2003年 今週の意見 5月

今週の意見(318):

平成革命

 日曜日朝はいつも報道2001を見る。前半の北朝鮮の問題はありきたりの内容
であったが、後半の堺屋氏、稲盛氏の、今の日本の閉塞状況をどう打破するかとい
う対談はおもしろかった。

 堺屋氏の日本の政治経済のダメな状況は要するに日本が官僚支配の体制から脱し
きれないところにあるということで、小泉改革も結局なんの成果も挙げていないど
ころか、さらに官僚依存に傾斜している状況だという指摘があった。
 
 さらに日本が世界に一番最初に高齢化を迎えた今こそ、日本がこれから全世界各
国が高齢化に向かう中、その対応モデルを構築しそれを世界に向かって示す絶好の
機会であること、豊かで、知識、経験が豊富な高齢者をいかにうまく活用するか、
それが問われているし、また今それができる機会でもあるという話は好感をもって
聞くことができた。

 稲盛氏も堺屋氏と基本的に同じ考えであるが、ただ、堺屋氏の分析、問題提起は
正しいが、だからどうするという具体論が必要だとおっしゃりたかったのだろう。
たしかに問題提起だけでは何も始まらない。稲盛氏はただ黙って見ていただけでは
改革など絶対にできない。今日改革というより、江戸時代から明治維新があって日
本の近代化が進んだように社会体制の革命的転換が必要だと指摘があった。

 それがちょっと物騒なタイトルとなったゆえんであるが、まさにそのとおりだと
思ったわけだ。だからと言って、人民が蜂起して革命を起こすということではない
し、そんなことは起こるべくもない。江戸幕府終焉の時代、そうした革命の先頭に
立ったのは幕閣でもなく、地方大名でもなく、坂本竜馬などに代表される名もなき
憂国愛国の、体制になんのひもつきのない若者であった、そうした人物が今現れそ
の革命にとりくんでくれることを期待しているのだといわれたのだが・・・。

 そんな若者はどこを見渡してもいそうにもない。で、結局はどうなるのだろうど
うすれば、その平成革命が起こるのかと思いながら見ていたのだった。

2003/5/7
Tadashi HAYASE
今週の意見(319):

有事法制

 難産だった有事法制がやっと衆議院を通る見通しとなった。いろいろ問題はある
が世論調査でも国民の60%はこうした有事の場合の国家、地方自治体がそれにど
う対応するかを規定した法律は必要だと答えている。私も同じ意見である。こんな
当たり前のことがどうしてもっとさっさと国会で議論し、修正すべき点は修正し、
成立させないのか、わけがわからない。

 そうした基本的なことを規定することにも社会党や、共産党は平和憲法をたてに
それに違反するとかなんとか言って反対している。それは問題外として横において
おくとして、問題は最大野党民主党の対応である。党内にはそれこそ元社会党、元
民社党、元自民党などの議員がいるから、さまざまな賛否両論があるのはわかる。
だから与党側から反対するなら対案を出せと言われてもなかなか出せなかったのは
そうした事情があるからだ。

 いろいろ意見の違いはあっても、民主党党内でも大体一致しているのは、有事の
場合でも国民の基本的人権を守るという一札を入れろということだった。与党側は
なかなかそれに同意しなかったのだが、今国会でどうしても法案を通したいという
こともあって、最終的にどういう文案になるのかわからないが、それを入れるとい
う妥協をしたようだ。

 与党側としては、出来るだけ抽象的にそういう趣旨を入れておけばいい、いざこ
とが起こった時、それがどうなるかはわからない。有事に取るべきアクションさえ
規定しておけば法案本来の目的に適うと考えているのだろう。

 それはそうである。有事とはまさに非常事態、国民一人一人の権利だ、なんだと
いう以前に国家全体が存立の危機に遭遇する事態なのだ。はっきりしているのはそ
のような時、場合によっては個々の国民の命を含めた、あらゆる基本的人権を守る
というより、もっと大きな国家、市町村全体の安全確保を優先しなければならない
事態が想定されることだ。国民の生命そのものが危機にさらされている時に人権も
何もあったものでない。

 いかなる場合でも、国民の基本的人権を最初から無視してもいいなどと誰も言っ
ていない。それはまさに憲法によって保障されていることだ。しかしである。戦争
侵略などという非常事態に国家や、地方自治体が行動を起こす場合、それが国民・
市民の基本的人権の制限を求めたり、場合によっては守りたくても守れない、それ
に目をつぶって、より大きな国家とか、地域社会の安全保障のために行動を起こさ
なければならない事態は十分予測されるのである。

