1999年 今週の意見 3月
今週の意見(107):
執行役員制
このところ執行役員制を取り入れる企業が増えてきた。東芝、ダイエー、バンダ
イなどめじろ押しの状況だ。一種の流行と言ってよい。
執行役員制とは、取締役によって構成される取締役会と、それによって経営を委
託され、経営を担当する執行役員を分けて、実際の経営を行っていくというアメリ
カなどでは普通に行われている制度である。
執行役員制が突然脚光を浴びてきたのは、多くの日本企業が経営不振に陥ったこと
と無関係ではない。経費削減、リストラという観点から取締役の数を減らそうとい
うことがその動機の一つになっている。それと、従来の取締役会が充分その経営執
行機関としての役割を果たしていないという反省から、各担当部門の経営に当る責
任者を経営執行役員という名で任命し、厳しくその経営責任を問うていこうという
ことである。アメリカではそれがよく機能しているから、同じやり方をやってみよ
うということなのだろう。
昨年はじめあたりから、盛んにこれを取り入れる企業が増えてきたが、私はそれ
は、日本では必ずしもうまく機能しないだろうとみている。そもそも日本の企業の
取締役会なるものは、経営執行機関としては殆ど形骸化していた。多くの企業では
実際の経営意思決定は常務会とか、社長のワンマン的それで行われ、取締役会はそ
れを法的な必要上、形だけ追認するだけの機関にすぎなかった。取締役会で、それ
ぞれの取締役が上司である社長や、役付き取締役相手に、提案議題について異論を
唱えたり、堂々議論をなふっかけることなどはまずない。もちろん例外はあるが、
多くの企業の取締役会は経営意思決定機関としては名ばかりの存在であったことは
まちがいない。
それではいけないとの反省から、執行役員制導入の導入した経営トップの意気込
みはわからぬでもないが、その執行役員とは結局は従来の取締役達であり、その制
度導入したからと言って、突然従来の経営意思決定プロセス自体が変るわけではな
いと想像するわけである。そのため意志決定のための会議が突然活発になることは
ないだろう。
日本では取締役とはサラリーマンにとって最終の出世コースであり、その肩書きを
取り上げられて、やる気が損なわれる面もあるに違いない。
そしてなによりも取締役会といい、執行役員会といい、日本ではまず会議のあり方
集団でことを決定するための議論のしかた、意思決定のあり方など、そうした会議自
体のあり方がまずなによりも問われなければならない問題だと思うのである。
1999/3/6
Tadashi HAYASE
今週の意見(108):
国旗・国歌の法制化
国旗と国歌を法制化しようという動きが出てきた。広島の高校の校長が卒業式で
君が代を歌えという文部省や教育委員会の指示と、教職員組合の反対の板挟みに悩
んで自殺したことが発端だ。自民党をはじめ各政党、政府もこれを契機にこれまで
あいまいであった国旗、国歌を法制化し、このような問題が起こらないようにしよ
うという動きになってきたわけだ。
国旗、国歌の取扱いについては、どこの国でも当然法律で定められているものと
思っていたのだが、そうでもないらしい。新聞にそのまとめの記事が出ていたが、
国歌、国旗を法制化している国もあるし、慣習としてこれを使っている国もあって
各国ともその対応がちがうようである。
ただいずれにせよ、日本みたいに長年にわたって、教育の現場で、教職員組合と
文部省が対立するようなことは他国ではなさそうである。それは法制化されている
かいないかだけの問題ではなさそうだ。多くの国において、法制化されていようと
いまいと、それが国の旗であり、国家を象徴する歌であるということで、用いられ
歌われていて、それが慣習として定着しているのが一番自然で、理想的な形である
ことはいうまでもない。
アメリカなどではそれを国旗、国歌とも法制化しているようだが、学校の教育現
場はもちろんのこと、あらゆる場においてそれが用いられることについては、国民
