結局国営維持となりそうである。それでは行政改革が大きな骨ぬきにな
ることは目に見えている。郵便事業にしても、保険にしても、貯金にしても、
すでに全て郵便局の他に民間がやっている事業なのである。郵便、通信の世界
は今大きな技術革新、大きく変貌を遂げつつある。マルチメデイアの発達で。
郵便局の小包などもう利用する人は殆どいない。宅急便がそれにとって代わ
った。保険・貯蓄などそれを本来の業としている企業は山ほどある。郵便局が
今更やることではない。すべての事業は民営化して激しい競争にさらし、国民
消費者のサービス向上に利するようにすべきなのである。
折りしも金融界ではビッグバンがはじまる。保険業界もさらなる自由化にさ
らされる。運輸業界もますます競争が激しくなる。競争は国内企業に限らず世
界中の企業との競争になるのである。そんな時に国営維持とは一体何事か、そ
れこそまた世界中から規制緩和がないとか、なぜ郵便局だけに特典を与えるの
かなど非難されるのがおちである。
自民党族議員それに社民党を含めて国営維持をいうのは多分に雇用の確保と
か、既得権の維持とか言った利害が見えかくれする。それもこれも自由競争市
場で競争して生き残ることがまさに市場原理のはずである。
これはこと郵政の分野だけではない。大蔵族、農林族、建設族、厚生族、あ
らゆる族議員、それを支える官僚達の既得権を排除するのが行政改革の一つの
側面である。そうしたものをきれいさっぱり排除するための第一歩が郵政3事
業の民営化である。それができないようでは他の分野の改革もすべてできなく
なることは明らかである。これができないようなら行政改革会議など直ちに解
散、内閣総辞職である。
1997/10/25
Tadashi HAYASE
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