2007年 今週の意見 10月
今週の意見(546):
年内総選挙となるべきだ
参議院選挙で自民党大敗が決まったのが7月29日。安倍内閣総辞職があり、自民
党総裁選挙があったりして国会がやっと始まったのが月曜日。なんと3け月の政治
空白期間があったことになる。福田首相は冒頭の所信表明演説でそれを謝罪はして
いたものの、政府与党のこの長期にわたる政治空白の責任はまことに大きいものが
ある。
福田内閣が誕生したとたんその支持率が56%(読売新聞など)にも上がっ
た。いわゆるご祝儀相場だとしても、どうしてこんな無責任な政府与党内閣を世論
が支持するのか私にはわけがわからない。
それはともかく福田総理の所信演説に対する質疑応答もやっと始まった。年金問題
をはじめとして争点は山ほどあるが、一番大きな争点はなんと言ってもテロ特措法
であろう。政府与党は11月1日に期限切れとなるインド洋における多国籍軍への
給油を国際貢献の名のもとなんとしても続けたいのだ。そのため活動を給油・給水
に限った新法もこの国会に提出するようだ。
国会審議が始まる前から、米国をはじめ十数か国の駐日大使の給油継続依頼があっ
たり、国連安保理の給油活動についての謝意表明決議があったり、この活動に反対
する野党に外部から圧力を掛けてきた。国会での本格論戦が始まる前にいわば世論
形成を行ってきたともいえる。そのおかげかかって給油活動に批判が多かった世論
も賛成反対がほぼ拮抗し、場合によってはそれが逆転してきたような形勢である。
政府与党はこれを受けて、新法を提出し仮に参議院で否決されても衆議院で2/3
の賛成を得て再可決しようとしているようだ。
それに対し、民主党をはじめとする野党は絶対反対の立場を崩していない。反対の
理由はそもそも給油活動が国連決議に基づいていないということもあるが、最大の
理由はその補給が6割以上アメリカ海軍の補給艦に向けたものであり、しかもそれ
が本来のアフガンテロ対策というよりイラク戦争への流用されているという疑惑が
浮上しているからである。
その疑惑について福田首相は本会儀であいまいな回答しかしていないし、政府与党
は補給後の使用実態など各国の軍事秘密だという名目で今後とも明らかにするつも
りはないのだ。給油された油がどのように使われているかの実態が一向に明らかで
ないのだ。国民はそれを知る権利があるし、それを知らないでただ国際社会に貢献
し、感謝されているからいいのだといわれても賛成しようがないではないか。
いや、この問題は来週から始まる衆参両院での予算委員会などでの最大の争点にな
ることは目に見えている。年金問題など国民の関心の高い問題も大きな争点だが、
給油活動を何がなんでも継続したい政府与党と絶対反対の野党が真っ向からぶつか
る。そして与党はこれを衆議院の2/3の賛成で再可決するという筋書きになろう
だろうと予測される。
かっての国会勢力であればそれで済んだが、参議院で過半数を占める野党がそれを
黙ってみているわけがない。それには福田総理問責決議案で対抗する可能性が高い
し、また野党がそうする大儀名分は十分あるし、世論の支持を受けるだろう。
そうなると年内総選挙という可能性は極めて高い。多くの政治評論家は総選挙は早
くても来年春だと予想しているが、政局に関してなど全く素人の私はそのように予
測する。またそうなるのが本来の民主主義の政治のあり方ではないかと考えるので
ある。そして国民は今度こそ新の意味の政権交代をこの際実現するか、しないで現
状の政治不安定状況を継続するのかの選択を迫られることになるだろう。
2007/10/6
早勢 直
今週の意見(547):
アメリカ下院の愚かさ
『「虐殺」非難決議でトルコ、駐米大使を召還:http://www.yomiuri.co.jp/world/
news/20071012id02.htm YOMIURI ONLINE』
このニュースを読んでいて、同じく米下院の先の大戦時日本軍の従軍慰安婦につい
ての非難決議を思い出した。こちらは60年も前のこと、トルコの方は90年も前
のことだ。日本の従軍慰安婦の問題に関しては、日本政府も基本的には認めていた
ことであったし、政府筋からすでに遺憾の意すら表明していたことであった。が、
安倍首相の不注意な発言からあらためて下院が非難決議をしたといういきさつがあ
った。
それは別に強制力もなにもなく、当時日本政府もあえてそれに反論したり、反応す
ることもなく無視した形で、その後両国間の紛争の種になることもなかった。ただ