は自然に受け入れているようである。アメリカでアメリカンフット・ボールや野球
を何度か見たが、試合開始に当たって選手・観客全員起立で国歌を斉唱する。殆ど
の観衆は全員立ち上がり、それに自然に和す。日本でもパ・リーグは同じことをす
るがアメリカのような整然とした雰囲気ではない。中には斉唱中もそれを無視して
立ち上がらない観客も沢山いる。
私自身は国旗・国歌の法制化に賛成か、反対かと言われればこの際賛成である。
が、問題はそのことだけにとどまらない。法律で定めたから従う、従わないの問題
ではない。さまざまな場において、国旗を掲揚し、国歌を歌って一国民としてのア
イデンテイテイを自然な形で確かめ、それを表すことのどこが悪いのか。またどう
してそういう気持ちにならないのか、そのことが問題なのである。それが自然な形
慣習として定着していくことが理想なのであって、そのための第一段階として法制
化が必要なのだというならばそれもしかたがないかな、と思うのである。
1998/3/13
Tadashi HAYASE
今週の意見(109):
JTのお買い物
「JTがナビスコのタバコ海外事業部門を78億ドルで買った。日本企業として
過去最大の額だという。これでたばこ会社として世界3位になるそうだ。 が、ふ
と思った。この買い物はちとピントがはずれているのではないかと。」
先週BizTech Forumのビジネスサロンでそう書いた。
・「JT日本煙草産業、米たばこ事業買収。又米の屑拾うアホな時代錯誤。rnonami」
・ 「JTは膨大な独占利益を得ているだろうが、全くババ掴みのまずい経営決定。
説明を聞きたい。さらに禁煙者を増やすつもりか。Nabiscoと売り込みに関わっ
た仲介業者は大喜びだろう。 はら」
と、フォーラム常連のコメントがあった。そうだ、その通りである。これは3月
10日の日経新聞のトップ記事だ。買収額78億ドルは 「日本企業で過去最大額で
あり国際再編生き残り、たばこ会社で世界3位」 という見出しが報道内容のすべて
をもの語っている。このニュースを受けて、米ナビスコ社の株は急騰したそうだ。
それはそうだろう。私の直感では、それはまさにrnonamiさんの言われる通りナビス
コ社にとっても、重荷になっていた不良の資産をかなり有利な額で処分できたからに
ほかならない。
日経新聞の記事にはそれ以上の解説はない。日頃日経新聞を含めてJTが新聞雑
誌各誌の大口の広告主であることを考えたら、その経営判断に関して、適切不適切
を論じることなど差し控えるであろうことは想像に難くない。
JTが日本のたばこ事業を独占しており、その生き残りのために世界3位のたば
こ会社になろうとする戦略は当然だというのが産業界の一般的な評価なのだろうか。
私はそうは思わない。たばこ産業などはもうあらゆる意味において、21世紀には
淘汰さるべ斜陽の産業だと思う。喫煙という個人の嗜好の善し悪しについて、この
際コメントするつもりはない。喫煙者にその嗜好をやめろなどというつもりもない。
が、喫煙が健康にとって有害であり、なによりも非喫煙者に多大の迷惑を及ぼして
いる現実から、世界的に禁煙運動がさらに高まるであろうことは目に見えている。
それは当然大きな世の中の動きであると思う。
そんな社会的環境、ビジネス環境の中で、JTが日本を代表する企業として、こ
ういう買い物をするセンスを疑うわけだ。JTがあちこちのマスコミに喫煙を奨励
するような広告を出すことについて、日頃不愉快に思っていても自由競争社会の通
念から言って、なんら文句をいう筋合いはないのかもしれない。
JTがその企業名から言っても現在はたばこが主な収益源になっていることは否
定しようがない。が、将来ともそうであれ、そうあるべきだとは誰も言っていない。
いや、一般の消費者も、そして株主も、そしてなによりも21世紀の社会が求めて
いるものを考えれば、自ずからその経営戦略の方向転換があってしかるべきではな
