2001年 今週の意見 5月
今週の意見(215):
IT王者決定戦
5月1日夜のNHK衛生第二放送夜7:30分、「ITな生活」「IT王決定戦」
とか称した番組があったので、チャンネルを回してみた。インターネット、パソコ
ンを駆使して、さまざまな必要情報を検索したり、処理したりする能力を競うもの
なのですが。5人ほど、誰が、どういう基準で選んだのか、その筋の優れ者と称す
る人が出ていて、主催側が出すさまざまな質問、要求に応えていく。短時間でいか
に正解を出すかを競うゲームだった。
いわく、永田町何番地にある建物一階の絨毯の色は、和歌山の動物園で育ってい
るパンダの12歳の写真は、某有名作家の「さるのこしかけ」という話に出てくる
母親の最後のセリフは、最近のクールフアイブのメンバーの平均年齢は、などなど
正確に覚えてはいないが、そういう内容のことをいかに早くインターネットサイト
から探し出すか、要するにインターネットサイト検索術を競うものだった。
Yahooやgooといった検索エンジンを使っていかに早く必要な情報を得るか、とい
うことなのだが、IT王って検索エンジンの優秀な使い手のことか、と聞きたくな
ったわけだ。主催者側にタレント女優の大桃さんがいて、そうした具体的なサイト
検索の他に「人間を幸せな気持ちにしてくれるサイトを紹介せよ」という設問をし
ていたが、これはたしかに上記のような単なる特定のサイトの検索でなく、それぞ
れの目的にかなったサイトの検索ということで、おもしろかったけれど、逆になん
の選定基準もなく、ただ大桃氏の好みによる判定基準でもってそれぞれ紹介したサ
イトについて点をつけたということで、公平さ、大げさに言えば公正さに欠けると
いう側面があったようだ。
実は番組途中でチャネルを切り替えてしまい、全部の番組を見ていない。見てい
ないのにその全部について論評することはあまり好ましくはないのだが、何をもっ
て「IT王」などというわけの分かったような、分からぬようなネーミングをした
のか、と言いたいわけだ。
そもそもIT王とは何か、いやもっと言うなら、ITとは何かである。それはど
うやらインターネットの使い手ということに一番の重点があるらしいが、その使い
手というものの中身である。主に情報検索技術ということらしいが、果たしてそう
なのか。
なるほど、インタネットからの情報検索、収集はああやったらいいのか、という
ことの参考にはなったが、それ以上、大上段にふりかぶっとタイトルほどの中身は
なさそうなので早々にチャネルを切り替えてしまったわけだ。
2001/5/5
Tadashi HAYASE
今週の意見(216):
がんばれ熟年パワー
みなさまそれぞれどのようなパソコンライフをお持ちなのか、楽しんでおられる
のか、はたまた苦しんでおられるのか、その意味はなんなのか、一緒に考えていき
ましょう。
日本の景気は何時までたっても回復しない。消費が伸びず、株価がさえず、将来
の生活への不安がなかなか払拭されない。IT基本法ができた。政府はIT振興を
今後の経済成長の柱と考えた。IT振興でさまざまな新規投資が行われる。パソコ
ンを始めとする情報機器が大量に生産・販売される。社会の情報インフラが整備さ
れる。関連投資が増え、消費が増える。新しい雇用機会が創出される。さまざまな
ベンチャービジネスが生まれる。雇用が増える一方でその合理化によって雇用が減
るなどというマイナス効果をあげる学者もいるが、プラス効果のより大きいことは
はっきりしている。それはすべてここ数年のアメリカ経済の発展で実証済みだ。
IT育成で経済活動全体が活性化することについては疑問の余地がないが、その
一番の柱となるパソコンの普及、人々がパソコンを使うことで新しいライフスタイ
ルが生まれる、生活様式が変化するなどの面が経済全体に与える影響が実は大きい
のではないか、それが本当の意味ではないかと私は考える。人々が家庭でパソコン
を使ってさまざまな趣味を楽しんだり、ML(メーリングリスト)によってこれま
