2000年 今週の意見 7月
今週の意見(173):
無関心層の風
第42回衆議院総選挙が行われ、自民、公明、保守党3党の与党が安定多数を確
保した。あらかじめ事前の新聞各紙の世論調査などで、与党が安定多数を占めると
の報道があったので、やはりそうかという感想である。
新聞の見出しは与党3党の議席が大幅に減る一方、民主党が大幅増、自由党、社
民党なども検討したとの報道だが、政権交代がなかったことは、なんとしても残念
だと言わざるをえない。私は日本の政治にも大きな改革や変化が必要な時だと思う
一人である。
自由党の小沢氏党首が、民主、自由、社民の選挙協力をやれば、与野党逆転の場
面のあったとコメントしていたが、そうかもしれない。民主党は勝った、勝ったと
言ってるが、政権をとれなくては勝ったもへたくれもないのである。
選挙の最後はいわゆる無党派層が決めるということであったし、たしかに民主党
などの躍進はそれによるところが多い。しかし、投票率は結局戦後2番目に低い
62.49%。 有権者のほぼ4割が、棄権したわけだ。政治への無関心を表明し
たのである。
そうした政治無関心層は無関心というより、とにかく現状を肯定したわけだ。
とりあえず、なんとか生活できているし、そんなに大きな不満があるわけではな
い。第一、どこの政党が政権を取ろうが、大きな改革など行われるわけでもない
だろうと、いう一種のあきらめを持っているに違いないのである。
不況であろうが、大借金のつけを子孫に回していようが、そんなことよりまあ
なんとか、現状自分の生活が安定していればいいや、という消極的なそのスタンス
こそ一番改めてもらいたい考え、改めるべきだと私はいいたいのである。
日本人は変化よりは安定を求める。しかしそれは安定というより、全くの改善回
避である。それも与党側が三党連立で政治の安定を求めるか、バラバラの野党に政
権を取らせて、不安定な状況にするかとおどろかされた結果の選択ならまだわかる。
要するに、もっと積極的にそして前向きに、自分たちの生活と日本社会をよりよ
いものにしていこう、そのためには政治はどうあるべきかということについてあま
りにも問題意識がなさ過ぎるのである。全く情けない話だ。
政治の悪さを政治家や、政治システムなどのせいにする前に、有権者自体の政治
意識の改革から始めるべきだとつくづく考える次第である。
2000/7/1
Tadashi HAYASE
今週の意見(174):
汚職不感症
第二次森内閣が発足するが、海外ではモンゴル、メキシコなどで政権交代が起こ
っている。いずれも現政権の失政への不満と同時に政権党への腐敗の批判票だとい
う。それでこそ総選挙の意味がある。
日本ではどうだったか。中尾元建設大臣の土建業者からの受託収賄容疑が明るみ
に出て逮捕されたが、それがもし選挙前に行われていたら選挙結果はもっと大きく
違ったかもしれない。検察をそれを政治的な意味で避けたのだろうが、実におかし
なことである。選挙前に逮捕があったら、自民党などから検察ファッショの声が出
ただろうが、悪を暴くのに政治的配慮もなにもあったものでない。あってはならな
いことだと思う。
政治家、官僚の腐敗はもう珍しいことでなく、今度の事件についても国民はまた
かと思うだけである。今回のことだって仮に逮捕が投票前に行われていても、選挙
の大勢に影響なかったかもしれない。汚職で逮捕され、有罪判決を受けた議員が2
名も今回の選挙でも当選しているお国柄なのだ。
今回の汚職もやはり国家の莫大な公共事業費の配分をめぐってのものである。政
治家、官僚のすべての腐敗の元はそこにある。彼らにいわゆる裁量権があることが
その原因なのである。今度の選挙でも公共事業費を当てにする地方と、その構図に
あきたらない都市の住民の自民、民主両党への支持の違いが明らかになったのだが。
日本の選挙民はそうした汚職には、もう少々不感症になっているふしすらある。
もうそろそろそうした長年の自民党による一党支配、政権党の腐敗構造を一度徹底
的に改める時期だと思うのである。
政権交代が唯一そうした腐った権力構造を打ち壊しこれを修復する道なのだろう。
今回はそれが果たせなかったが、次回は必ずそれがなされることを切に願う次第で
ある。
2000/7/8
Tadashi HAYASE
今週の意見(175):
IT戦略会議
前の小淵さんに引き続いて、森首相もIT戦略会議をはじめとして、産業新生会
議など沢山の審議会をお作りになったようである。それぞれの座長役になるのはソ
ニーの出井氏のような方ばかりだから、今の時代何にをやるにしてもスピードが大
切だということはおわかりだろうが、議論に1年間、まとめに1年間答申が出たこ
ろにはもう時代が変わってしまっているということのないようお願いしたいもので
ある。
小淵さんが沢山作られた審議会などその後どうなったのかの総括もお願いしたい
