2010年 今週の意見 7月

今週の意見(686)

消費税還付論の間違い

消費税増税論によって内閣支持率が下がったことに加えて、私自身は、それに関連
して枝野幹事、長菅首相などが、消費税アップに伴う所得補償、すなわち所得の低
い層については、増税の場合税金分の還付を言い出したことが、不信感を募らせて
いると考える。消費税は上げるが、所得の低い人、それが200万円とか、300
万円とか発言がその都度変わるのだが、生活が大変な人には還付すると言い始めた。
これが最大の問題だと思うのだ。野党もこれに一斉に反発してことは当然で、還付
など言葉でいうのは簡単だが、実際にそれをやるとなると実に大変なことである。
まずはその還付水準をどう決めるかということ、その水準の合理性、さらにその判
定、そして実際の還付方法など大変な事務作業が伴ってくる。         

政府関係者もまだそのことは議論すらしていないそうだ。それをどうして幹事長だ
の、首相が軽々しく言ってしまうのか。それは鳩山前首相が普天間基地移設問題で
簡単に海外移転、か最低でも県外などと言ってしまって、ついに辞任に追い込まれ
たこと以上の混乱を作り出すだろうことは明白である。            

それよりも所得補償となるともっと根本的なことが問題になってくる。所得税、住
民税であれ、なんであれ、そもそも消費税以外殆どの税は、人々の所得の高い低い
に応じて税額が決まってくる。所得税一つとっても、もっとその累進性を高めるべ
きという党があれば、日本のそれは諸外国と比べても高すぎるから現状程度でいい
いや累進性はもっと低めた方がいいという意見もある。            

その議論はとりあえず横においておく。問題は消費税自体のことだ。そもそもその
基本的な考え方は、他の税制と違い、所得の高い、低いに関係なく、広く薄く、あ
らゆる所得層からも、その消費に応じて平等に均等的に取ろうといのが本来の姿な
のだ。受益者負担の原則にも基づいて等しく負担してもらおうというのが元々の趣
旨であったはず。                             

その消費税まで、所得に応じて取る取らないの考えそのものが正しいのかどうか、
という原点に戻らなくてはならない。消費税の逆進性をもっともらしく説く政治家
は多いが、あえて言うなら、それが消費税のそのものの存在意味ではなかったのか。
それに所得税と同じように累進的取り方を適用すること自体が正しいかどうかとい
うことなのではないか。           
               
この国にも最低の生活すら維持できない人々の生活そのものを補償する仕組みはす
でに存在している。生活保障の支給額が年金生活者の年金受給額を超えるようなケ
ースさえあって問題になった。最低生活保障ということは、現在の年金制度の改革
の問題ともからんでいた問題だった。だからそのこととも関連して、民主党は年金
制度の抜本的改革を先の選挙公約でも掲げていたはずだ。その議論もないまま、今
度は消費税に関しては低所得層からは取らないなどと言い出した。       

それが生活保護法や、現年金制度と一体どう関係してくるのかこないかという根本
的問題が存在するはずである。そのことに一切言及せず、消費税は上げるが、所得
の低い層からは取ったものは後ほど還付するなどという制度は、全体の社会保障制
度のなかでどう位置づけられるのだろうか。                 

今回の菅首相の消費税率アップ論批判の最も大切なポイントは、そうした懸案の社
会保障制度の全体像を議論しないまま、10%上げる上げないの議論、特に低所得
層への還付論を唱えていることだろう。もう一つ重要なポイントは消費税を目的税
化するのかしないのかという問題がある。                  

仮に消費税で得た財源はすべて社会保障費として使うのかどうかということも、こ
の所得補償論と関係している。もしそうなら、所得の高い、低いに関係なく、受益
者負担の原則に基づいて、低所得者も応分の負担をすべきことは当然ではないのか。

社会保障制度に関するそうした全体像を示すこともないまま、ただ消費税10%ア
ップと低所得者への還付論を持ち出すお粗末さと言ったらない。        

2010/7/3
早勢 直

今週の意見(687):

デジタル教科書

「文部科学省は7日、情報通信技術を活用した電子教材「デジタル教科書」を用い
る授業を2011年度から一部の公立小中高校で試験的に実施する方針を固めた。教科
書の内容を表示したり、書き込んだりできる情報端末を児童・生徒一人ひとりが使
用する。効果的な指導法や端末に必要な機能などを調べ、全国の学校での導入を目
指す。」7月7日 日経新聞

iPadの登場にともなって、電子書籍なるものが、普及し始めた。これによって
世の中これまでの印刷物としての書籍が全部なくなるような話もあるが、そうはな
るまい。紙の印刷文化は15世紀グーテンベルグの印刷機登場以来の600年にわ
たる人類文化なのだ。そう簡単になくなるわけがない。しかし、今後おそらくさら
に一世紀、100年も経てば、デジタル文化が紙文化にとって代わることは間違い
のない。それは今世界中で、有名な新聞社が紙の新聞発行をやめ、デジタルの情報
提供に移行しているという事実を見ても明らかなことだ。                      