 その件で与党も歩みよるというが、それをどう表現するのかわからない。その文
言を入れることで、非常事態での必要な活動、行動が実質的に制限されることのな
いようすべきことは当然だ。

 こうしたことをあたかも国民の立場に立ってものを言っているようなスタンスの
民主党という党の欺瞞性を改めて感じたわけである。

2003/5/14
Tadashi HAYASE
今週の意見(320):

公的資金

 債務超過に陥ったりそな銀行に2兆円の公的資金が投入され、事実上国営銀行と
なる。政府は金融危機の予防策であるといい、与党も小泉内閣経済政策の失敗を指
摘する声もあるものの、やむをえない措置であるという見解では一致している。
一般国民も、自分たちの虎の子の預金が保証されるためにも、まあしかたがないか
と冷静に受け止めているようだ。

 もちろんそうだろ。私自身その銀行に定期預金を含めて、なにがしかの預金を持
っているから、ニュースを見た時、ちょっと気になったが、その措置で当面問題な
しと、一瞬考えたことは事実である。もしそうした措置がなければ、金融市場が大
混乱に陥り、経済全体が危機に瀕することは間違いない。そういう意味で公的資金
投入という措置自体を全面的に否定するものではない。

 ただ、百歩ゆづってそれはしかたのない措置であったとして、なぜそんな不良銀
行を助けなければならないのか、そんなものはつぶしてしまうべきだという声が数
多く、ここ2,3日のMLに寄せられた。私も全く同感である。

 もう何度も「今週の意見」で同じことを書いた。そもそも多くの日本の銀行がそ
うした経営危機の状況に陥っているのは、彼らの経営体質そのものの問題なのだ。
バブルがはじけたことなど、その理由でもなんでもない。他の業界の企業ならその
経営に失敗すれば、破産してしまう。それがなぜ銀行だけが助けてもらえるのか。

 甘い日本の銀行の経営体質を変えることこそが、真の目的である、構造改革の一
環であるはずだ。金融不安を防ぐため国が管理に乗りだし、破綻銀行の業務を支障
なく果たすことは必要として、破綻にいたった銀行は基本的にはつぶしてしまうと
いうことが必要ではないかという声が圧倒的に多かった。

 私はそれは暴論でもなんでもないと思う。そうしたことを通じて、銀行も市場原
理、競争原理に基づく経営体質を身につけていくのだと思うからである。りそな銀
行の経営者の言がその考えの甘さを象徴している。そうした結果になったのは、
監査法人の監査基準の変更のせいだ、などと言っているのである。あきれてものが
言えない。

2003/5/21
Tadashi HAYASE
今週の意見(321):

国立女性教育会館

 26日は朝から雨であったが、29日、30日にある埼玉県嵐山の国立女性教育
会館でやる、パソコンクラブとML合同のパソコン研修会の機器の下見に出かけた。
昨年12月初めにもやったので、マルチメデイア研修室にある機器の内容、使い方
はわかっているが、もう一度念のため確認するためであった。

 研修室には講師用のパソコンとそれを前面大きなスクリーンに写しだす装置、受
講者のデスクには液晶モニター付のパソコンが一台づつあり、しかもそれが全部イ
ンターネットにつながっているという申し分のないものだ。パソコンの研修にはも
ってこいの設備である。

 我々パソコンクラブが地元でやるクラブの勉強会などは、それぞれノートパソコ
ンを持っている人がそれを持ちこみ他の人は隣でそれを見ながら、という状況なの
である。市の持ち物として研修用のパソコンが25台ほどあるが、それは市の旧館
の25名くらいしか入らない部屋でしか使えないし、その部屋自体なかなか取れな
いのだ。

 せめて講師が話しの内容を前面のスクリーンにでも大きく写そうとしてもそうし
た投影機すら一台もないという状況である。今時PC投影機など普通の会社ならた
いてい会議で使っているものだ。PCのように個人で買えるものいいが、20万、
30万するものだからそうはいかない。

 その点この国立の施設はたいしたものだ。出来れば毎月一度でも使いたいがいか
んせん遠すぎる。講師のほうはともかく、普通の主婦が往復2半時間かけて通うこ
となど不可能である。

 いつかも書いたが、国や市の公共教育施設なんていわゆるハコものばかりである。
多くの市が生涯教育だのなんだの掛け声だけは立派だが、中身、ソフトウエアはな
いも同然である。特にわが市はひどい。あるのはせいぜい教室だけ、もう少しその
中身を充実して欲しいものだが、その改善に向かって進んでいる気配など全くない
のだ。まあそんなものをあてにしないで自分たちでできる範囲をやっていくしかな
いのであるが。

2003/5/28
Tadashi HAYASE
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