2005年 今週の意見 10月

今週の意見(441):

首相の靖国神社参拝は違憲か

 小泉首相の靖国神社参拝が私人か公人いずれのものであり、政教分離の原則を定
めた憲法に違反するかどうか、をめぐって二つの高裁が異なる判断を下した。29
日には東京高裁が、首相の靖国参拝は私人としてのそれであり、憲法違反でないと
したのに対し、30日には大阪高裁は、それは首相という立場で行われているとし
か言えない状況であって憲法違反だとしたのだ。

 30日の国会予算委員会でも民主党からこの大阪高裁の判断をどう思うかという
質問に対し、小泉首相はいつものように、大阪高裁の判断については理解に苦しむ
としていた。野党側はこの問題については、なにしろ司法判断であることを根拠に
小泉首相の憲法違反行為について追求できる絶好の攻撃材料ができたと考えている
に違いない。こうなってくると二つの違う高裁判断をそのままにしておくわけにい
かずいずれそれは最高裁の判断を待つしかないのだろう。

 ことこの靖国神社参拝に関して、小泉首相はなんら政治的意図はなく、個人の心
情として先の戦争戦没者の慰霊をなぐさめ、二度と戦争の惨禍を繰り返すことのな
いよう誓いと立てるためと説明しているが、私はそのことはそうだろうと、それで
いいのではないかと考えてきたし、今もそうである。

 中国、韓国、今回の大阪高裁裁判の原告は台湾の人たちなのだが、A級戦犯が祭
られている靖国神社に一国の首相が参拝することに反発しているのだが、それは誤
解であるし、そうではないという小泉首相の説明についても私はそれでいいと考え
てきた。そうしたそのことを外国からとやかく言われることでないということであ
ある。それまでの国民のアンケート調査でもほぼそうした結果が出ていたと思う。

 ところが、野党、マスコミ、多くの評論家はただただ近隣諸国の感情をおもばか
って、それをやめろやめろの大合唱、私自身はそのことを非常に不愉快に思ってい
るのである。近隣諸国の感情を無視しろと言うのではない。そのことについては日
本人としては小泉首相の説明をもう少しわかってやる立場に立ってもいいのではな
いかと考える。マスコミもその立場で諸外国に説明するスタンスがあれば、もっと
その誤解を解くことに役立つのではないかと考えるのである。

 この上は最高裁判所の最後の判断を待つしかないのだろう。最高裁の判決はよほ
どのことがない限り、違憲ではないという判断が下るものと私は予想している。が
仮に、それがどっちにころんでも、相変わらずこの問題がその後も延々と尾をひい
ていくことは目に見えているのだ。

 日本人ってほんとおかしな人種であると私は思う。

2005/10/1
早勢 直
今週の意見(442):

自治会組織率の低下

 この問題は以前にとりあげたかもしれないが、大切な問題であるので再度取り上
げる。

 今国勢調査が進行中であるが、テレビニュースで、以前より調査がかなりさまざ
まな意味で難しくなっているという現状を報告していた。調査員が何度訪問しても
そこに住んでいる人になかなか会えない。隣、近所の人に聞いてもはてなお隣のこ
とはよく知らないという。まさに「秋深し、隣は何をする人ぞ」ということである。
問題は国勢調査のことでない。社会、コミュニテイというもの最小単位である隣組
が果たしてそんなことでいいのか、ということである。

 今私は自治会の仕事をしているが、昨夜金曜日の夜、この市の自治会の連合会な
るものの会議があったのででかけた。その会議は年に何度か開かれるのだが、その
中身はなんのことはない。年に数回の行事があるが、その一つ9月に行われた立川
の防災館への見学などは大変意味のあることだと思った。が、後は自治会長同士の
懇親だの観光旅行がその主な行事なのだ。今それぞれの自治会が直面する共通の問
題を論議するようなことは全くない。

 7日夜の会議は、この月末に行われる懇親旅行の日程の説明やらそれに掛かる費
用についてのことを決めただけで、なんだこんなことでわざわざ会議を開く必要も
ないのに、と思って聞いていた。が、最後に事務局の人が、ついでだが、と断って
市内の自治会の分布図を配布し、まだ自治会が結成されていないところがあり、自
治会に入りたいが、どこに入ったらいいのか、という市民からの問い合わせがよく
あるという説明があった。

