1998年 今週の意見 −3月
今週の意見(58):
終身雇用をめぐって
2月28日NHK夜7時半から「日本経済をどう再生させるか」というスペ
シャル番組があり、日本の代表的な製造業の社長が出演していた。テーマがい
くつかあったがその中で日本型経営の行き詰まりに関して、終身雇用制度に関
する議論が行われた。
出席者の殆どは終身雇用制度も見直さざるをえないという認識であったが、
N電気会長のA氏は、いかなる状況にあっても雇用を最優先に考えるのが、日
本的経営の長所である。アメリカのように景気が悪くなると、従業員をすぐに
レイオフにはしるようなことはいかなるものか。ましてやIBM社のように業
績がいいにも関わらず、リストラを実践し、従業員数を削除するようなことは
日本経営ではありえないことである。日本は伝統的には農耕社会であって、組
織の中では皆いたわりあって生きていく、それが人にやさしい経営というもの
だ。という趣旨の発言があった。
これに対し、外資系人材会社幹部のB氏は、人にやさしいとは、ただなにが
なんでも雇用を続けるということではなく、企業が採用した人とその役割分担
を明確にし、企業はその人に何を期待し、また仮に期待に沿えないで駄目な場
合、それをはっきり言って本人のキャリアプランに沿うようにしていくことが
本当にやさしく親切な対応ではないか、と、反論された。
私はこの議論についてはB氏の方に軍配をあげたいと思う。A氏の議論は一
般には非常に受け入れられやすいものだと思うが、そうした日本的発想が今ま
さに問題になっているわけだ。終身雇用を確保しますなどと言っていて、会社
が倒産にいたり、ある日突然全員解雇なんてケースは最近珍しくないのである。
企業が経営的になりたち、存続してはじめて雇用もあり、終身雇用も可能にな
るという単純な経済原則を忘れてもらっては困る。雇用が確保できるかどうか
まさに企業の経営そのものにかかっている。業績がいいからこそさらに長期的
な展望にたって経営のさらなる合理化をめざすIBMの経営方針はまことに正
しいと思うのである。
それに何よりも雇用とは個人と企業の契約関係であることをこの際互いに明
確に認識すべきだ。暖かいとは冷たいとかの感傷的問題ではない。そしてその
契約の内容をお互いにまず誠実に守ること、実行することが大切である。
終身雇用を保証する代わりに企業のために身を粉にして働けとか、多少いや
なことも我慢せよ、しようなどという古い感覚はこの際お互い捨てるべきだと
私は思う。
1998/3/7
Tadashi HAYASE
今週の意見(59):
パソコンはなぜ売れないか
一時飛ぶ鳥の勢いで伸びていたパソコンの出荷台数が昨年度670万台程度
でがくんと落ちた。日経BPのBizTech Forumのビジネスサロンでも盛んに話題
になったのだが、問題はどうしてパソコンが売れなくなったのかである。
これについては日経新聞ホームページでのアンケートで消費者がさまざまな
意見を寄せている。いわく、安くなったと言ってもまだまだ高い。簡単に使え
るような宣伝だが、実際使ってみるといろいろ難しい。アフターサービスが悪
い。ちょっとしたクレーム、質問などにもなかなか応えてくれない。Windows95
など大宣伝が行われたが、その使い方はきわめて難しい、などなどである。
いちいちごもっとも。特にメーカのアフターケアの悪さは以前にもこの今週
の意見で述べたし、私などは対応の悪い日本のメーカのものをやめてアメリカ
製の24時間フリーダイアルで対応してくれるパソコンに買い換えた。そのい
きさつも紹介した。それも多少は改善されたようだがなにしろ日本のメーカの
それはまだあまりにも悪すぎる。
簡単になんでも使えるようなことを言って実際に買ってみるとこれがなかな
か難しく、消費者がギブアップしてしまうということも大きな問題。パソコン
は、他の電化製品と全く違うものである。テレビ、オーデイオなどとちがって
電源オンですいすい使えるものではない。第一テレビならなんらかの番組を見
る、オーデイオなら音楽を聞くという、その目的がはっきりしているから、仮
に多少操作がややこしくても、ひたすらその目的に突き進めばその目的が達成
され、満足する。ところがパソコンはそうでない。まさに多目的。なんでもで
きる。できそうだ。が、そのかわり目的を明確にしないまま取り組むとたいて
いは失敗する。
