1999年 今週の意見 6月

今週の意見(120):

住民投票の是非

 吉野川の可動ぜき建設をめぐって、建設省とこれに反対する住民の対立が続いて
いる。4月に行われた地方選挙で、徳島県議員40人のうち、 住民投票実施賛成派
が22名を占めるにいたって、この問題には全国の注目が集まった。

 選挙結果を見て、建設は予定通り実施するという建設省もその方針を変え、一時
議会でも、住民とも十分話し合いの上建設か否かを決定すると言っていた。が最近
になって建設大臣は、「そもそもこういう問題に住民投票制度はなじまない」など
と発言し、建設を予定通り進める、言い出した。国会での追求、建設賛成派の議員
や地元からの圧力があってのことだと思われる。

 住民投票実施派はこれに反発したのは当然で、全国の住民投票を推進するネット
ワークなどのグループなどとも連携し、住民投票推進のネットワーク全国大会を徳
島で行い、住民投票を条例化する運動を始めている。

 ことは吉野川の可動せき建設だけの問題ではない。その工事については、建設推
進側から言わせると水害を防ぐ治水という大儀名分があるとともに、なにしろ膨大
な建設投資が行われ、地域経済の活性化につながるという計算がある。建設省側は
これに対して予算の手当もし、建設省の実績のためにも是非、予定通り建設計画を
進めたいところである。

 これに反対する住民側の論理は言うまでもなく環境保全である。水害防止の名目
のために川をコンクリートで塗り固め、結果的にそれが貴重な自然の破壊につなが
ることに疑念を呈しているのである。当然のことだ。で、その是非については広く
住民の直接投票で決めようという運動を起こしたわけであり、そのことは極めて自
然の成り行きであると思われる。

 私はそれぞれの側の言い分、どっちが本当に正しいのかどうか、詳しくはわから
ない。が、自分たちが住む地域の経済問題、環境問題に深く関係するこの問題につ
きその決定のために住民投票を実施しようという考えがなぜいけないのか、それが
なぜ住民投票という制度になじまないのか全くわからない。

 住民投票が問題になったのはなにも今回が始めてではない。現在神戸での空港建
設をめぐって、問題になっているし、最近の例では原発建設をめぐっての新潟県巻
町のそれや、沖縄県米軍基地建設をめぐって住民投票など実際に投票が行われたケ
ースがあった。が、いずれもそれは法的根拠がないという理由で、それ自体が政策
決定に直接関わることはなかった。

 私はそのそれぞれの結果について、うんぬんしているのではないし、しようとも
思わない。一番の疑問はどうして住民投票という制度の法的な制度化を進めないの
か、という点である。法的に根拠がないから実施しないという言い分はおかしい。
なければそれを現在の法律を変えて、それをそれぞれの地方の政策決定のための一
つの制度として認めたらいい、認めるべきである。

 議員を選び、その議員によって議会で政策決定を行うという制度を否定するので
はない。住民、市民の生活に直接影響のある重要問題については、広く、そして直
接住民の意志を聞いてみるという制度のどこが民主主義に反するというのか。これ
こそ憲法が保証する国民の参政権のもっとも基本的な部分の一つではないのか。も
し現在その制度がないと言うなら、その実施のために新しく法律を作ったりするこ
とに何の問題があろうか。

1999/6/5
Tadashi HAYASE
今週の意見(121):

総合学習

 文部省は新学習指導要領を前倒しし、「総合学習」を来年度から実施することことに
なった。新要領の目玉で、国際理解や、情報、福祉などを教える「総合的な学習時間」
は来年度からの実施が可能になる。どんな総合学習をするかは各学校の判断にゆだね
られているため、現場には戸惑いもあるが、文部省は先駆校の事例集を配布するなど
して準備をうながす。  ー6/3 日経新聞 P39