 市内には30近い自治会があり、私はそれが基本的にはそれぞれその名のごとく
自主的にできたものであることは分かっていた。しかしそんな空白地域があること
は知らなかったし、市、行政側がある意味でその総合的な調整役を果たしているの
かなと思ってきたが、どうやら全くそうでないことを知って愕然としたわけだ。

 防災、防犯という目的、その他の目的のため自治会なるものは絶対必要なもので
あると理解してきたし、行政がある意味でその育成のために必要な援助、調整役を
積極的に果たしてきたと思っていたのだがどうやらそうでない。

 それにその場でも仮に自治会があったとしても今一番の問題はその組織率、存在
する世帯の自治会への加入率が極めて低く、49%位だということが指摘された。
そしてその問題はこの市の問題だけでなく、全国的な問題なのである。

 私はこうした自治連合会などでもどうしてこの問題を積極的にとりあげないのか
と質問したのだが、事務局側からも出席の役員からも、そんなことはわかっている
という発言はあったものの、それを積極的に今後連合会のテーマとして取り上げて
行こうなどという意見がなかったことを不思議に思いまた、残念に思いながら会議
を後にしたのだった。

 同じ連合でもこちらは労働組合の連合。2,3日前の新聞にその新しい会長が就
任したことを報じ、労働組合の組織率が20%台という深刻な状態だという報道が
ああった。それを読んで私は労働組合の組織率なんてたいした問題ではないと感じ
たわけである。

 こちらの問題、私は自治会組織率の全国的低下傾向は日本社会基盤の脆弱化とい
う意味で深刻な問題ではないかと考えるのである。ことは防災、防犯だけのことで
ない。自治会といい、隣組といい、またコミュニテイといい、その名はなんであれ
それは社会が社会として機能する絶対必要にして不可欠な最小単位ではないかと考
えるからである。

 さてその問題にこれからどう対処するかである。

2007/10/8
早勢 直
今週の意見(443):

ペーパーレス

 20世紀末、ネット上で「20世紀末までの人類社会における最大の発明はなん
だろう」というアンケートが行われ世界中でその結果が集計されたことがあった。
私はそれは当然テレビとか、飛行機とか、パソコンとか、インターネットという答
えになるだろうと予想していた。しかしそうではなかった。そして最大の発明とは
15世紀に発明されたグーテンベルグの印刷機という答えが圧倒的に多かったので
ある。

 その意味ははっきりしていた。それは世に情報の大量生産と、流通を可能にした
からだった。それによって宗教革命、ルネッサンス、産業革命が実現したのだ。そ
れらのことはすべてそれをベースとしていたということだ。要するに紙という情報
メデイアが今日の人類社会のあらゆる基盤を形成したと言っていいのだろう。

 コンピュータだ、パソコンだ、インターネットだ、テレビだ、航空機などが登場
するのは20世紀末のことである。それまではあらゆる分野にわたって一番重要な
情報メデイアは紙であり、紙なしでは人類社会は成り立たなかったといっても過言
ではない。

 そして人類社会は21世紀のパソコンネットワークの時代を迎えた。ペーパーレ
ス社会が叫ばれたが、人間の紙に対する執着は衰えることを全く知らない。確かに
我々現代人は新聞、雑誌など紙メデイアのほかに、パソコン、インターネット、テ
レビなど通信メデイアによる情報収集や交換を行うけれど、基本的には紙のしがら
みから逃れることができていない。逃れられないのである。

 ペーパーレスの必要性が叫ばれても紙は一向に減る気配がない。パソコンの普及
とともにそれが増える傾向にすらある。高速のプリンター、コピー機の普及がそれ
を促進している。

 事務の合理化ひいては経営の合理化という観点からもペーパーレスがもっと積極
的に進められるべきなのだ。さらにそのことは自然環境保護の問題、地球温暖化の
問題とも密接にからんでいるというも決しておおげさなことではない。

 そのことがすべてではないが、我々は一体なんのためにパソコン、インターネッ
トをやっているのか、というテーマに戻って、この言葉、ペーパーレスということ
の意味を今一度考えるべきなのではないか。21世紀はネットワークの時代なので
ある。