好むと好まざるに関わらずあらゆる分野における情報提供が紙の印刷物から、デジ
タル化、ネット化していくことは避けられないのだ。さらにそのことによる情報処
理、情報伝達の効率化の進展そのものが省エネ、省資源の過程でありそれが今後の
世界における経済、社会の発展の望ましいモデルであることも今さら指摘するまで
もあるまい。                                                              

そうした観点から言っても、今文科省が、小中高で授業そのもののデジタル化を進
めるため、電子教科書を導入するという方針は極めて時宜に合った、適切な措置で
あると思う。ただそれが単なる電子黒板のようなものを使った情報提供の手段とい
うことだけでなく、生徒子供一人一人のいわゆるコンピュータリテラシー、情報リ
テララシーを高めることでなければならない。一番の懸念は、そのことの意味、必
要性を学校教育の現場で校長を含めた先生方がどれだけ理解しているのか、いない
のかということだ。                                                        

私は地元小学校の課外授業時間の中で子供たちにパソコンを教えることに数年関わ
ってきた経験からこのことを書いている。さまざまな課外授業の中でもパソコンが
子供たちに人気が高い理由は、要するにパソコンをゲーム機程度のものとして捉え
ているからだ。極端に言うと、要するにその時間帯の中で、ゲームができるのが何
よりも楽しみであるからだ。私はその時間帯の最後の20分ほどは学習ゲーム的な
ものをやることを許可するが、私自身はどうやって、パソコンを使い、国語・算数
・理科・社会、はては音楽や絵画などの教科勉強ができるか、その意味、方法、そ
れをすることの面白さ、楽しさを伝えようとさまざまな試みを行ってきた。しかし
それはまさに至難のわざである。最近は学校にはパソコンルームがあり一クラス生
徒分のパソコンが設置され、パソコンはすべてインターネットにつながっている。
が、学校でそうした設備を使った総合的な情報リテラタシー向上のための教育、授
業が行われている形跡はない。                                              

問題はそれに詳しい先生がいないこと、不足していることはしかたがないとして、
一番の問題は、情報リテラシィ向上のための教育充実が今こそ求められているとい
う認識を先生方がどれだけ理解されているのか、いないのかということだ。      

電子黒板の活用などというのは情報リテラシー教育のほんの一分野のことで、本当
はこの日経記事の中にもあるように子供たち一人一人パソコンを配布し、授業の中
でそれを活用させるような教育が必要なのだ。ただそのことについては、この記事
にもあるように、それを進めることについて、『現場の教員からは「手で書かない
と知識として定着しない」などと、デジタル教材を使った教育拡大への懸念がある』
という。それが情報リテラシーの何たるかについての現場の先生たちの認識がそん
な程度のものだ危惧するものだ。                                            

私とてなにも手で書くことの意味、必要性を否定するものではない。そのことの大
切さ実践する一方で、同時にこれからの社会では情報をパソコンで集め、それを処
理し、報告書をまとめたり、それをLANネットを通じて先生に提出したり、クラ
スメートとやりとりしたりするような訓練が必要ではないかと言いたいのだ。その
こと自体、大学で学ぶ、企業に就職して仕事をやる、いずれにせよ今や必須のこと
なのだ。そんなことは基本的には大学などでできるようになればいいのだが、ただ
基本的なパソコンの使い方、インターネットの使い方くらいは是非教えていくべき
だと考えるのである。                                                      

たしか自公政権時代、全国の学校に導入を決めていた電子黒板は不要だと民主党政
権がさしとめたようだ。私も電子黒板など見かけばかり、格好ばかりのものだと想
像する。ただそれに代わって、では民主党政権はどうするか、である。関西の学校
で一部始まるようだが、子供一人一人パソコンを配布し、本格的なパソコンリテラ
シー教育をどうして始めないのかである。パソコンの配布こそが最高に情報リテラ
シー教育に役立つし、しかもその経済効果は抜群という意味でもそれが大きな経済
成長戦略につながるとはずなのである。                                      

2010/7/9
早勢直

今週の意見(688):

検察審査会のついての疑問

検察審査会とは、まさにわけの分からない制度である。東京第1検察検査会が「不起
訴不当」と議決したことについて、これで小沢氏はますます身動きが取れなくなった
という産経の報道、と「起訴相当」でなく小沢氏側が安堵したという毎日新聞の報道
があったが一体どっちが本当なのかよくわからない。              

