今週の意見 −7月
今週の意見(22):
道徳の欠如
住友商事が銅取引で1960億円もの損失を出したとか、高島屋の総会屋対策
とかあのような一流企業の中で起こる事件とは信じがたい事件が起こるものであ
る。このところ日本の企業がこうした不始末を起こし、世界の話題になっている
のはまことに恥ずかしい限りである。日本の常識は世界の非常識という言葉があ
るがまことにその言葉通りの事件であると言わざるをえない。高島屋の総会屋対
策事件などは、その手の犯罪の氷山の一角だと言われる。大企業上場の歴史の長
い企業なら多かれ少なかれやってきた、そしていまだにやっているところがある
というのだからあきれた話である。過去の総会屋との腐れ縁、それは不問にふす
から今後は暴力団とののつきあいはやめましょうと警察当局も言ってるのに、そ
の関係をずっと続けてきたというのは信じがたいことである。
担当者ももちろん命がけになることはわかる。実際にそうした関連で殺人事件
が起こったこともあった。しかしそんな腐れ縁はどこかで決心して断ち切る以外
にはないのである。そうした関係をずるずると関係を続けて警察に摘発されるか
多少の危険はあっても思い切って関係を断ち切るかなのである。多くの企業はそ
の関係を断ち切ったからこそ、総会屋なるものも激減したのである。それをしな
かったのは一途にその勇気がなかった一語につきる。
社内でもそれがわかっていて皆見て見ぬふりをする。その結果それは自分の身
にふりかかってくるわけだ。社会的信用を失墜し、売上が落ち企業としての業績
が悪くなればたちまち自分の生活にかかる問題となってくる。決して見て見ぬふ
りをしてすまないことだ。
社会的悪に対し見て見ぬふりをするのは日本の社会の病根である。電車の中で
悪酔いの男が若い女性に嫌がらせをする。乗客は皆見て見ぬふりをする。学校で
いじめが発生するのもそうである。ひどくいじめられれている子供を心ある子供
が協力してかばってやったり、場合によっては校長に通報したり警察に通報すれ
ば防げる話なのである。ひどい場合教師まで見て見ぬふりをするのが日本の社会
なのである。なんという堕落した社会なのか。
日本人は悪に対する道徳感覚が麻痺しつつあるのではないか。やれ民主主義だ
権利だ、平等だ、自由だと言う前に身の回りの悪に対してももっとちゃんとした
道徳観を持つべきである。悪いものは悪い。悪いものは皆で協力して排除する。
または警察の力を借りて排除するという断固たる態度と決意をもつべきだ。それ
が市民社会が成立する最低の条件である。そういう条件すらない社会の企業に最
低の道徳観も存在しえないのは当然かもしれない。
1996/7/6
Tadashi HAYASE
今週の意見(23):
エアコン
梅雨明けが間近い。いよいよ本格的な夏である。日本の夏は特に蒸し暑くて過
ごしにくいことはまちがいないが、私は寒い冬よりこの暑い夏の方が好きである。
ふうふうと汗をかきながら、わずかな涼を求めて、ひやりとするござの上での昼
寝もまたいいものである。最近はエアコンなるものが発達して、真夏でも実に快
適に過ごせるようになった。オフイスでも家でも、エアコンのおかげで暑さと蒸
し暑さのために仕事ができないとか、寝苦しい夜をもんもんと過ごすというよう
なことはなくなった。
ただエアコンが効きすぎたオフイスで女子社員が膝に毛布を掛けて冷えすぎを
防いだり、クーラ病の人が出たりするのは本末転倒だと思うわけだ。エアコンを
かけた部屋にいると、ある人はそれで快適といいと言い、ある人は効き過ぎ、あ
る人は、まだそれでも暑いという。エアコン設備自体の問題もあるが、要するに
個人の体感温度にかなり大きな差があるわけである。じゃ一番暑いという人に合
わせるかとなってがんがん冷やして、多くの人は寒い寒いとセータを着込んだり
することになるとまさに本末転倒である。
新幹線や飛行機に乗っていてもよくそういう光景を見かける。エアコンが効い
ているのは快適だが、効きすぎていて毛布をかぶったり、セータを準備して乗ら
ないと寒くてかなわないなどということがよくある。もう少し温度調整を考えて
もらいたいのである。まあ全ての人に快適にというのは不可能であるから、まあ
多少高い目に設定するのが正解だろうと思う。それでも全くエアコンのない状況
よりはるかに快適なはずだからである。
どこにもエアコンが入ることになって本当に快適になったか。街の真ん中に住
んでいると、どうやらそうではなくなったような気がする。町中どこの家にもエ
アコンが入ったおかげで、その排気で外の空気はますます暑くなる。窓を開けて
天然自然の空気を入れようとしても、外気の温度自体が天然のそれより上がって
しまっているわけだ。マンションなどに住んでいて、多少涼しい夜は窓を開けて
空気を取り入れようとしても、隣近所でがんがんエアコンを運転させていたら、
自然の外気を取り入れることもままならなくなるわけである。で、しかたなくこ
ちらもエアコンを入れて、となる。
エアコンは確かに快適だが、快適さを求めるあまり、自らさらに自然の環境を
破壊し、生活しにくくしている面があることを反省したいものである。エネルギ
ー節約のためにも、本来の健康維持のためにも多少の暑さは我慢してできる限り
自然の環境で生活する訓練が改めて必要なのではないかと思う。
1996/7/13
Tadashi HAYASE
今週の意見(24):
大和撫子のオリンピック
アトランタ・オリンピックが始まる。さまざまな競技で世界中の一流選手が技を
競うオリンピックはやはり見物だ。 参加国の数もこれまでの最高。日本からの選
手の参加もこれまでの最高だそうだ。
日本は金メタルをいくつ取れるかが、マスコミの、そしてちまたの話題の焦点
だが、今度のオリンピックに関しては、日本が、というより、日本の女子が、と
