2000年 今週の意見 3月
今週の意見(156):
警察組織改革
越智金融再生委員会委員長の辞任、 新潟の警察本部長の辞任など相変わらず、
官僚組織、官僚の不祥事、不始末が続いている。特に警察のそれが著しい。昨年の
神奈川県警を始めとして今回の新潟県警など一体警察ってどうなっているのか、と
国民の不信はますます高まったに違いない。
こうした事件が起こる度に当の県警本部長や、関係部局の責任者が出てきて、記
者会見をし、頭をを下げ、辞任をしたり、解任されたりする。そしてその上部組織
の警察庁長官や国家公安委員会責任者などが、「まことに遺憾であり、国民の信頼
回復に努めなければならない」などというコメントを発して一件落着となる。
なぜそういうことになるのか。本当に再発を防ぐにはどうしたらいいか。そのこ
とには殆ど誰も触れないのである。中央官庁の行政改革が問題になり、省庁再編な
ども行われることになっているが、特に警察関係など組織そのもののあり方にメス
を入れるということが殆ど行われていないのが現状ではないだろうか。このままだ
とまた同じような事件、不祥事が繰り返されることは明らかである。
「法よりも仲間を守るムラ意識」。昨年神奈川県警の事件にちなんで詠んだ私の
時事川柳である。下手くそなものだが、ことの本質はついていたと自認している。
今回の新潟県警の事件などまさにそのものずばりだ。世間を騒がせた女性誘拐事件
で女性が保護されたその日に、当の県警最高責任者の本部長が、業務監査にやって
きた関東管区警察局の局長と一緒に宴会をやりマージャンをやる。それはプライベ
ートなこと、そんなことにけちをつけられてはかなわん、とさすがに言わない。言
えぬ。明らかに官官接待というやつだ。
民間企業の場合、その経営の中身については、内部の監査役の監査があるほか、
外部の監査法人が経理財務面の監査を行う。そしてなによりも株主総会という場が
あり、株主が不正な不適切な経営執行に関しては取締役を代表訴訟という形で訴え
ることができる。これまでは民間企業の場合もそうした仕組みがありながら、それ
が働かず、さまざまな不祥事となったことはご承知の通りである。しかし、それが
明らかになった時点で、株主代表訴訟という制度も働きだしたし、それまでたしか
に馴れ合い的な仕事をしてきた外部監査法人も、本来の監査の仕事に目覚めるよう
になってきたことは間違いない。そうでないと自分達自身が法的に弾劾される事態
になったからである。
民間の企業組織がピラミッド型縦割り組織からフラット化し、ネットワーク型に
なり、情報開示、共有が進んでいる、さらにそれが進んでいくこともそうだ。そし
て上記のように外部の監査や、株主の監視の目がより的確に反映されるようになっ
て行く。 その点警察組織は相変わらず閉鎖的である。超ピラミッド、縦割りであ
る。外部、特に民間の監査の仕組みをなどを採りいれようなどという発想は全くな
い。まさにムラ組織そのものが維持されているわけだ。そうした組織のあり方その
ものを根本的に変えない限り、まだまだああした不祥事が繰り返されるにちがいな
い。
「警察に対する国民の信頼を回復するべく努めなければならない」などという抽
象的な発言で事は絶対にすまない。ましてや上部組織が下部組織を非難することで
ことが済むはずがない。そうした縦割り、閉鎖的な組織の根本的なあり方にメスを
入れることが政治の最大の責任の一つであると私は考える。
2000/3/4
Tadashi HAYASE
今週の意見(157):
電子メールをやってみよう
今日日本の社会・経済・ビジネスの閉塞状況、停滞状況の理由はいろいろあろう
が、主な理由としてはアメリカなどに比べて社会のネット化への対応が遅れている
ことがあげられよう。その中身についてはいろいろある。インターネット接続の通
信インフラの遅れを指摘する向きもあるが、それはもはやそんな大きな問題ではな
いし、使用端末の問題にしても、ソニーのプレステ2の発売や、パソコンの販売量
の増大などがあり、その面でもアメリカなど先進国にどんどん追いついていってい
ると考える。
ネットワーク化への一番の問題むしろは日本の社会独特の閉鎖性やもっというな
らば、日本人の自身の閉鎖的、画一的な価値観やライフスタイルに問題があると思
う。携帯電話の爆発的普及や、インターネットの普及でビジネスでも個人間でも電
子メールなるものが盛んに用いられるようになり、毎月、毎週の号でパソコン誌、
インターネット誌などでこれが採りいれられぬことはない。が、そのほとんどはど
