1997年 今週の意見 −7月

今週の意見(25) 大学は職安ではない ちょっと旧聞に属するが5月はじめ朝日新聞朝刊論壇に、某私立大学の教授の 就職協定廃止非難論が掲載された。今年から企業のいわゆる就職協定が廃止され たが、それが大学側の教育に大きな悪影響を与えているという論である。かって は企業の採用活動解禁は9月以降ということになっていて、それがある種の歯止 めになっていたのだが、今年からそれがなくなったために学生はもう4月の新学 期から授業をほったらかしにして就職活動に専心し、大学では授業もろくろくで きないような状況であるとなげき、そうした協定の廃止を間違いだと指弾されて いるわけだ。                               私自身は大学教育にたずさわるものでもないし、企業の採用担当者でもない。ま してや、就職協定なるものを廃止した日経連とは何の関係もない。民間企業に勤 務する一サラリーマンであることをまずお断りしておきたい。その教授は論の冒 頭で、新学期が始まったが、就職活動のため学生の出席が悪く、授業もできない 状況だと嘆いておられる。しかし、それ自体がおかしな話である。自らおっしゃ るまでもなく、授業は学生生活の全て、いやもっとも大切なものであるはず。に も関わらず、学生が常日頃授業をさぼったり、就職活動に限らず、アルバイトや クラブ活動に精を出して授業に出てこないことを黙認しているのは一体どなたか、 そういう甘い環境を作ったのは一体誰かと申し上げたい。それは常日頃の大学で の指導の問題であって、一般に、授業を大切にしない日本の大学の風土を作った のは、実は大学の現場そのものではありませんか、と指摘したいのである。   私の大学時代にも経験があるが、その授業がそもそもおもしろくなく、出欠も ちゃんとらず、休講を多発する教授がいかに多かったか。しかも出席率が悪かろ うが、授業の内容を理解していようがいまいが、単位を安易に与えるという指導 のあり方自体がおかしいと感じるのは私一人であろうか。授業をもっと魅力的な 内容のあるものとするとともに、それへの出席を厳しくチェックし、試験を含め て、平生の授業への参加を厳しく指導している教授、指導教官がいかに少ないこ とか。西原教授はアメリカの大学のことに言及されているが、実はそこのところ にアメリカの大学と大きな差があることをご存じなのだろうか。        今の学生の興味が主に就職に向いていることの是非はともかく、授業そのもの をおろそかにしている責任の大半は教える側にあると言って過言ではない。学生 が出たい授業に出ることをあきらめざるをえない状況とはどういうことか。学生 は毎日毎日就職活動ばかりに出かけるのか。就職の前に、大学の授業に出て必要 な単位をちゃんと収めることこそ、就職の大前提だということをどうして徹底し ないか、できないのか。もっともそうしたことを徹底する大学と、そうでない大 学が出てきた場合、厳しくした方が就職活動において損になるとお考えなのか。 それは絶対にそうではないことをこの際申し上げたい。もっとも望ましいのは大 学がこぞって学園を本来の教育の場に戻すことであって、そうであれば、そんな 授業を放棄して就職活動ばかりする学生はそもそも卒業できず、したがって就職 もできないことになるはず。どうもそこのところの論理が逆転しているようだ。 あまりにも学生に甘く、就職が大学に入った目的の全てであることを、しかたが ないとしてしまう指導教官が多すぎる。私の経験をお話ししたい。私が大学時代 指導を受けた教授は、そのゼミへの参加の条件は、ものすごい勉強をさせること、 就職活動のために授業をおろそかにすることは許さないということだった。学生 にこびる教授の多い中で、私自身はそれが大学の授業の本来の姿だと思った。だ からその先生のゼミに入ったのである。たしかにその授業は厳しいものであった。 他のゼミの学生が就職活動をはじめているのに、こちらは英語の辞書とくびった けの日が続いた。しかし、それでもその先生は企業説明会に出たい日がたまたま 授業の日と重なることを話したところ、ちゃんとそれへの出席を認めてくれたし その日の授業は別途リポートを提出することで出席扱いにしてくれた。そして私 やそのゼミの仲間は学生時代思う存分勉強をし、そしてそれぞれ希望の企業にも 就職できたのだった。                           そうした例をあげるまでもなく、この問題の本質はむしろ教える側、大学側、 教授側の姿勢にあると思う。日経連をはじめとして企業側が大学の教育に不満を 持っているのは、大学が本来教えるべきことをきちんと教えていないということ であって、それはそうかもしれない。企業はその採用に当って就職活動ばかりに 奔走している学生と、大学できちんと勉強をしてきた学生をちゃんと見分けるだ ろう。就職協定廃止のおかげで大学が荒廃しているなどという考えは、大学自体 の無能力、努力不足を自ら物語っいるものだと私は思う。           企業が本当に欲しいのは大学でまじめに勉強し、社会に入ってからも役立つよ うな実のあるクラブ活動をした学生だろう。大学の名前だけとか、かっての求人 難の時代のように、数さえそろえればというようは甘い採用のしかたをする企業 はもうない。学生の4年間の学業の成果をじっくり見るとともに、まずなにより も人間そのものを見るために、あえて大学の名には一切とらわれない採用を心が けている企業が出てきているのもそうした事情がある。            就職協定廃止で勉学中の学生の切り取り競争が始まったなどという発想自体が なさけない。協定がどうあろうと、なかろうと大学は教育の場という精神を忘れ ず、そしてそのことに専念すればよい。大学側で心配するまでもなく、企業側の 採用方針ややり方もどんどん変っていくだろう。新卒まとめて何百人という方式 自体も見直され、時期にとらわれず必要に応じて、必要な人材を採用するという 形になっていくだろう。大学側、ましてや教授たるものの責任は、就職協定うん ぬんなどということではなく、個性豊かな、さまざまな能力の発展性のある学生 を育てることにあり、それが就職戦争どころか、大学自体の生き残りの道ではな いかと考えるものである。                           1997/7/5                                 Tadashi HAYASE 
      