多くの日本人がこのような決議案を出されたこと自体に不快感をいただいたことは
間違いない。
米国の議会が、外国しかも同盟国についてこのような非難決議を行う意味は一体な
んなのかと考えていたわけだ。そしてこのトルコのニュース。なんとその非難の対
象が90年前オスマン帝国のことだというから恐れ入る。大量のアルメニヤ人を殺
害したという歴史的事実はたしかにあったのだろう。しかしそれは国家、地域間で
の戦争での出来事だ。それがどういういきさつでどういう内容であったのか調べて
もいないし、調べようとも思わない。それがどうしたといいたいのだ。
人類の歴史は戦争の歴史である。欧米諸国を含めて、中東、アジア、あらゆる世界
わが国を含めてこれまでの歴史に数しれない戦争があり、そこで数多くの殺し合い
が行われたのだ。いずれの側にもそれぞれ言い分があろう。が、お互い殺し殺され
たというのが戦争なのである。
オスマントルコ時代のアルメニヤ人大量殺戮にどんな背景があったのか知らない。
しかしそれについて一体目的があって今頃米国議会がそれを非難の対象にするのか
わけがわからないのだ。
トルコ政府や国民が反発するのは当り前である。彼らには彼らの言い分がある。し
かし彼らとてそれについての歴史的事実として認める部分もあるかもしれない。が
90年も前のことを外国議会に持ち出されて非難などされたらだれだって不快に思
う。
米下院の日本軍の従軍慰安婦批判決議があった時、私はBLOGに書いた記憶があ
る。アメリカ議会がそんな非難決議を出すのなら、日本議会はアメリカの広島・長
崎原爆投下非難決議で対抗すべしと。
私は今でもその主張の正当性を信じて疑わない。一部かもしれないがアメリカ人は
すべて自分達が正義で他は間違いだと考えているところがある。そんなわけがなか
ろう。米下院におけるこうした非難決議はいらぬ反米感情だけ生む以外なんの利益
もないことに気づくべきだ。
2007/10/13
早勢 直
引用:ネット記事はいずれサイトから削除されるので、一部を以下に引用しておき
ます。
「虐殺」非難決議でトルコ、駐米大使を召還
【カイロ=福島利之】米下院外交委員会が10日、20世紀初めにオスマン帝国で
起きた「アルメニア人虐殺」の非難決議案を採択したことを受け、トルコ政府は11
日、駐米トルコ大使を召還した。
大使召還は、決議案に強い不快感を示すとともに、米下院本会議での決議案採択を
けん制したものだ。決議案をめぐり、米軍によるトルコ国内の空軍基地使用などで
長年、同盟を結んできた両国関係は急速に冷え込んでいる。
トルコ外務省の報道官はAFP通信に対し、「このような決議案が採択された後に
協議のため大使を召還するのは当然のこと」と説明。大使が米国に戻る時期は未定
としている。
さらに、エルドアン首相は記者団に「本会議を前に取るべき措置がある」と言及。
首相は具体的な措置についての明言は避けたが、首相の側近はトルコのメディアに
対し、米軍がイラクやアフガニスタンへの攻撃のために使用するトルコ国内の基地
の使用制限や、米軍への燃料の提供停止も含めて検討していることを明らかにした。
(2007年10月12日13時13分 読売新聞)
今週の意見(548):
事前協議のなにが悪いか
政治資金改正法案を一本化するため、民主党がが与党と事前協議に応じることにな
ったというニュースがあった。この問題に関しては与野党の意見が段々集約、収斂
しつつあるので、事前協議に応じたというはわかる。国会審議の前にできる限りの
合意を形成しておこうということだ。それでいい。
問題はテロ特措法、いまや、新法の「補給支援法」についてなぜ民主党が事前協議
に応じないかということだ。それは民主党が求めている給油実態の報告が未だ十分
なされていないからという言い分は正当ではないかと思う。
ただ、そうはいいながら、さまざまな問題について非公式の話し合いそのものは両
方とも必要としているし、そうした非公式の話し合い、情報交換は当事者間で当然
行っているに違いない。そのこと自体なんら問題ないし大いにやったらいいことで
はないか。
事前協議に応じるとか、応じないとか、国民にとって非常にわかりにくいことだ。
一般的には民主党が話し合いに応じないというのはなぜなのかと多くの国民は疑問
を感じるに違いない。まとまるかまとまらないかは別にして、その名目はなんであ
れ国会審議の前にさまざままな話し合いをすることがなぜできないのか、やったら
いいではないのかと思うのである。それは政党間の公式の話し合いでもなんでもな
