2007年 今週の意見 3月
今週の意見(515):
NHK2割位の値下げは受け入れよ
「総務省は1日、NHK受信料の「支払い義務化」を今国会に提出する放送法改正
案には盛り込まない方針を固めた。菅(すが)総務相は義務化の前提として「受信
料の2割値下げ」を求めていたが、NHKの橋本元一会長は同日、早期の値下げ判
断はできないと表明。義務化によってNHKの増収効果が期待されるのに、視聴者
への還元策がはっきりしないままでは国民の理解が得られないと判断した。
ー読売新聞 3月2日
受信料不払いが(受信契約者の)3割というのは、たしかに公共放送の危機的な事
態である。なぜ不払い者が増えるかというと、これまでのNHKのさまざまな不祥
事に批判が高まったことがあるが、もう一方で、不払いという行為を行ったところ
でそれには法的にはなんの罰則も伴わないということがあるからだ。
監督官庁の総務省がこれではいけないと、いまの放送法に受信料支払いの義務化を
盛り込むことにした。それ自体NHKからの要請や働きかけがあってのことだろう。
またNHKを存続させるためには総務省としてもそうしなければならないと考えた
にちがいない。
ただ、これまでのNHKのさまざまな不祥事、また各方面からのNHKの経営に対
する批判をそのままにしてただその法案を国会に提出するわけにはいかない。
NHKに対していくつか抜本的な経営の改善を求めることを条件に料金支払いの義
務化を進めることはしごく当然のことだ。
その料金の2割カットということがどれだけ根拠のあるものかないものか、それを
NHKに求めた総務省にしたところで、その2割という数字に具体的な根拠などない
はずだ。それが1割なのか、2割なのか、はたまた3割なのか、要するにNHK経営
の改善はただそういうことだけでは計れないものがあるのだが、少なくとも料金のカ
ットが一番国民にはわかりやすい結果としての改善要求の一つなのだ。私自身もそう
だと思う。
ところが橋本会長ははっきりそれを断った。口に出しては言っていないが、そんな
なんの根拠もないことを言われても困る。2割も収入が減ったら経営に重大な影響
がある。それは受け入れるわけにはいかないということだ。
確かに2割収入カット経営に対する影響が大きいことはわかる。ただ私など毎日
NHKの番組そのものを見ていて、あらゆる面でやはり「親方日の丸」的な感覚、
雰囲気、実態をさまざまな面で感じるのである。人件費をはじめとして、番組制作
費、さまざまな経費を考えても私は2割くらいの経費削減はそんなに難しいとは思
わない。
なにしろ、民放は受信料金ゼロなのだ。その代わりあの煩雑なコマーシャルが入る。
本当に煩雑であり、あまり愉快なものでない。今NHKに毎月払うもの位でコマー
シャルがなければまあいいかとも思う。しかしこのNHKの態度を見ていて少々考
えが変わってきた。
それくらいの経営改善努力もしようとしない、それくらいの決意をしないのなら、も
う公共放送NHKなどいらない、と言ってもいい。まず民営化して自身でどれだけで
きるかやってみろといいたくなる。
そうだ、それがいいかもしれない。NHKがいまのスタンスを変えない限り、放送
料金を払わない視聴者はますます増える。結果NHKは公共放送としての体をなさなく
なる可能性がある。
そうならない前にNHKは決断すべきである。総務省が受信料2割値下げとその義
務化はセットだとした方向性について私は一国民として賛成票を投じたい。
2007/3/3
早勢 直
今週の意見(516):
川内康範氏の言い分は妥当か
曲の歌詞にあたかもそれが詩の一部のように言葉を付け加えて歌うのは、著作権法
でいう「同一性の保持」の原則に反するというJASRAC(日本音楽著作権協会)
の見解はある意味でわかる。ただそれがそうでなく、歌う前に歌手がなんらかの形
で、いわゆるアドリブ的な語りを入れ、それから歌いはじめるという行為自体は、
なんら問題がないはずだ。本人の森進一もそういうつもりで始めたはずだ。が、そ
れが好評であったので、それをパターンとして長年やってきただけのことだろう。
それを今更ダメだといわれてもと困惑するのはわかる。
JASRACの見解が果たして正しいのかどうか、それだって仮に裁判になったら
どうなるか、それはわかったものではない。元の歌詞そのものを一部そのまま変え
てしまったというのならまた話は別だ。が、この場合そうでない。元のものはその