 


今週の意見(26):



クリック情報



  最近証券会社の若手社員と話をする機会があった。私がパソコン通信やら

インターネットをやっていることを知っていて、それをビジネスにどう使え

るか、趣味などにどう使うかといった話をした。彼はそれは会社でも業務上

必要だし、証券マンとして最新の情報を集める必要もあって自宅でも最新の

パソコンを買い、ISDNもひいてインターネットを始めたということだっ

た。                                



  で、始めて一週間はそれでも情報収集の目的で新聞社のホームページを見

たり、大手企業のホームページを見たりしていたが、飽きてしまったし、た

だ情報収集ということなら新聞・雑誌を見る方がはるかに効率がいいし、便

利だということもあって、最近はもう殆どパソコンの前に座ることがなくな

ったという話だった。私は、ははあやっぱりそうかという感じで聞いていた

のだが。                              



  で、あなたはどうかと聞くので、私はずっとコンスタントにインターネッ

ト、それに特にパソコン通信はここ十年間は毎日やっていると答えたわけで

ある。彼はどんなものを毎日見ているか、そんな毎日見るものがあるのかと

いうことだろう。で、私は 「いや、私はただ見るより、何か書き込むくこと

の方が多い」と答えた。「ホームページを読んだり、新聞記事のデータベース

にアクセスしたりするが、それはむしろ何かを書くためにデータを調べたり

自分の書く記事の中でそれを参照するためである」 と答えたわけだ。彼は意

外な顔をして聞いていたが、ぽつりと言った。「そう言えば個人のホームペ

ージなどで、いろいろつまんないこと書いているのが多いですねえ」 と。 



  私はちょっとカチンときた。「いや、そのあなたがつまらないという個人の

ホームページの方が、大企業の大金を掛けたホームページよりよっぽどおも

しろいものがあるし、同じテーマについても新聞社の社説より、パソコン通

信やホームページでの意見の方が傾聴すべきものが多いですよ。」 そう反論

したかったのだ、面倒なのでやめておいた。それが本当にそうかどうかは

別にして、ただ既存の大企業や、大手マスコミだけが出来合いの情報を発信

し、それを相変わらずありがたく拝聴するのが新しいネットワーク社会のあ

り方ではないと言いたかったわけだ。自分の意見をまずしっかり持つこと、

このことがなにより大切なわけである。マウスをクリックするだけで得られ

る情報なんてのはたかがしれている。                 



  後で、彼は情報革命の最先端にいる証券会社の幹部社員であるにも関わら

ずこのインターネットの本質やネットワーク社会の本質がなんらわかってい

ないのではないか。情報公開、情報共有、双方向性、などの意味がわかって

いないのではないか。証券業界にあのような不詳事が起こるのはそのことと

無関係ではない。そんなことだから日本の証券業界も一向にもう一つ市場を

リードして活気を取り戻せないのだよと言ってやればよかったと思った次第

である。                              



1997/7/12                             

Tadashi HAYASE                           


   

今週の意見(27)



海の日



  つゆ明けも真近か、庭の蝉がいっせいに鳴き出した。がんがん照り付ける太

陽の下子供達にとっては楽しい夏休みが始まる。7月20日は海の日、日曜日

と重なるので月曜日は振替休日。このところの暑さにバテ気味の身には久しぶ

りの3連休はありがたい。が、丁度所要があり東京に出かけるので、この3連

休はそういう意味で助かったのだが。                  

  

  海の日って何のためのものか。誰かが6月7月は国民の休日がないので、そ

のため設けたものだと言っていたがまさかそうではあるまい。が、この日を前

後して各地で海開き、山びらきとなり、海も家族連れの海水浴客で賑わうシー

ズンとなる。夏の山もいいが、夏は何といっても海だ。子供の頃の夏休みの思

い出も海にまつわることが多い。                    

  

