2000年 今週の意見 6月

今週の意見(169):

乱れているのは言葉ではない

 23日文化庁が「国語に関する世論調査」を行い発表した。「とてもよかったみ
たいな・・・」若者を中心としてこんな曖昧ないいまわしや、ぼかすような言い方
が流行っているとのこと。それに誤った敬語の使い方が目立つという指摘があった。

 お荷物のほう、お預かりします
 鈴木さんと話し、とかしてました
 わたし的にはそう思います
 とてもよかったかな、みたいな
 (相手の反応を見る)
 やっぱり帰ることにします、うん
 (自分で返事をする)
 5/24 日経新聞 P38 

 テレビなどインタビューで答えている若者がそのような言葉を使っているのを聞
いて、へえっと思ったことはある。最後のうん、と自分で返事をしながらやるのは
一般の大人にもかなり使われているようだ。

 その上の、とか、みたいな、わたし的とかいう表現、一体なんですかそれ、って
言いたくなる。解説では相手を傷つけないように、できるだけ遠回しにいい、直接
的表現を避けるというのがどうやらその本意らしい。

 どうして私はそう思う、と言わないのか、言えないのか。わたし的にはそう思い
ます? 

 とても、よかったみたいな・・? どうしてとてもよかった、と普通に言わない
のか言えないのか。相手がそれはよくなかったと思っていたら相手を傷つけるし、
それがわかったら自分も傷つくことになるからか。いや、そうらしいい。

 こんな現象を見ていて、問題は言葉が乱れているとか敬語の使い方が違うとかの問
題ではなさそうだという気がしてきた。要するに精神が軟弱なのである。お互いすべ
てをあいまいにしておくことが無難で安全なのである。

 こんなことでは、21世紀の教育が目指しているとかいう時代を担う個性豊かな人
間を育てるなんてことは根底から難しいことだと考えた。

 私はこう考える。そうはっきり断言できるような若者教育を取り戻すことこそ事の
本質ではないか。いや、考えてみると曖昧言葉を使うのは若者に限らない。日本社会
で使われている言葉には随分あいまいなものが多い。直接的表現を避けてあいまいに
いうのは日本語の特色であり、日本文化の特色なのだ。

 一つ典型的な例を言おう。森総理の「神の国」発言だ。それを言ったことを謝罪し
ておいて、しかしそ自体は撤回しないという。一体それどういう意味でしょうか、と
言いたくなる。日本は日本人はそうしたところからなおしていかなければならない。

 問題は若者の言葉の乱れではない。それを生みだしている軟弱な、曖昧な日本人の
精神構造なのである。

2000/6/3
Tadashi Hayase

今週の意見(170):

国体論

 「神の国」発言に続いて森総理がまた失言を繰り返した。「どうやって日本の国
体を守ることができるのか」という言葉だ。当然のことながら野党はまた戦前の天
皇制を基本にした国体護持を意味したものだと大騒ぎ。またもや、森首相の資質問
題を全面に出しての攻撃である。

 そして今回は悪いことに森総理、それが失言だと認めてしまった。でも撤回しな
いという。どうもそこのところがよくわからないのである。撤回しないのなら失言
でしたなどど認める必要はさらさらな
い。

  私自身は国体という言葉がなぜそんなにタブーなのかよくわからない。問題はそ
の言葉自体でなくなの中身であることはそうだ。それが戦前のような天皇制を絶対
とする軍部による政治支配のような体制を意味するのなら、それは間違いであるこ
とはいうまでもない。が、どうやら、それは自民党幹部自体が否定するようにそう
ではないことは認めてもいいのではないか。

  国体という言葉、もっと当たり前に「国家の基本的体制」という位の意味でとら
えたらいいと思う。現在のところでは憲法で、象徴天皇制のもとでの主権在民、3権
分立の民主主義体制ということになっているのではないのか。

  そうした国家体制の維持するのかしないのか。一部修正するのかしないのか。そ
れが国体論だと私は思っている。なにをそんなに大騒ぎするのか、私には一向にそれ
がわからないのである。

2000/6/10
Tadashi HAYASE
今週の意見(171):

百姓町民よ怒れ

 「過去にけんかしたことにこだわるのは百姓町民のやること。われわれが侍とま
で言わないが、国家のために何をなすかと言うことで議論し、3党共通公約を作っ
た」 ー6/11 P39 朝日新聞 

 例の亀井自民党政調会長殿の大阪での街頭演説の一節だ。自分は侍とは言わない
がと言ってるが、自分達はその格で、野党は天下国家のことを考えない百姓町民と
罵っているわけである。

 あの人の暴言、大抵はご愛敬として聞いているが、この発言は許せない。まるで
江戸時代の士農工商の階級差別のセンスである。いや体質はそのものずばりなのだ
ろう。今は士農工商の江戸時代ではない。その百姓町民が主役の主権在民、民主主
義の世の中なのだ。

 森総理の「神の国」発言以上の大暴言だと私は思うがいかがだろうか。百姓町民
とはすなわち一般国民大衆のことである。要するに一般国民大衆は政治のことなど
わからない。自分たち侍クラスこそ国家国民のために政治をやっている。百姓町民
に何がわかるか、とおっしゃってるに等しい。朝日新聞もこのコメントをそのまま
紹介しているだけで、批判はしていない。おかしいではないか。もっと大新聞にふ
さわしく糾弾の社説でも掲げたらどうだ。森総理の「神の国」の時は大騒ぎしたく
せに。

 怒れ、百姓町民よ、国民大衆よ。悪代官面の亀井に抗議しょう。

2000/6/17
Tadashi HAYASE
今週の意見(172):

ドイツ原発廃止

 ドイツは2030年代に原発を全廃することを決めた。社会民主党と原発即廃止
のみどりの党の連立であるシュレーダ政権が打ち出した妥協策にはちがいないが、
それにしても、あと30年で原発全廃を決めた国は他にない。

 ドイツは総電力量の30%を原発に頼っており、果たして30年間でそれに代わ
る発電手段をどうしていくのか、国家としてどういうエネルギー総合政策を展開し
ていくのか、興味のあるところである。

 みどりの党がそのバックにあるということからしても、それがエネルギー政策と
ともに環境問題、国家として環境政策をどう展開していくのかという問題であるこ
とは言うまでもない。これもあわせて今後ドイツにおける今後の国としての環境政
策を見守っていきたいころである。

 10年ほど前からパソコン通信のフォーラムなるものをやってきたが、この原発
問題が何度も討論の対象になったことを思い出す。当時から原発反対、容認と二派
に分かれてさまざま議論したものだが、私などは容認派の最たるものであった。当
時の状況からしてそれ自体今でも間違いでなかったと考えている。

 が、その後世界のエネルギー事情、CO2削減の地球環境問題など状況は大きく
変わった。人々のライフスタイル、価値観も変わった。その中で日本でも原発問題
を改めて考え直して見なければならない。日本は多分先進国ドイツの後追いをする
ことになるのだろう。今後の大きな政治課題である。

2000/6/24
Tadashi HAYASE
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