いつかどこかのテレビ番組でやっていたが、パソコンの習熟の早い人はその
使用目的を明確にして取り組んだ人である。まあ、皆やっているし、おもしろ
そうだし、パソコンでもやってみようかと、目的を明確にしないままやってみ
る人はたいてい挫折してしまう。そんなこともわからないで買ってしまう方が
悪いと言ってしまえばそうだが、これも売る方メーカー側の責任が大きい。パ
ソコンは他の商品とちがって使いこなすには相当の努力と勉強が必要である。
そのかわりこれを使いこなすと大変すばらしい仕事をやってくれるものだと、
はっきり言うべきである。それを歌手だの、テレビタレントだのを使って、ム
ードだけで買わせてしまおうとするところに問題がある。
買ったものの、使いこなせない消費者が「あんなものダメだ」と周りの人た
ちにいいふらすから、さあ俺も買ってみようか、と思っている人の足まで引っ
張ってしまうのである。メーカの自業自得。
パソコンはなぜ売れないか、売れなくなったか。それはつきつめていくと今
の消費需要不振の根本原因と根を同じくする問題に行き当たる。今の消費需要
の不振の原因として、政府の無策とか、消費税アップとか、金融不安だとかい
ろいろの理由があげられている。それもあるだろう。が、一番根本的な問題は
メーカの製品・サービス提供の根本思想がまちがっていることがその理由だと
言わざるをえない。消費者のために、消費者の立場にたった商品、サービス作
りの根本、その商品説明のあり方について今一度根本的な洗い直しを行っても
らいたいのである。
1998/3/14
Tadashi HAYASE
今週の意見(60):
10兆円の景気対策
景気浮揚策の内圧外圧に応えて、政府自民党は98年度予算案の成立後、内
需拡大を目指して、公共事業上積みを柱に事業規模で10兆円を越える総合経
済対策を策定する方針である。その新しい公共事業とは情報通信、環境、教育
福祉分野など社会資本基盤整備のための投資だという。注目されるのは情報通
信がまずその筆頭にあがっていること。従来の公共投資というと、主に道路、
鉄道、河川などの土木建設工事のイメージがある。が、この公共事業は何かと
批判の多い従来型の公共投資とは一味違いまよと、言いたいらしい。通信とな
らんで、環境、福祉、教育と並べているところもそうである。
環境・福祉・教育などの分野のことはこの際触れない。確かにその面での社
会基盤は遅れている。問題は情報通信の社会基盤整備が今一番必要なのか、景
気浮揚に効果があるのか、という点である。いうまでもなく、それに対する私
の考えはイエスである。多分学者、民間経済研究所、評論家などを含めて自民
党の政策ブレーンが考え打ち出したものであろうが、まさにその分野こそ今一
番必要な社会基盤整備だということは率直に認めるものである。
アメリカ、アメリカ経済、アメリカ企業が今なぜ繁栄を謳歌し、その一方で
日本の経済、企業活動が今なぜ沈滞しているか。それにはさまざまな理由、背
景があろう。それを一言で論じることは不可能である。が、一つ間違いなく言
えることは、その理由として日本の情報通信分野での社会基盤が整備がアメリ
カのそれに比べてかなり劣っていることがあげられるだろう。アメリカ政府で
は副大統領のゴア氏などが中心となって、情報ハイウエイ構想を打ち出したの
はもう数年前のことであった。そしてアメリカ政府は積極的に情報通信分野の
社会基盤整備を進めてきた。その数字がどれほどのもので、その結果がどうな
ったかについて今具体的な数字をここに示すことはできない。が、その結果今
日アメリカと日本の情報通信、ネットワークの分野での格差はかなり開いたと
されている。たとえば具体的には、パソコンのネットワーク化の比率、インタ
ーネットの普及率やCATVの普及率などの差である。
先進国経済のソフト化、サービス化が進む中にあって、情報通信はいわば産
業の動脈である。QRとかCALSと言った言葉で代表される企業経営のスピ
ードアップ、経営プロセスのスピードアップのための情報通信網、技術基盤の
整備は絶対不可欠なものである。
遅ればせながら政府が情報通信の分野に思い切った公共投資を行おうとする
のは正しい方向である。が、情報化のためには情報通信網の整備だけでこと足
りるわけではない。先週のコラムでは「なぜパソコンが売れないか」という問
題をとりあげたが、パソコンをより多く普及させることも大切な社会基盤整備