での枠を越えた友人、知人との交流が増える。また写真や、絵画、音楽などの分野
で創造活動の場を広げる、その知的創造活動、知的生産活動でその生きがいが広が
るいうことの意味はまことに大きい。
日本は高齢化社会を迎えつつある。60歳から80歳の熟年高年齢層の体力、知力
そして生活力の活性化が、社会の活力を維持し、経済成長を持続させるもう一つの
必要条件なのである。その中でのIT戦略、とりわけパソコンを熟年層に普及させ
ることは、その意味でも大変重要なことなのである。具体的には彼らがパソコンを
自由に操り、インターネットを自由に使えるようにしなければならない。そしてパ
ソコンによる知的生活をエンジョイしてもらうようにしなければならない。
定年まじか職場でパソコンでいじめられ、もうこんりんざいパソコンなんかさわ
るまいぞ、定年でやれやれやっとそれから開放された、と思っていたらなんと最近
は猫も杓子もパソコン、パソコン。なんとあの森さんまでパソコンを習ってみせた
りするものだから、気になることこの上ないわけだ。第一お孫さんがすいすいそれ
をやっているのを見て、こりゃいかんと、心中穏やかならざるものがあるというの
が年配者の心情というものだろう。
本年元旦の朝日新聞一面に国民の65%がネットに関心を持ち期待しているが、
同時に特に中高年層がそれについて行けるかどうか大きな不安を持っているとの世
論調査が出ていた。
実際のところ熟年者にとってパソコンは難関である。インターネットでこのホー
ムをごらんいただけるような方に、そのような方はいらっしゃないのは分かってい
る。少なくともインターネットに接続したりメールを自由に受発信できる方ばかり
であろうから、その点は安心してこの話ができる。いや、この際、ぜひそうした悩
みの熟年の方々に援助の手を差し伸べていただきたいわけである。
そうした初心者の方には私はとにかくメールを確実に覚えることと、私達仲間で
やっているようなMLに入ることを勧める。パソコンの操作のことといい、その他
技術的なことといい、そういう場でそうした質問をし解決策を教えてもらうのがい
い方法だからである。世の中うまくできていて、教えてもらいたい人がいれば、教
えたい人もいるわけだ。質問をすればみな知っていることは親切に教えてくれる。
そして、人に教えることこそ、実は一番いい勉強法だということなのだ。
そして問題はパソコンなのでない。パソコンで何をやるかなのだ。パソコンを使
ってこんな楽しいことができた。趣味にこんな形で活かせた。メールで新しい友人
ができた。そんな経験を実際に得てみることである。そうした成功体験を持つ人は
もうほっておいても大丈夫。後はどんどん自分で新分野を開拓していく。MLなど
で互いに刺激を受けながら切磋琢磨していく。
そうしたパソコン知的生活を習得した人は幸いである。少なくともそのきっかけ
をつかんだ人はである。が、不幸にして、なかなかそれができない人も多い。世に
いうデジタルデバイド(情報格差)の始まりだ。それはおカネを持っているかどう
かで生まれるのではない。世の多くの評論家はそう言ってるが、である。そのでき
るもの、できないもの、持てるもの、持たざるものの差は、結局それぞれの人たち
の問題意識、目的意識の差によって生まれる。チャレンジ精神、目的に向かっての
努力の差と言っていいかもしれない。
チャンスは皆平等なのである。後は努力する気があるかどうかだけだ。「天は自ら
助くるものを助く」 古今東西あらゆることについての真理である。厳しいけれどこ
れが神の教えであり、世の原理なのだ。何事も努力以外道を開く方法はない。「がん
ばれ熟年者」、そう言いたいわけだ。
何事も必死でやることの楽しさ、面白さを知った人の人生は幸せである。幸か不
幸かパソコンは難物である。その難物と格闘することの楽しみを知った人は幸いで
ある。来週はそのことについて書きたい。
2001/5/12
Tadashi HAYASE