そもそも起訴相当と不起訴不当はどう違うのか。それがよくわからない。前者は二度
それが出されたら強制的に起訴され裁判になってしまう一方で不起訴不当は検察が再
び不起訴を決めたら、もうそれで不起訴が決まるということらしい。検察が新しい証
拠を見出す余地はないから、今回はこれで不起訴決定となるそうだ。従って小沢氏側
は今回の決定について安堵したというのはそういうことらしい。         

で、事件はそれで終わりかというと、それは第1検察審査会の方で他に第5検査会な
るものがある。上記とは別の時期の別の案件時期のことで4月に起訴相当の決定をし
たのだ。検察はそれについては再び不起訴の決定をしたが、審査会はメンバーを変え
て、再び審査し、その結論は民主党代表選の後になるらしい。          

いや一連の関連記事をよく読んでも、そうした全体の動きが、正直よくわからないの
だ。一番根本的疑念は一体なぜどうしてこんな制度ができたのかである。裁判員裁判
なるものが始まって一年、こちらの方はその裁判員判員員の選出から、裁判員の裁判
への参加の様子、そしてその裁判結果に至るプロセスについての説明があり、そのプ
ロセスもかなりオープンになっている。第一裁判員裁判制度そのものについては、マ
スコミはもちろん、政府もさまざまな形でその説明に努めてきた。結果全面的ではな
いが、ある程度理解が進んでいて私自身もその存在意味自体支持している方だ。  

しかし一方、この検察審査会なる制度についてはあまりにもわからないことが多すぎ
るのである。審査員そのものの選出そのものがどうやってなされているのか。審査員
による審査がどのようにして行われ、その議論の中身がどんなものであったかなど、
不明なことが多い。一番の不信の種は第5審査会なるものが、その道でのプロが不起
訴と決めたことを、全員一致で起訴相当、起訴すべしとしたことであった。    

一体そんなことがあっていいのかという疑念の声がさすがに付和雷同、日和見的なマ
スコミからも一部だがあがったものだ。これについては当然のことながら検察が再度
不起訴決めるのにそんなに時間はかからなかった。そのはずだ。それで終わりと思っ
ているとさてそれがまた大変。                        

ボールは再び検察審査会なるものに投げ返され、検察審査会が再度起訴相当の決定を
すれば、今度は強制的に起訴となる。いや、まさになんだそれは、という感じである。
立件、そして裁判は、「証拠」の存在が基本というか、絶対の条件としてあるべきも
の。それが存在することなく、単なる類推、根拠のない証言、うわさ、心証などなん
の法的根拠のないもので立件され、裁判が行われるということがあっていいのだろう
か。裁判が始まったとして一体誰がどういう証拠に基づいて裁判そのものを維持、継
続できるというのか。不起訴とした検察当局が審査会側の弁護人に手を貸したり、で
きる限りの物的証拠提出のための支援を与えたりすることがあるのかないのか、完全
に中立を保つのか、その辺も大変興味深い問題である。             

いやこの検察審査会なる制度考えれば、考えるほどその存在意味、合理性、整合性に
関してはわからないことだらけである。今回の一連の推移を見ていて、そもそもその
制度を作った国会議員達がそれぞれどんな考えを持っているのか、この制度について
積極的な支持、逆に疑問表明の意見も殆ど聞いたことがないのは一体どういうことな
のだろうか。国会でもこの制度の善し悪し、必要性、合理性などについてもっと議論
があってもいいはずである。総理はもちろん、閣僚、そして与野党の国会議員からそ
れについてなんら積極的な発言が出てこないのは一体どういうことなのだろうか。 

2010/07/17
早勢 直

今週の意見(689)

国家戦略局構想断念

そもそも鳩山内閣スタート時、国家戦略室なる機能を作り、いずれそれを局に格上
げし、予算編成、長期成長政策など国家的戦略を展開しようという構想があった。
それは時の副首相菅直人氏自ら、イギリスに出かけて、その制度に学び、戦略局な
るものの創設を党の公約とした中心人物であったはず。それがどういうわけか、そ
れを断念、国家戦略室の役割を縮小し、その役割を担うのは仙谷官房長官と玄葉政
調会長、、荒井戦略室担当大臣もその役割からはずしてしまうというわけのわから
ぬことにしてしまった。                          

これに松井元官房副長官や、前原国土交通大臣が疑問の声をあげたのは当然の話で
ある。ある。                               

菅首相の消費税増税発言で民主党が参院選で大敗したことになっているが、そうで
はないだろう。要するに消費税増税論などまずは無駄を徹底的に省いてからのこと
と言っていたのになぜ今突然それを言い出したのか、それに不信感を募らせたのだ。
要するに与党たるものマニフェストの根幹をなす政治理念なるものをそう簡単に変
えてはいけないのだ。                           
                                 