言い換えた方がよさそうだ。柔道、水泳、マラソン、テニスとメタルを取れそう
な種目は全て女子選手が活躍しているものばかりだからだ。開会式で日本の旗手
を女子柔道の田村選手がつとめるというのも象徴的だ。誰もあまり不思議とは思
っていないようだが、それはかっての大和撫子のイメージからいうとまさに隔世
の感がある。
女性が男性より肉体的に劣っているとか、ハンデイを持っているなどというの
はどうやらまちがいらしいと男性、女性ともに気づきはじめたのはいいことか、
悪いことか。それは総じて言えばいいことにはちがいない。それは決して男性、
女性が対等に同じ土俵で戦うという意味ではないが、かって女性には到底無理だ
と考えられた激しいスポーツにも女性がどんどん進出しているという事実がある。
しかも大和撫子という名で代表される、柔和でやさしいというイメージを代表す
る日本の女性がそうしたスポーツの世界、世界のひのき舞台で活躍するというこ
とを日本人特に男性は単純に喜んでいいものか、どうかと、ふと考えるわけだ。
いうまでもなく、それは喜ぶべきことなのであろう。大和撫子の名で代表され
る女性の特質と、そして強固な精神力、そして肉体の力をそなえた日本の女性が
オリンピックのひのき舞台で活躍することを、日本人、また日本の男子たるもの
はそれを喜び、そして誇りを持つことであろう。そして女性ばかりに名をなさせ
ないぞと、男どももおおいにがんばりたいものである。それはスポーツの世界だ
けの話ではない。ビジネス、社会生活のあらゆる面でも言えることなのだ。柔道
の田村選手のあの勝負に対する積極さやそして陽気さ、テニスの伊達選手の沈着
冷静なねばりや高度の技術、それこそ日本の男性が今何よりも学ぶべきことだと
思うわけである。オリンピック男性軍では体操の畠田選手の鉄棒ウルトラEを是
非みたいものである。
1996/7/20
Tadashi HAYASE
今週の意見(25):
CO2国際会議
暑い、とにかく暑い。今年は梅雨明けが比較的早く、本格的夏の訪れも早かっ
たようだ。暑いと言えば、今地球の温暖化が、地球全体の問題、人類全体の問題
になっている。いうまでもなくCO2による地球温暖化の問題である。今のまま
で大気中のCO2濃度が増え続けると、それが地球の温暖化を促進し、海岸の水
位が上がって陸が埋没してしまったり、その他地球規模での常気象現象がさまざ
まおこる可能性がある。先週はそれについて世界中の環境担当大臣などが集まっ
て、CO2削減のための会議がジュネーブで開かれた。
最近の国際ニュースと言えばアトランタ・オリンピック。それにASESAN
のニュース。CO2会議がそうした国際的ニュースの陰に隠れてしまった傾向が
あるが、それでなくても先週ジュネーブでそうした重要な国際会議が開かれてい
たのに、日本のマスコミはあまりそれを報道しなかった。関心が低いのである。
日本ではもちろん、国際的にもっと関心がもたれていいことである。
CO2会議とはいうまでもなく地球温暖化とそれにともなうさまざまな地球規
模の環境破壊の原因が大気中のCO2濃度の上昇にあること、従ってCO2濃度
を国際規模で減らすという共同目標を設定しようというものである。その事自体
の国際的な認識は一致していて、だからこそこのような国際会議が開かれること
になったのは結構な話である。しかしCO2削減の必要性は参加各国が認めてい
るにしても、その目標設定法については、それぞれの国の利害がからんで、なか
なか意見が一致しない現状である。
特に発展途上国は、これから工業化を進める国々と、既に工業化を進めソフト
化サービス化が進んでいる先進工業国ではその削減目標に差をつけるのは当然で
あるという意見である。これに対しドイツイギリスなど先進国はその目標設定の
基準をどうするかなど極めて難しいことであるからと、一律の削減目標設定を主
張している。日本はオーストラリアなどとともに同じ先進国、発展途上国といっ
ても経済・産業構造が違うからそれぞれの内容に応じて削減目標を設定するべき
だと主張している。今年の会議では削減目標設定の結論は持ち越され、来年12
月京都で開かれる会議で討論を継続することになった。が、果たしてこの問題に
そんなに時間をかけていいものかということである。
経済の発展度、産業構造の違いに応じて削減目標を設定するという日本ななど
の主張が合理的なように思えるが、確かにそれをどう設定するかは難しいことに
は違いない。しかしだから一律というのも発展途上国からの反発があって決まり
にくいのも当然だ。問題はもう議論ばかりしている時期ではなく実行の時期がき
ているのではないかということだ。最終の削減目標を決めるのは先になるとして
も、まず各国が削減すべき最低目標、それが仮に1%であってもそれを設定し、
各国が削減に向かって共同努力の一歩を始めることが大切だと思う。このままだ
とCO2は間違いなく増え続け、温暖化はさらに進んでいくことも事実である。
そしてそれがさまざまな地球環境破壊をもたらし続けることは間違いない。
こういう問題にこそ日本及び政府は一層のイニシアテイブを発揮していくべき
だと考える。そして経済のソフト化、サービス化を進め、また様々なそのための
技術開発を行ってそのお手本を世界に示すべきである。
それになによりも大切なことは地球全体の緑化である。CO2が増えたのは工
業化と緑地帯開発のせいであり、森林破壊、海洋汚染がもう一つの大きな原因だ。
地球規模での緑化運動が今なによりも大切なのではないだろうか。それこそ各国の
利害対立などあるわけはない。
1996/7/27
Tadashi HAYASE
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