うやってそれを発信したり、受信するか、ファイル添付がどうだ、ファイル圧縮は
どうやってやるかなど技術論がほとんどである。
方法論、技術論も大切だろうが、実は一番大切なのは、そこでどんなメッセージ
を交換するか、それによって何を得るかのか、得ないのか、なにを創るのか創らな
いのかという本質論である。企業の中でも今や、その8割が電子メールのインフラ
を作り実施している。一般個人もインターネットの普及で電子メールのアドレスを
持つ人が増えた。中には二つも三つも持っている人もいる。しかしそれをそれぞれ
本当に活用している人は実際どれほどいるのかという問題になる。実際に有効活用
している人はメールアドレス保持者の5%か10%という現実ではないか。これが
アメリカになるとおそらく30%、40%いやもっと高い数字になると思う。ネッ
トワーク化による経済格差はそのことによっているという側面があろう。
なぜそうなるか。私は主として3つ理由があると思う。
1)日本社会の閉鎖性や、縦割り社会構造がその普及のじゃまになっている。
2)そもそも電子メールを自由に読み書きするための「読み書き」の技術が不足し
ている。
3)単なる挨拶やなどは別にして、日本人には互いの会話をはずませるだけの自
己主張の能力が基本的に欠如している。
それぞれの内容について語るとなると何十ページも必要になろう。それぞれ根本
的な問題があり一朝一夕で解決する問題ではない。そのための解決策として先日の
総理の諮問機関である「21世紀懇話会」の答申にもあったような、日本の教育の根
本的改革の問題にさかのぼる。それは要するに上の1)と3)の問題をどうするか
についての答申である。これについて話だすとやはり何十ページにもなるから、こ
こではこれ以上触れない。
第一その答申では、そうした教育の改革たるや2020年から始まるのだそうだ。
ネットワーク化がどんどん進む中、もうそんなものを待っている暇はない。
私にいわせるとネットワーク化とは一言でいえば電子メールの普及であり、その有
効な活用であると言って過言でないと考える。そして今こそ、学校、職場、一般社会
において、学校では子供達が、職場においてはその従業員や管理者が、そして一般社
会ではできるだけ多くの人が、この電子メールなるものを、あらゆる仕事の場、プラ
イベートな場でどんどん使ってみることが大切であり、またそのための教育が必要な
のだと思う。
理屈ではない。さまざまな場でこれを使ってみることで、経験してみることで、日
本人自身のこころや、今日の日本社会の閉塞状況打破の突破口になると私は信じてい
る。最近私自身が始めたメーリング・リストなどはそのすばらしい、そのためのイン
フラであり、お互いの訓練の場だと考えるものである。
理屈は後でいい。まず電子メールをやってみよう。
2000/3/11
Tadashi HAYASE
今週の意見(158):
官尊民卑の叙勲
前からおかしい、おかしいと思っていたが、あまり誰もなにも言わないので黙っ
ていた。が、最近ようやく問題になりだしてさもありなんということが一つある。
日本の叙勲制度である。文化勲章とか、文化功労者、それに春秋年二回の叙勲。勲
何等旭日大勲章とかなんとか。
文化勲章とか文化功労者の方は、こちらもさまざま疑問はあるが、とりあえず、
文化面で実績を上げた人だからこれは一応納得するとして、横においておこう。お
かしいな、と思うのはあの勲何等、と言うやつ。まず勲一等から始まって勲何等ま
であるのやら。勲一等は内閣総理大臣とか国会議長とか、最高裁長官を勤めたとか
いう人が対象なら、勲六等とかは、片田舎でなにかコミュニテイのために長年貢献
をして、なんら功績があったとか、日本の古典文化維持に努めたとか、そんなこと
だ。
要するに国と地方行政機関のピラミッド組織に従ってどの地位についたかで、も
らえる勲章のレベルが違うわけだ。最近政府与党の中からも声があがって、そうし
た叙勲制度はすこしおかしいのではないかと、見直しや、制度改革の声があがり、
その改正について検討がはじまったようである。遅きに失したが、まあそれは結構
なことだと思う。
国といわず地方行政といわず、国家社会のため貢献のあった人を表彰したり、褒
賞したりすること自体にはなんら異論はない。企業社会にだって、どんな組織にだ
って、その組織発展のために働いた人を表彰しようということはあるし、あって当
然だろう。問題はその選定基準である。それはやはり公平かつ万民納得のいくもの