今週の意見(217):
知的なるものへのあこがれ
小泉内閣が組閣後の初予算委員会審議の様子を延々とテレビで放送していた。仕
事をしながら、聞いていたのだが、あまりおもしろくなかった。が、中でも公明党
の斎藤鉄夫議員が、今日本の国興しのためには、文化、芸術の振興を行わなければ
ならない、国はこのことにもっと国家予算を使わなければならないのではないか、
という質問をし、小泉総理もそれに同調していたが、これはなかなかいい質疑であ
ったと思う。が、明くる日の日経新聞などこのことをほんの数行しか報道していな
い。日本のマスコミがなっていないのはそういうところだと言いたいわけだ。
1930年代大不況の中、ルーズベルトが行ったニューデール政策も何かと言えば
TVAに象徴されるいわゆる公共投資ばかり強調されている。が、ルーズベルトは
経済不況を脱するためにも、人々にさまざまな生きる勇気や生きがいを学んでもら
う必要があると、文化芸術支援策を行った。それもニューデール政策の一環だった
のだ。そのために相当な国家予算を投入したそうである。どこかの国のそれが、橋
だ、道路だ、鉄道だ、ダムだとばかりなっているのとわけがちがう。
そうだその通り、と思った。同じ日の予算委員会討論だっただろうか、小泉総理
は「構造改革」のためにマイナス成長も覚悟しなければならないし、それにこだわら
ないと明言した。これもその通りだと思う。与党の経済政策担当者や経済評論家は
経済成長があった、なかったはすべてGDPの数字をもとに伸びた、落ちた、ま
だ不況を脱していなと叫び、そしてそれをプラスにするため、さらなる国家予算の
投入、公共投資が必要だ、とくるのである。財政再建のためには、国債発行額を
30兆円以下に押さえるという小泉氏の総裁選挙中の公約も、マイナス成長だけは
絶対にあってはならない、デフレだけは避けなければならない、とこれも押さえ込
む議論が政府与党当局者の間から出てきている。
マイナス成長のどこがいけないのか。もっと言うなら、デフレのどこがいけない
のか、と、どうしてもっと明確にいう政治家、評論家がいないのだろうか。経済成
長があったかどうか、それはすべて国民生産高、GDPなるもので計る。経済成長
をそうした数字で計ることを間違いとはいわない。それしかない。しかし、問題は
そうした経済指標がプラスであったか、マイナスであったかではなく、その国家の
中で生きている人間が幸福であったか、どうであったかではないだろうか。問題は
それをどう計るかなのではないか。それはそう簡単なGDPなどという数字では表
せない。
デフレデフレというが、我々の日常生活は別に困窮に貧していない。いや、むし
ろ総体的には豊かなものである。スーバーにはありとあらゆる食べ物があふれ、家
庭の冷蔵庫には沢山の食料品がつまっている。タンスには衣料品が山ほどあふれ
ている。各家庭には最低一台車がある。家にはあらゆる最新の家庭電化製品があふ
れている、要するに衣食住なんら不満はないのだ。あったとしてもそれはもう大し
て大きな問題ではない。だから人々は衣食住関連により多くの消費をするより、将
来の不安に備えて稼いだお金を貯蓄に回すのだ。
そうした状況の中で、パソコンが前年比22%も増えたとか、インターネット
利用者が1500万人を超えたなどという現象は自然のなりゆきである。衣食住と
言った基本的なものより、健康、教育、レジャーなどの分野に消費を増やす。より
精神的な満足感を得ることや、知的なものに対する欲求を求めるということである。
そういう分野での消費活動は当然増える。具体的にはそれはパソコン出荷量の拡大
でありそれに伴うさまざまなソフトやサービス消費の拡大である。IT革命の推進
の意味の一つもそこにある。それは目に見える経済活動投資、消費のプラスにもつ
ながる。
問題はもっと目に見えない部分で人々の生活の満足観をどう高めるか、という部
分である。冒頭に述べた文化芸術の振興の意味もそこにある。日本はかって欧米諸