  この総合学習なるものと並んで道徳教育の実施もある。この大切さについてもコ
メントしたいがそちらの方はとりあえず横においておこう。

 「総合学習」ってそもそもなにか。新指導要領ではこれを行うため国語、社会、算数
理科、外国語などの時間をわざわざ削減するのである。

  総合学習とは「小学校3年以上で体験学習などで学ぶ姿勢、生きる力を身につける」
などとある。これについて最近盛んに講習会が開かれて先生方が、それに出席しいろ
いろ学んでいることがテレビのニュースでも報道されていた。実体験を通じて、自分
で問題を考え、問題解決の能力を身につけさせようとのねらいか。

  そうした学習の必要性を否定するものではない。実体験とか事例研究、ケーススタ
デイの必要性、有効性もわかる。が、問題はなぜそれが「総合学習」の名のもとに行わ
れなければならないのかということ。そんな言い方をするから、現場の先生方が悩む
のだと思う。

 そもそもその体験学習なるものが、どうして従来の国語、算数、理科、社会、それに
外国語など従来の学科の中でできないのか。実体験、世の実例を通じて、自ら問題設定
をし、それに対する答えを自ら考えるということは各教科、特に社会とか理科の中でで
きることではないのか。それこそそれぞれの教科の中で、それを先生が実社会の実例を
さまざまあげながら、教えていかなければならない場面はいくらでもあるはず。そうし
たものの積み上げが「総合学習」となるのではないだろうか。

 それに今問題になっているパソコン教育。これも先生が足りない。なにをどう教え
たらいいのかわからない、という問題になっている。このため雇用対策も含めて教員
を10万人ばかり雇う計画などもあるようである。パソコンの教育もいわば「総合教
育」の一環なのではないか。それは単にパソコンの使い方という技術論だけではない。
これを使い、インターネットなどを併用すればそれこそ生きた世の中の実体験をし、
他の世界との交流を含めた総合的な教育が可能なのではないか。

 あれはあれ、これはこれなのではない。それぞれの教科といい、パソコン教育といい
それに総合教育と言ってもすべて互いに関連したものであることを忘れてはなるまい。

1999/6/12
Tadashi HAYASE
今週の意見(122):

自自公連立について

 このところ自自公連立が取りざたされている。さまざま出てきた新しい法案
をなんとか通そうと、政府自民党は何かにつけて公明党を取り込み、国会で多
数を占め法案成立をめざす。重要なものでは防衛に関するガイドライン法が公
明党の賛成を得て法案が成立した。最近では、通信傍受法が公明党の賛成を得
て衆議院を通過した。さらに国旗、国歌法案や、住民基本台帳法など懸案事項
が目白押しで公明党をとりこんでこれを通そうという構えである。

 公明党は今や政治のキャステイングボートを握っている。自民党は自分では
必ずしもあまり賛成ではなかったが、例の愚策と言われた地方振興券の発行な
どについても、公明党の顔を立てて導入したことはご承知の通り。それをいい
ことに公明党は今の小選挙区制が自分たちの党には不利だからと以前の中選挙
区制に戻すことを画策し、これを自民党に要求したりしている。これはさすが
にそう簡単にはいかないようである。

 公明党との連立は今年始め自自連立ができたいきさつとは少し事情が異なる
ようである。どちらがどう連立を持ちかけたかは別にして、自由党はいくつか
独自の政策課題を提起し、そのいくつかを自民党が受け入れたことをベースに
して連立が成立した。世間やマスコミはそれを従来型の政党間の合従連衡に過
ぎないような評価をしていたが、少なくとも連立の条件として当初政策につい
ての話し合いがかなりあったことはまちがいない。政党の連立は本来そうある
べきである。

 今の自民党、公明党の連立交渉はそのような政策を中心とするものではない
ようだ。自民党からするとなにがなんでも国会での多数派工作のためのように
政策については場合によっては安易な妥協も辞さない。公明党もまた、上で述
べた中選挙区制の要求など、国民のための政策というより自分たちの選挙にお
ける生き残りのため、それがいかに有利かどうかばかり考えているふしがある。

 そうした動きに関して、自由党の小沢党首は、「自自公の連立が成立するか
どうかは、あくまでその政策が一致するかどうかが条件だ。自公が連立しても
その政策が自由党のそれと一致しなければ、自由党は連立を離脱する」と語っ
ているのは当然のことである。