いかと思うのである。現に食料品、ファーストフードの分野の企業買収も行い、新
規分野への進出もめざしているではないか。そうした中でなぜ今回の高い買い物な
のか。
JTの顧客でも、株主でもない私がこんなことを言ってもなんにもならないこと
は承知している。しかしJTという日本を代表する大企業がきたるべき21世紀に
どのように消費者のニーズに応えていくのか、株主の期待に応えていくのかについ
てもう少し高い次元の経営判断を期待したかったのである。
1999/3/20
Tadashi HAYASE
今週の意見(110):
安易な人員削減とは
「甘利明労相は16日の月例経済報告関係閣僚会議で、 「雇用を維持する経営が評
価されていない。人員削減計画を発表すると株価が上がり、雇用を宣言すると株価
が下がる。人員削減に対して評価するような風潮があるのはいかがものかという不
満が経営側から洩れている」 とし、企業の雇用維持努力に対し、政府として評価の
姿勢を表す必要があるとの意見を述べた」 ー 3/17 日刊工業新聞 P2
なんたる、ご発言か。企業の経営者が株価対策で人員削減をやるとでも思っている
のだろうか。誰が好き好んで人員削減などやるものか。やむにやまれず、そのまま
では企業の経営がなりたっていかないからこそ、リストラをやるのだ。
いやたしかに、やむにやまれぬというより、業績の先行きを見通して、早い目に人
員削減に踏み切る場合もある。最近ソニーが発表した人員削減計画などはそうだ。他
の企業に比べて、赤字でもない、そう悪くない業績ではあっても、先行きを見通して
子会社を含めてリストラに踏み出したのは周知のことだ。どうしようもなくなってか
ら、後ろ向きのそれをやるのとはわけがちがう。余裕をもってやる場合、対象となる
従業員にもさまざまな配慮が充分できるのが普通である。
折りからニューヨークの株式市場が一時的ではあるがダウ平均一万ドルを越えた。
バブルだ、行き過ぎだとの見方もあるが、ダウ平均の中で計算されている登録企業
の業績が抜群にいいことは間違いない。その中での代表的企業であるIBMなども過
去業績優良であるにも関わらず大幅の人員削減に踏み切ったことで有名だ。今日の好
業績はそのおかげであるのはまちがいない。
労働大臣の立場で、雇用を維持して欲しいとする立場でそういう発言になることは
理解できぬでもない。が、雇用の維持といい、雇用の創出といい、企業がその業績を
維持できてこそ可能なのである。行政府、お役所みたいに、必要であろうとなかろう
と、財政大赤字の中ででも雇用が確保できるのとわけがちがう。企業の場合、赤字が
続き、その体力維持のため必要なキャッシュフローが確保できなければ、倒産という
事態になる。人員削減どころが、経営者役員を含めて、従業員全体が職を失い路頭に
迷うことになるのだ。
企業の場合、特に日本の企業の場合、これまでの終身雇用の前提や慣習の中で、経
営者は業績悪化の中でもぎりぎりまで、人員削減の措置に踏み切らないのが普通であ
った。現在もそういう風潮であろう。が、この平成大不況の中、多くの企業がそんなこ
とを言っておれなくなった事情は説明をするまでもない。
労働大臣の言う、人員削減の風潮を苦々しく思っている経営者とは一体誰のことだ
ろうか。そんな経営者は1人としていないはずだ。あの天下のNEC、ソニー、いや
都市銀行を含めて、ついこの間まで人員削減など誰が思ったであろうか。しかし今
それを好むと好まざるに関わらずやらざるをえなくなったのである。企業経営者なら
みなその間の事情はわかっている。
労働大臣を含めて他の経済大臣、いや政治家や官僚の企業の経営関する認識なんてそ
んな程度なのだろう。地方政府、中央政府の行政改革が話題になっているが、そのため
に必要な人員削減なんて彼ら自身には到底実行できないことかもしれない。
1999/3/27
Tadashi HAYASE
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