国から「エコノミックアニマル」などと揶揄されたことがあるが、今一度その意味を
よく考えてみることだ。日本の文化芸術に掛ける国家予算は欧米先進国のそれより
はるかに小さいものという現状である。今必要なのはモノの消費を拡大することで
ない。むしろ人々の知的なもの、芸術にたいするあこがれ、そういうものを刺激す
ることではないか。それはGDPなる数字では計れないかもしれないが、人々の生
きがい、充足感、満足感、幸福感につながる問題である。
問題はいわゆる「デフレ」ではない。そういう本来人間が持っている知的なるもの
芸術文化に対するあこがれのこころを失っているのではないか、もっとそういうも
のを持つべきではないかという「心のデフレ」の問題ではないだろうか。
幸いなことに、今多くの人がパソコンやインターネットというものに関心をもっ
てこれを学ぼうとしている。そしてそれを学ぶ中で、そうした知的なるもの、芸術
文化的なものにより多く接し、これを学ぶ機会が増えるだろうことは間違いのない
ことである。その中身がどんなものであるか、あるべきか、いくつかの具体論を展
開しようというのがこのアンケートシリーズの大きな目的である。
2001/5/20
Tadashi HAYASE
今週の意見(218):
ハンセン氏病判決
政府はハンセン氏病の国の隔離政策に関する熊本地裁の判決に控訴しないことを
決定したが、画期的なことであった。小泉首相の政治的決断だとされているが、あ
らためて、氏がこれまでの首相と違うとこを見せつけた形だった。マスコミも国民
民もあげてこれを歓迎、支持したようだ。仮に小泉人気ををさらに維持するため、
大向こうをうならせる効果をねらった政治的判断であったとしても、官庁筋、官僚
からの圧力を排除しての、まさに正義の政治的決断だったわけだ。
400億、500億円とも言われる患者、元患者への補償金が問題なのではない。
カネのことは政府もなんとでもできる。政府が最後まで控訴の方針であったのは、
そうしないと、国家賠償にまつわる他の裁判に大きな影響があるということだった
のだ。行政府はもちろん、とりわけ違憲状態にあるそうした法律の存続についてな
んらアクションをとらなかった国会の不作為をきびしく追及していることについて
立法府についてもその影響が大きいからだ。野党は人事みたいに、政府の控訴断念
をそれぞれ「当然だ」みたいなコメントを出しているが、一体どこの党とどこの党が
この問題を厳しく国会の場で追求してきたのだろうか。
あくまで患者救済を主眼においた決断であったことを小泉首相は強調していたが、
ことはそれだけではない。むしろ本来存在する法律が文字通り守られていなかった
こと、間違いだと指摘されている法律をそのまま放置するようなことはいけないと
した判決を受け入れたという事実だ。現実法律で決まっていることと別の状況を、
そのまま続けているというような事実がいくつもあるのだ。政府であろうと国会で
あろうと、その不作為の行為が間違いだと指摘した熊本地裁の判決にたいして国民
はまず拍手を送るべきであり、小泉氏がその判決を受け入れたこと自体に大きな意
味があると考えるべきだ。違憲状況にあることを国の事情だとか、政党の都合だと
か国会の都合だとかで認めることは絶対にできないことである。
違憲状態と言えば、たとえば一票の格差などの問題がある。違憲状態にあるけど
「現実やむをえない」みたいな最高裁の判決などどうみてもおかしいのである。法は
正義を守るためにあるのである。国民の基本的人権を守るためにある。そこに国の
行政上の都合や、官庁の思惑などが考慮されていいわけがない。
ハンセン氏病の患者たちの長年の不当な差別、人権回復、補償の意味もさること
ながら、今回の小泉氏の政治決断はそう言う意味ですばらしかったのだ。その意味
を国民はお互いよく考えてみたいものである。
tad
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