でなければならない。大変難しいことだとは思うが。
ところが現在の叙勲制度は完全に官尊民卑。上記のように勲一等は元内閣総理大
臣か、国会議長で、知事なら勲二等で、地方市の市長なら三等でといった調子で
きまっているらしい。民間企業出身者も叙勲の対象にはなるが、勲一等は多分上場
会社、それも官に近い企業の社長で、経済団体連合会会長など要職を務めた人など
という基準なのであろう。
要するに完全な官を中心にした褒賞制度になっていることはまちがいない。この
民主主義の世の中、その勲章という言い方がおかしいし、なぜそんな等級をいくつ
も作って差をつけるのか。それがもう時代錯誤と言わざるをえない。
それぞれの国家社会に対する貢献度にはたしかに程度の差はあろう。しかし、職
業に貴賎なし、ましてやなぜ官の仕事ばかり高く見るのかわからないのである。ま
あ等級で呼ぶのでなく、せいぜい3種類程度の褒賞レベルがあって、別の呼び方で
分けているのならいい。勲一等から六等とか七等とまで、どうしてそんな差をつけ
るのか。
そんなことはどうでもいい小さい問題ではない。民主主義の根幹、根本精神に関
わる問題なのである。マスコミの報道だっておかしい。「XX元総理大臣に勲一等」
なんてでかでかとトップ記事に取り上げるそのセンスからまず改めてもらいたいも
のである。
2000/3/18
Tadashi HAYASE
今週の意見(159):
春闘の終焉
今年も春闘が進行中だが、いつもの年とかなり事情がちがうようだ。鉄鋼、造船
など参加各社の足並みがそろわず要求に対する回答の内容もばらばらのようだ。
電機労連の委員長だったか、もう春闘は終わりだ、みたいな発言をしていたのが
目立った。
大体がそれぞれ産業別労働組合がまとまって、横並びの要求をし、会社側もそれ
に少々の違いはあってもそれぞれ相談しながら大体横並びの回答をするというスタ
イルは戦後労働運動の中で確立してきた。ここ数年不況が続く中で、各産業、各
企業ともさまざまな経営状況、事情の中で、要求通りの賃上げをするどころか、ゼ
ロ回答、場合によっては賃下げすら回答するところが出てきてもおかしくない状況
になってきた。現実そのような結果になったこともある。
このような横並びの賃上げ要求、そして回答は、高度経済成長時代には殆ど問題
なかった。各産業を代表する大手企業はそろって高度成長を謳歌していたから少々
無理とも思われる組合の要求にも答えることができたわけだ。
どこの産業組合の委員長だったか要求よりはるかに悪い内容の回答しか引き出せ
なかったことに絶望し、執行委員長として「責任を感じる」などと発言していたの
を見て、おかしなことを言うなあ、と思った次第だ。年功序列賃金から実績主義の
賃金体系への移行、終身雇用制の廃止など経営側がどんどん従来の伝統的な人事制
度見直しを実施していく中で、組合の存在意義そのものが問われ、組織率がどんど
ん低下して行く。そんな状況の中で、従来のような横並び春闘が見直しに迫られて
きた、いるのは当然のことだと考えられる。経営側の人事政策、対組合政策、また
その考えが変わっていく、変わっていっているなかで、組合側がその変化に根本的
に対応できていないということなのだろう。
私は別に労働組合の存在そのものを否定するつもりはない。いやその重要性を鑑
みて今こそその存在意義を自身じっくり見直す必要があると言いたいわけだ。どん
な時代になろうが、経営の中にあって、経営者または使用者と労働者はその経営目
的を達成するためにそれぞれの任務を果たし、協力しなければならないという反面
その成果をどう配分するかということについて、その利害が対立することは避けら
れないものであるからだ。ただそれが、これまでのような産業別の横並びの要求、
横並びの回答のような、大ざっぱなことで済む問題でないと考えるものである。
各産業、各企業はそれぞれその経営環境、経営方針、中身の違いがあって、それ
ぞれがそれぞれに応じた労使関係があり、それを確立していく必要がある。それを
年一度まとめて交渉し、決着するようなことでは到底収まらない問題だと思うので
ある。もう横並びの春闘などやめるべきだ。労働組合にとってもいまこそ、その独
自の存在意義、組織のあり方、組合員と組織全体の発展のためになにをどうしたら
いいか、考えをまとめ直すことである。
2000/3/25
Tadashi HAYASE
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