国家戦略局の創設は公約というより、民主党の党是、マニフェストの根幹をなす理
念であったはず。それこそが、脱官僚、政治主導という民主党の政治理念の中心を
なすものだった。それがどうしてこういとも簡単に創設断念となってしまうのか、
わけがわからないのだ。                          

その体制を作るための財源が不足しているわけでもない。それをやるための時間や
スタッフが不足してわけでもない。そんなはずはない。局の創設自体そんなにカネ
がかかるわけではない。党内外、官僚の中に優秀な人材はいくらでもいる。そのた
めの部屋だの、スペースだのの問題はどうにでもなる。なぜ今それを断念してしま
ったのかその理由、大儀名分がないのだ。                  

どうやら参院選の敗北で、国家戦略局を作るための法案が、野党の反対で法案が通
りそうもないと考えたらしい。なんだその腰抜けぶりは情けない、と言いたくなる。
野党が反対しようと仮に法案が廃案になってもいいではないか、与党として従来の
主張をどうして貫かないのか。第一みんなの党などその基本的構想には賛成だと言
っていっているではないか。やってみなければわからないではないか。     

それもこれもさらに低落を続ける内閣支持率、野党攻勢の中、なんとかただ生き残
りをはかる、内閣の面目を保つためなら論外である。             

2010/7/24
早勢 直
今週の意見(690)

死刑執行の波紋

自民党前政権時、鳩山法相が数多くの死刑執行に署名したことが問題になった。朝
日新聞などコラムでそれを揶揄し物議をかもした。まるで鳩山氏が恣意的な判断で
それを行ったがごとき言い方だった。それはさすがにないはず。私にはそんなこと
がいちいち問題になること自体全く理解できなかった。法務大臣が法律に従って、
それをやっただけのこと。それがなぜどういう理由で問題になるのかよく分からな
かったのだ。                                                              

そして今回、千葉法相が7月28日死刑執行に署名、しかもそれに立ち会ったこと
が、あちこちで問題になっている。その言い分はこうだ。                      

・そもそも死刑制度反対の人がどうして死刑執行を行ったのか。                
・千葉法相は先の選挙で落選した。民意に反する法務大臣がそんな判断をしていい
のか。                                                                    

いやはや、この国にはこんなことを言う国会議員とか、評論家がいるのである。そ
の論理は全くなっていない。                                                

死刑制度に賛成派反対派が存在することはわかる。私自身どうかといわれると、大
いに迷うところだが、現実の立場からいうと賛成、しかし長期的には死刑制度の廃
止には賛成である。いずれにせよ、その是非、制度への反対賛成を論じることと、
現在の法体系にもとづいて、それを執行することは全く別のことだ。鳩山邦夫氏は
どちらかという賛成派だったのであろう。だからと言って、なにもじゃんじゃん執
行の署名をやったわけでないはず。ただ法律に従って、その時期、条件を満たすも
のについて署名しただけのことだと思う。                                    

一方千葉法相の方は弁護士としてもともと死刑制度には反対の立場だそうだ。しか
し自ら法務大臣になった以上現法に従うのは至極当然のこと。かってその立場だか
らという理由で一切執行署名に応じなかった法相がいたことがあるが、それは一種
の違法行為ではないのか。それこそ法的政治的に糾弾されてしかるべきことだ。千
葉氏は悩みに悩んだのだろうが、しかし国家の法律を統括する身で、自らの所見だ
からと言って法律に反することはできないからとその時期、内容を見極めた上で署
名をした。そのことに一体どんな法的問題、政治的問題があるというのだろうか。

さらに今回の騒ぎのおかしさはその法相が民間人出身であるという論理だ。落選議
員だから民間人であることはそうだが、民間人が法務大臣になってはいけないなど
という理由がどこにあるのか。野党の幹事長などがそれを言ってるようだが、まさ
に法を曲げて、ただそれを政争に使おうとするとんでもない邪論である。        

千葉氏の法相としての適格性を批判するのは自由だ。しかし少なくとも内閣総理大
臣が適格だと判断して任命した人なのだ。多分死刑制度についての賛否、それに千
葉氏が夫婦別姓制度の推進者であることなどに反発する政治家どもが、そのことに
からめて、反発しているのだとしたらこれもおかしな話である。まさに坊主憎けり
ゃ袈裟まで憎いではないか。                                                

さらに今回のことについて、与野党からそのいきさつを説明せよ、説明責任がある
などという声があがっているが、これまたおかしな話である。一体何をどう説明せ
よというのか。法的に適格な法務大臣が、百%法律に従ってやったことを一体どう
説明せよというのか。そんな必要性は全くない。                              

2010/7/31
早勢 直
ホームページへ