い。そうした非公式の話し合いを逆に相手にことわりなく、一方的にその内容をあ
きらかにしたりすることがあってはならない。民主党が恐れるのはそれだろう。公
式の場での発言と非公式の場の発言はしばしば混同される。
日本ではそうした事前協議のこと、プロセスのことをよく「根回し」などという言
葉で表す。が、実はそうした非公式の事前協議というのは日本ではもちろんあらゆ
る国のあらゆる場でも存在することではないのだろうか。
問題はその事前協議の中身だ。それが国民のためになること、不正なただそれぞれ
の党、一部団体のためだけになることを決めるはまさに談合であり、これは許され
ない。ところがそれが基本的に国民のためになることであれば、事前に話し合いを
することのどこが談合なのかである。
そうした話し合いのことをよく密室で行われたものなどというが、世の中どんな組
織、個人間であれそうした非公式の事前会議というものが存在するにはその必要性
があるからである。そうしたプロセスを経た上でそれをオープンの場で確認すると
いう作業があるのだ。そういう意味で事前協議ということについては民主党もあま
りにも神経質になりすぎのような感がある。
必要ないわゆる「根回し」、事前協議は国会でも大いにやったらいいと思うのだが
いかがなものか。
2007/10/20
早勢 直
今週の意見(549):
なぜ応用力がつかないか
小学校の全国学力テストが行われた。結果さまざまな問題が明らかになったかが中
でも、知識を試すテストではそこそこの成績だったが、応用力を試すテストでは正
解率が大変低かった。
日本の初等教育が知識偏重で、応用力をつけることに欠けているという指摘は従来
からあった。そして今回もそれが裏付けられた結果であった。知識つめこみでなく
応用力をつける教育が現場でもっと行われなければならない。そのためにもっと教
員の増強や、時間のゆとりが必要だという声もさかんに聞こえてくる。
果たして問題はそれだけかである。その原因が何かを考えなければならないのでは
ないか。私に言わせると日本の学校教育がゆがめられている一つの背景に、大学受
験対策がある。親もそして学校にとっても高校ではもちろんのこと、義務教育の時
から、大学入試があたかもすべての目的となってしまっているかの感がある。去年
高校の履修科目のごまかし報告が多発したのもそれが原因だった。その後そうした
問題について根本的な対策が取られた形跡はない。
本来教育とは、こどもたちに社会で生きていくための問題解決能力を養うためのも
のであるはずだ。そのベースとなる知識教育が必要なことはいうまでもないし、そ
のためのつめこみ教育も否定されるものでない。ところが受験というものが学校教
育の主要目的となっている感のある今日の学校教育では応用力とか、問題解決能力
を養うことがおろそかになるのはしかたのないことなのだ。
今回の試験でも応用力を問うための記述式の試験結果は大変悪かったようだ。これ
ではいけないと最近は入試でも記述式テスト、論文テストなど増えてはいるようだ。
ただそれは点数が正確につけにくいということもあってまだまだ主流にはなりえて
いない。どうしても○X式、選択式の試験が中心となっている。
私は近くの小学校にパソコンを教えに出かけてもう3年になるが、こどもたちと接
していて一番感じることは学ぶということに関してみな非常に受身であることだ。
何を学ぶか、何をするかということについて、いつも指示を待っている。自らやる
たいことを設定し、直面した問題に自ら考え対処し、それを解決しようという態度
の子供は殆どいない。問題を作成し、答えるようにうながせば前に進むが、そうで
ない限り自らやってみたいことを考えたり、そのためにどうするか、など考える能
力が極めて希少であるのだ。
応用力、問題解決能力なんてそう簡単に身につくものではないことはそうだろうが、
学校教育が受験偏重に偏っている限り、応用力をつける教育はなかなか実行しにくい
ということは事実であろう。
大学に入るために入学試験が必要なことはこれからもそうだろうが、その試験内容を
単なる学力テストでなく、応用力を含めたもっと総合的な人間的能力を試すようなよ
うなものに変えていくことがまずこの問題の第一歩ではないかと考える。
それにそもそもあのような形のセンター試験で公立大学の入学を決めてしまうよう
な制度を廃止することがまず教育改革の一歩ではないかと思うだ。
2007/10/27
早勢 直
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