  せっかくこうした国民の休日を作ったのだから、政府ももう少しその趣旨や

海の大切さをPRしてもよい。海についてお互い何を考えるべきか。おりしも

テレビでは火星からの映像を盛んに中継している。その生々しい映像は驚異的

だが、見渡す限り赤茶けた山や、野原の殺風景な風景だけではすぐに見飽きて

しまう。もしそれが地球みたいな青い海や、緑の密林の光景が映し出されたら、

もっとすごい感動を覚えるに違いない。青い海、緑の大地を見慣れた地球人に

は、この火星の光景は改めて地球の美しさを認識させてくれるものだ。  

  

  この地球を大切にしなければならない。そしてこの地球のすべての命の根元

は海なのである。今や海の汚染が大きな問題になりつつある。地球の環境問題

が国際的にも大きく取り上げられるようになったが、その大きなポイントの一

つは海の環境保全なのである。今年の12月日本でCO2削減のための国際会

議が開かれるが、その中心テーマの一つは海を環境汚染からいかに守るかの問

題である。きれいな海こそ、CO2を削減し、きれいな酸素を供給してくれる

源であるからだ。                           

  

  東京湾で起こった原油流出事故は幸い大事にならなくて済んだ。が、年初に

福井県で起こった事故とあわせて、改めて海を守ることの大切さをいやという

ほど認識させてくれた事故ではあった。                 

  

  きれいな海を保つことはおいしい魚をとったり、海水浴のためだけではない。

人類の生存そのものがかかった大事なのである。日本の国民一人一人が、いや

世界中の人々が海の大切さを再認識し、これを守るためにどうしたらいいか考

える時なのである。                         

  

1997/7/19                              

Tadashi HAYASE                            



今週の意見(28)



ホームページのこだわり



 インターネットでホームページを持つことが大流行である。本屋に行くとホー

ムページ作りのノウハウを書いた本が何十種類も出ている。つい2、3年前には

通信と言うとパソコン通信の本が主で、インターネット、しかもホームページ作

りの本など全くなかった。                        



 インターネットも初期の頃はアクセスして、WWWのホームページ(HP)を

見ることが主な利用法であった。ネットサーフイン、次から次へと大企業や、官

庁の有名ホームページHPを見て歩くのがその利用目的の中心であった。が、そ

れが今や、誰でもが自分でもHPを持つことが、あたりまえになってきた。  



 そうして今や官庁・企業はもちろん一個人までどんどんホームページを持つ時代

になった。HPにはもちろん見ていていいものもあるし、つまらないものもある。

いや、いろいろな意味で有害なものすらある。パソコン通信のフォーラムなどで

はシスオペがいて、そうした公序良俗に反するようなものは削除したり、修正を

加えたりすることができるが、インターネットではすべてそれは個人のものであ

るし、それを監視する機関なども特に存在しない。すべてそれぞれのHP運営者

持ち主の責任においてなされるわけである。                



  そうした状況をとらえて「インターネットは空っぽの洞窟」だとか、公衆便所の

落書きだとかという批判がある。そういう面は多分にある。百害あって一利なし

というものもたしかにある。しかし、中にはおもしろい、大いに役に立つものも

沢山ある。独創性、オリジナリテイという観点からいうと大企業や官庁の大金を

投じて作られたHPよりも個人がこつこつと作り上げたものの方がおもしろいも

のが多いと思うのは私だけであろうか。                  



  企業のものと言わず、個人のものと言わず、おもしろいと思うもそれが独創性

に富んでおり、しかも自己主張が明確なものである。官庁、企業のものがおもし

ろくないのはどうしてもそれが総花的になるからであり、それはある意味でしか

たのないことである。ところが個人のものはそれぞれの個人のこだわりや自己主

張が明確になっている。それをすべて自分の才覚とセンスでいかに訴えるか、訴

えているかであって、多少の稚拙さや、仮に世間一般から言ってピントはずれが

あったとしてもそれがおもしろい、興味深いわけである。今日は個性化、価値観

多様化の時代だと言われるが、個人の作ったHPの隆盛がそのことを物語る典型

的な例なのであろう。                          



 個人が自分のHPをどんどん作り、持てるようになったことはすばらいことであ

る。それを作るため、さまざまなテクニックを学ぶこともいいことだと思う。が、

HPを持つ上で一番大切なことは自己主張の内容である。けっしてその作り方や

テクニックではない。人に少しでも見てもらえるようなHPを持つためにはホー

ムページの作り方、などという本を何十冊読んでもだめである。常日頃どういう

問題意識を持ち、それについて自己主張を持っているか、そのことが一番大切な

ことであろうと私は言いたいのである。                  



I1997/7/26                               

Tadashi HAYASE

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