まま、その内容とたしかに直接関係するが、それに補完する形で語りを入れること
のどこがいけないのか。元のものの良さを汚したりしているのならまた話は別だ。
そうでなく、むしろ元の詩の良さをさらに引き出すような形のセリフを入れること
のどこが著作権を侵害することになるのか、と森進一側が主張したら一体どうなる
か。
JASRACの見解は間違いということにもなりかねないと私は素人ながらそう思
う。元の曲、詩の同一性は十分保持されている。冒頭そのセリフを入れることのど
こが詩の同一性をそこなっているのか。素人考えかもしれないが私にはわからない。
ここはそれぞれの立場から著作権の専門家がどういう見解を持っているのかもっと
聞きたいところである。第一そうしたことは今に始まったことでなく、もう30年
前からおこなわれてきたことだそうだ。それを今頃問題にする方がおかしいのだが
それは森進一側で十分な礼儀を尽くさなかった、日本流でいうならいわゆる仁義を
きちんときらなかったということに端を発しているらしい。
その辺がいかにも日本的だし、それで川内氏が森には川内氏作詞の他の曲も歌わせ
ないなどと言い出していることこそ何の法的拘束力もないのだろう。私は別に森進
一の肩など持っつもりはない。昔から森進一の歌などあまり好きではない。
そうではなくて、どうもこういう問題が起こると日本ではそうした仁義を切らなか
ったことばかりを問題にするマスコミ報道もおかしいと私は感じるのだ。
JASRACだってもっと冷静にその法的根拠に関する見解を示すべきなのだ。
たしかに森進一がもっとこの作詞家との日ごろのコミュニケーションをきちんとし
ていれば起こらなかった問題かもしれない。ただだからといってただそのことだけ
が大問題で森真一を悪者扱いしてしまうマスコミ報道にも大いに問題があると思う。
「仁義なく 泣いているのは おふくろさん」
2007/3/10
早勢 直
今週の意見(517):
一本5000円の水を飲めだと?
安倍首相は相変わらず、松岡農水相の、事務所の法外な光熱費の説明をよしとして
野党の追及をかわそうとしている。松岡氏の事務所では2005年を例にとっても
500万円もの光熱費を計上しているのだ。それは議員用で国から与えられた事務
所であって、光熱費などゼロに近いはずだという。
500万円の光熱費など、民間サラリーマン世帯にしてみれば、22年間くらいに
掛かるものに相当する。そんなに掛かるわけがない。松岡氏は最近の人々は水道水
など飲むものはいないはず、自分は一本5000円のミネラルウオーターを毎日飲
んでると言ったそうだ。さらに、事務所には浄水器をつけているという説明をした
とある。
それで民主党の議員数人が事前通告なく、松岡農水相の事務所を訪問してたしかめ
たが、そんなものはついていなかった。こうなってくるともうお笑いである。どう
してそんなうそをつくのだろうか。
今の時代水道水なんか飲む人はいないという発言を聞いて全国から抗議の声が上が
った。私なども何をいうかと文句を言いたいところだ。私は毎日水道水を飲んでい
る。この町の水道水別においしいとは思わないが、特にまずくもない。いや、お
いしい、まずいをいってるのでなく、水道水など安全でないということを言ってる
のならこれまた大問題だ。農水相ともあろうものが、それぞれの県の公共施設が提
供している水が安全でないと言ってるのなら大変なことだ。
松岡大臣抗議の声にはあわてて、その言は適切でなく取り消してもいいと言ったそ
うだ。
これだけうそをいい、不適切発言を繰り返す大臣をかばい続ける安部総理も総理で
ある。先の厚労大臣のケースといい、身内びいきもはなはだしい。与党内から
も批判の声が上がっている。法的に問題ないなどという大臣の言、それをフォロー
する総理。これは法律がどうのこうのいう以前の常識、良識の問題ではないのか。
こんなことをぬけぬけとやる総理に「美しい国」作りなどできるわけがない。
2007/3/17
早勢 直
今週の意見(518)
原発の安全問題
本来国に報告されてしかるべき原発での事故が隠蔽され報告されていなかったこと
が次から次へ明らかになって問題になっている。昨日の朝日新聞のトップニュース
も東電福島原発での臨界事故に関わるものであった。
原発の事故に関してはこれまでもいくつか臨界事故などという重大なものでなく小