2005/10/15
早勢 直
今週の意見(444):

アメダス

 20日木曜日、パソコンクラブの人たちと奥多摩のハイキングにでかけた。数日
前からずっと雨が続いていたが、丁度接近していた台風も太平洋洋上北に去って朝
から快晴、絶好のハイキング日よりとなった。まだ紅葉には早かったが奥多摩渓谷
のすばらしい景観を眺め、こころも体もリフレッシュした一日となった。

 旅行ほかさまざまな行事があると当日の天気の善し悪しが気にかかるものだ。天
気が悪ければ中止となる行事もあってその予想が大変重要なのである。最近は天気
予報がよく当たるようになって、行事前の一週間くらい前から、当日の天気の様子
がチェックできるようになった。予想が当たる確率は大変高くなっていろいろな面
で大変助かるのである。

 そうした場合パソコンでYahooの天気予報をチェックしているが、アメダス
とともに表示される衛生写真の動きを見ていると、大体2日前くらいになれば素人
でも天気の概況がよくわかり、そこで示されている予想に、自分自身の判断もプラ
スできるのである。大きく日本全体の様子と、地域、それもピンポイントの場所の
予想が刻々と出てくるのが判断材料となる。二日前、前日になるとほぼ95%確実
な予想が出てくるし、自分でもそれが納得できるので、さて行事は予定通り実施す
るのかどうか迷いなく決定できる。アメダスのおかげである。

 そうした決定は個人的なことならどうということはないのだが、自治会の行事、
クラブの行事などとなると、主催者として実施か、中止かといった大切な判断を迫
られるのである。先週の日曜日も私たちの市のあちこちで運動会が開かれていたが
あいにくの雨。それでもある地区では実施、ある地区では中止の判断をしたようで
それぞれの開催責任者の決断は大変だったろうと思う。当日は相当な雨であったか
ら順延はしかたないとして、次の機会がまた雨だったらどうなるかということがか
かわってくるのだ。少々無理でも強行しなければならないこともあるのだ。

 幸いなことに私たちのピクニックは最高の天気に恵まれた。それ自体はアメダス
のおかげでもなんでもない。単なる幸運なのだ。そういう意味では人間はどこまで
行っても自然には逆らうことはできないのである。

2005/10/22
早勢 直
今週の意見(445):

ロッテの快挙

 日本シリーズはあっという間に終わってしまった。阪神フアンはさぞがっかりし
ただろうが、そうなった理由を新聞各紙が分析していた。一番大きな理由は、ロッ
テがプレイオフを緊張の中で、勝ち抜いてきたのに対し、阪神は優勝決定から試合
から長い時間離れてしまってゲーム感を失ってしまったからとする向きが多かった。

 こうした記事を読んで、それはそうだと思う面と、しかし一番肝心なことが抜け
ているのではないかと、一言書きたくなった。

 それはやはりボビー・バレンタイン監督の監督としてチームワークの引き出し方
が最高によかったということにつきるということだ。バレンタインはかってアメリ
カの野球評論家のロバート・ホワイテイングが日本の野球の批判を皮肉たっぷりに
書いた「和をもって尊しとなす」という日本式野球の実践者だったのではないか。

 バレンタイン監督ははただただその日本式の「和」を唱えただけでない。選手一
人一人の能力を信じ、一人一人のやる気を最大限に引き出したのだった。いや、岡
田監督が阪神を優勝に導いたのも同じことだったに違いない。

 二つのチームのリーグ優勝はそのことがまずベースになっていたはずだ。その後
の結果は確かに短期的な事情、スケジュールなどのめぐり合わせによるものが大き
いのは各紙新聞記者の分析通りなのだろう。

 いずれにせよ、さまざまな意味で今回のロッテの優勝は低迷する日本社会にあっ
て一つの快挙であったことは間違いない。その経済効果は実に大きい。阪神が勝て
ばもっと大きかったのだろうが、シーズン前おそらく一人としてこのことを予測し
た評論家がいなかった中での優勝だ。それはある意味で奇跡的なことに違いないの
だが、しかしそこには確かな理由が存在するということである。

 評判にもならない、名もない組織がその運営法によっては大きな力を発揮すると
いうことを実証してみせた意味は大きいのである。

2005/10/29
早勢 直
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