 いわゆる55年体制の崩壊以来、自民党を除いてさまざまな党ができたり壊
れたり、必ずしも政策の一致のない合従連衡が繰り返されてきた。現在の民主
党もまだまだそういう意味で内部の各グループの政策が固まっているとは言え
ない。

 政治は力なり。結局は国会での議員の数の多さでことが決まるのだという考
えで数合わせばかりに奔走する愚はもうやめるべきだ。そういう政治に国民は
もうあきあきしているのである。政治の力はあくまで政策によって、その政策
を訴えた政党の国民からの支持によって生まれるのだという当たり前のことを
この際政治家はもう一度確認すべきである。

1999/6/19
Tadashi HAYASE
今週の意見(123):

日本人の英語力

 アジア諸国の若者を対照にTOEFLの英語テストが行われ、 日本が参加国中
32位と北朝鮮と並び最下位という結果になった。第一位はシンガポール。マスコ
ミでも報道されて話題になった。で、それがどうした、なにが問題なのだという反
応もあるし、そもそもそんなことには全く無関心というのが一般的なのだろう。一
部にはそれはやはり日本の将来にとってゆゆしき問題だ、という反応もある。私は
それはやはりさまざまな意味で一つ日本の将来にとっての大事であるととらえたい。

 自民党の次期首相候補の加藤氏がテレビ出演し、この問題と関連して政策論争の
一つとして、日本人の英語力改善の必要性を訴えたいと述べていた。けだし、極め
て当を得た見識だと思う。ちょうどケルンでサミットが開かれており、小渕首相が
出席している。サミットというと、いつも日本の首相だけが各国首脳の中で何か浮
いた存在のように見えるのは、その語学力特にいうまでもなく英語力が問題である
ことは明らかである。公式会議の場では英語で発言する必要などさらさらなくそれ
ぞれ自国の言葉で発言し、それが全部それぞれの言葉に翻訳されて伝わるからその
点問題はない。

 が、問題は食事の場とか、インフォーマルな場での雑談や、意見交換の場でまで
通訳を介して会話するかどうかなのである。直接英語など共通語でコミニュケーシ
ョンがはかれるかどうか、お互いの人間関係、信頼関係を深める上でも極めて大切
な問題である。一部の例外を除いて日本の歴代首相は語学力が極めて弱く、その点
で大きなハンデイを背負っている、いたことは言うまでもない。

 いや、サミットの話は今や国際化する社会の中で、その一員として生きていく上
で英語ができるかどうかの大切さを象徴することとしてとりあげたまでである。そ
して今やなによりもインターネットが代表しているグローバル化、情報化の中にあ
って英語が必須の通信、コミュニケーションの手段であることは今更あらためて述
べるまでもないだろう。

 このことは以前「今週の意見」の中でも小学生から英語を教えるべきだというこ
とを含めて何度か、日本の語学教育特に英語教育のあり方の再検討、根本的な改革
の必要性を訴えてきた。いったい何が問題で、何をどうしたらいいのか、などとい
う細かい問題についてはまた別の機会に譲りたい。が、この問題ははからずも加藤
氏の問題指摘のように、今日叫ばれている日本社会の構造改革、教育改革の中心問
題の一つなのだということを述べておきたい。

 国際化の波にのり、インターネットや英語学習に対しても結構熱心に取り組んで
いるように見えるこの国の若者の英語力が、あの世界の孤児「北朝鮮」の若者のそ
れと同じ程度という事実は一体なにを物語っているか。日本語が英語ともっとも遠
い言葉だからだ、などというもっともらしい解説もある。私はそうした教育論技術
論もさることながら、なによりも日本人が、自ら、自らの言葉でもっと自分の言い
たいことをきちんと主張しない、できないという、そのこころの「閉鎖性」がなに
よりもその背景になっているような気がするのである。

 その問題を含めて、我々日本人はあらためて英語を学び、それを実用的に使いこ
なしていくことの大切さと、その実力をつけることの大切さを認識し直す必要性が
大いにあるということをこの際再度指摘しておきたい。

1999/6/26
Tadashi HAYASE

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