の問題である。その障害となっている条件を取り除いていくこと。さらには情
報通信のための各種教育訓練の実施、そのための投資さらに具体的には学校に
おけるパソコン教育の充実なども同時に進行させなければならない問題なので
ある。
1998/3/21
Tadashi HAYASE
今週の意見(61):
十代裁判所
3月15日の夜9時NHK特集、「十代裁判所」は、最近もっとも関心が
高く、興味深い番組であった。多発する少年少女の犯罪はアメリカ、日本そ
して世界中で共通の社会問題である。アメリカの各州の高校などでは今や学
校内に警察をおきさまざまな犯罪を取り締まっているという状況にすらなっ
ている。それ位、校内暴力を含めて未成年の犯罪が深刻な社会問題になって
いるわけである。
日本でも少年犯罪が深刻化していることはご承知の通りである。そして問
題はその対処、対策が日米でかなりの違いがあるということである。まずア
メリカでは少年犯罪に対しては、その内容に応じて、日本とちがって厳罰を
もってするという基本的スタンスがある。ある州では7才の子供でもその犯
罪の内容によっては死刑にできるという位の厳罰主義である。これに対し、
日本では少年法なるものがあって、殺人など重大犯罪を犯しても、少年は大
人と同じように刑務所に入れられるわけでなく、保護監察という処分になる
のが大半である。
それどころか少年法のもと犯罪をおかした少年の取り調べ記録、裁判記録
は一切公開されず処分が決まるのである。それが最近になって被害者の遺族
にその取り調べ記録や、裁判過程が明らかにならないのはおかしいというこ
とになってきた。自分の子供を殺された親はその犯人の行動記録を知り、ど
のように裁かれたかを知る権利がある。それをしないで犯人の人権のみを重
視する現在の少年法はあきらかに片手落ちだという議論が、ようやく日本で
も出てくるようになった。当然のことである。
日本もこれから少年法が改正され、重大は犯罪については少年と言えども
厳罰でもって臨むという方向に進むかもしれない。が、問題は少年の犯罪の
再犯率。厳罰主義のアメリカでもその再犯率は一向に下がらない、改善しな
いということになって、新しく始められた試みが、テレビで紹介していた十
代裁判所のしくみである。そしてその制度を導入することで再犯率は劇的な
減少になったとNHK報道特集は報じていた。
十代裁判で裁かれるのは十代の未成年者で軽犯罪に限られる。が、それ自
体正式な裁判である。窃盗とか、傷害とかの比較的軽微な犯した罪について
十代の検事が告訴し、そして十代の弁護士が弁護する。検事、弁護士は一定
の試験を経て裁判所がその資格を与えたものである。そして陪審員、これも
全部十代、しかもその大半がかってその十代裁判所で被告になった若者達で
ある。検事が告訴状を読み上げ、弁護士が弁護する。最終弁論があって、そ
の陪審員達は被告が有罪であるか、無罪であるかを別室で討論する。自分の
犯罪の経験もふまえ、犯罪の状況をふまえ、犯人の心理状況もふまえながら
意見をいうところがすばらしいのである。そして付属意見もつけてその結果
を裁判長に告げる。裁判長はその裁判における唯一の大人である。その陪審
員の意見通りに判決を下す。
有罪か無罪か。有罪の場合、罰金や何日間かの社会奉仕活動、反省文提出
そして十代裁判の陪審員を何度か務めるという罰が課せられる。
こうした制度を導入した結果再犯率が低くなった理由は明らかである。お
よそ陪審員になって有罪か無罪かなど決める討論に参加する意味が大きいの
である。人を裁くという立場にたってはじめて、そのことの重大さ、重要さ
に気づくのである。どんなに些細なことでもきちんと白黒をつける必要性を
学ぶわけだ。その裁判にかかり、有罪になっても課せられた義務を全部こな
せば裁判記録は抹消される。このことも大切なことだ。まさに因果応報を身
を持って学ぶわけである。
陪審員の少年少女が討論する場面まで公開されていたが、その内容はすば
らしいものであった。日本では大の大人でもあれだけの議論ができないので
はないかと感じた。日本はこの点でもアメリカに大きな遅れをとっているの
ではないかと感じた次第である。
1998/3/28
Tadashi HAYASE
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