さい事故が報告され、問題になったことはあった。しかしここ最近報じられている
ような重大なものはなく、原発に関しては最近は大きな社会問題として取り上げら
られることもに少なくなってきていた。
加えて、最近の地球温暖化の問題、CO2ガス排出減少問題とからんで、原発はそ
の点では火力発電に比べるとそれがないという点で、原発容認の方向に向いてきた
かのごとき雰囲気はあったようだ。電力会社各社内部でもそうした雰囲気というか
世の動きに乗じてかってのような社会的批判の目を恐れることがなくなってきたこ
とがあるのかもしれない。そのことと、電力各社の重大事故報告の隠蔽が行われて
きたということとは無関係ではないというマスコミ報道、解説もあながち根拠のな
いことではないと私も感じたのだった。
日本は世界でも有数の地震国である。もし阪神淡路大地震のような直下型大地震が
各地に点在する原発を襲ったら、それでも原発は安全なのか、という素朴な疑問を
改めて国民が持ち始めたとしても不思議でない。いや今回このことを書いたのはま
さにそのことに関して、多くの国民は本当にそのことの危険を感じ、また電力会社
はもちろん国の担当、関係監督省もその疑問に本当に答えているのか、という疑問
である。
現在地方選挙の真っ最中、いずれ夏には参議院選挙が始まる。しかし憲法だ、格差
だ、年金だが大きな争点になっても、この原発の問題、日本のあるべきエネルギ基
本政策が政策の争点になることはあまりないようだ。国民の関心も今一つという印
象である。
今電力会社で起こっている原発に関する事故報告の隠蔽は一つの重大な警告に違い
ない。これに関して、原子力発電の安全性、日本の将来のエネルギー政策に関する
論争がもっと大きく巻き上がることを願うものである。
2007年3月24日
早勢 直
今週の意見(519):
道徳教育を教科にする
政府の教育再生会議は29日「道徳の時間」を国語や算数などと同じ「教科」に格
上げし、「徳育」(仮称)とするよう提言する方針を決めた。これからそれをどう
まとめ法案化してそれを実施に移していくかについては紆余曲折が予想される。与
党はそれでまとまるとしても、野党特に社民党や、共産党は大反対しもめるにちが
いない。。
その中身、実施のしかたについていろいろ問題は残るだろうが、私はその基本的方
向に賛成である。今日本の初等中等教育で一番欠けているのは「道徳」であるから
だ。知識の教育は少々遅れでも後からいくらでも取り返すがつく。が、こと「道徳」
にいたっては子供が小さいうち、小学校1,2年いや、出来れば幼稚園の時代から
しっかりしつけとして教えるべきことだと思う。
こと「道徳」に関しては本来そういう専門学科を設けなくても、国語、社会といっ
た時間の中で教えてもいいこと、教えるべきことは言うまでもない。ただそういう
認識を持つ教師が少ない、関心を持たない教師がいることが問題だとする教育再生
会議の指摘は正しいのではないか。とすれば、それを一つの教科として取り上げて
やることのどこが悪いか、間違っているか、ということだ。やるべきである。
それを教科として絶対評価の対象にすることに反対論が出るという話だが、私はそ
れはおかしな話だと思う。反対論の根拠は道徳を教える上で、絶対的な価値観に基
づくことについての危機感があるからだろう。そもそも価値観は多種多様なもので、
絶対的なものでないという考えがあるからだ。
そんなはずはない。何が正しいか、正しくないかということ、何が真であり、正義
であるか、何が善であるか、悪であるか、いわゆる真・善・美・聖というものは絶
対的なものであるということがそもそも道徳教育なのだ。それを教えることのどこ
が悪いのか、ということである。
何が善であり、何が悪かということについて判断基準はそんなに違うものなのか、
私はそうは思わない。反対論の多くのものは、その国家観をめぐってのものであろ
うと思われる。汝の国を愛せよ、教えることは間違いではないと思う。ただし、そ
れが間違った正義に関する価値観のもとで、それを根拠に国を愛せよ、国のために
犠牲になれなどと教えた、かっての軍国主義教育は間違いであったことは言うまで
もないことだ。
そうした議論が十分行われ、中身の検証を十分行った上で、「道徳」が小学校など
で一つの教科となるべきことは全く当たり前のことだと私は考える。
2007/3/31
早勢 直
ホームページへ