ものである。それらと新しくできる会議の関係も含めて是非まとめを聞きたいもの
である。
大体構造改革だの産業新生などというテーマとIT産業の育成の問題など密接に
関連するし、こういうことは多くの人の意見を聞くことはもちろん大切だが、まず
は日本株式会社の社長たる首相のリーダシップがなにより大切なのではないか。
別に今に始まったことでないが、日本ではなんでもかんでもまず専門家の意見を
聞いてとなるが、どんな問題でも首相とか、各省庁の大臣とかは自身が明確なビジ
ョンとそれなりの具体的な知識、戦略を持ってリーダシップを発揮していかないこ
とには事はスピーデイに運ばない。日本では総理とか、大臣の就任期間が短く、し
かも強力なリーダーシップに欠如するので結局は官僚の言うままに動くだけという
結果になりがちである。
そんな体制でIT戦略だの、構造改革だの改革をどうして強力に進められるもの
か。私の根本的疑問である。
2000/7/15
Tadashi HAYASE
今週の意見(176)
インターネットで社会がどう変わるか
今年の四国フォーラムでの一つのテーマだ。膨大な問題である。一言で語れるよ
うな問題でない。個人の生活はどう変わるか。社会はどう変わるか。四国というコ
ミュニテイはどう変わるか。日本という国家はどう変わるか。そして世界はどう変
わるか、である。その変化に対応して生きるにはどうしたらいいか、という問題だ。
より具体的には
・政治・経済・経営・文化はどう変わるか
・人々のライフスタイルがどう変わるか
・人々の価値観はどう変わるか
と言った問題だろうか。はっきりしているのは、この変化は想像以上のスピードで
やってくるということ。いやもうやってきているに違いない。IT革命だの、デジタ
ル革命だのいろいろな言葉で語られているが、その象徴たるものが、インターネット
とそれに対する人々、社会、国家のあり方の変化だということだろう。
世界の潮流に気づくのが遅い日本の政治家も、最近は口を開けば、IT革命なるこ
とを言い出した。クリントン政権はもう8年も前に「情報ハイウエイ」構想で米社会
の構造改革を唱え、そしてその通りそれによって今日の米経済の繁栄をもたらしたの
だった。その間日本は相変わら、やれ鉄道だ、橋だ、道路だなど従来型の公共投資に
うつつをぬかしてきた。そしてその結果はご承知の通り。
今の自民党などを中心とする政治家は、そうした社会の情報化にともなう人々の意
識、ライフスタイル、価値観の変化にまだ十分気づいていない。この間の選挙での都
市での自民党の大敗はその一つの現れなのにちがいないのにである。
さらに不景気だといいながら繁栄を続ける企業と、衰退していく企業の差はやはり
人々のライフスタイル、価値観の変化に適切に対応しているか、できているか、いな
いかの点にあると言って過言ではないのだろう。
今政治、経済、経営、文化あらゆる分野での大きな変化とそれに対する対応を考え
直さないとならない時なのだ。それぞれの立場において、そしてそれぞれの生き残り
をはかるために。いわゆるデイジタル・デバイドの敗者側に立たされることのないよ
うにである。
2000/7/22
Tadashi HAYASE
今週の意見(177):
倫理の応用(?)
今回の四国フォーラムのことはいずれまた何度か書くつもりだが、基調講演は
慶応大学教授の中島 洋氏の「変わる価値意識ーインターネット時代のビジネスと
倫理観」というテーマであった。
氏の講演の内容の殆どは、最近のビジネスの大変革、つまりe-businessとか、
電子取引とかの言葉で象徴されるものについての紹介であった。そしてその時代
にあって人間とか、社会の倫理観の変化というテーマについてはほんの最後の5
分ほど触れられたに過ぎなかった。私は実はそれが本論だと思っていたのだが。
時間はともかく、中島氏は、この変化の時代にあって適応されるのは応用倫理
学だという説明があった。その詳しい内容は省略するとして、この変化の時代に
あっては、従来の伝統的な倫理道徳論だけでは、その価値観の変化に到底対処で
きるものでなく、状況に応じた倫理道徳があるだろういうお考えなのである。
私は質問した。およそ倫理道徳というものに応用だの、状況に応じた、価値に
ついての物差しが変わるはずがない。価値とはすなわち真・善・美であり、それ
については何時の時代にも通じる絶対的なものではないのかと。応用倫理学など
という言葉自体それは自己矛盾ではないかと。
教授は答えられた。実は教授は東大時代学んだ倫理学の教室でそのことを唱え
て、先生から破門されたのだと。だけど氏はそういう考えが正しいのだと信じて
いるということであった。その件についてはそれ以上話は発展しなかったが、フ
ォーラム出席者の何人かは後で、あれはなかなかおもしろい議論であったという
コメントをいただいた。が、殆どの人はその議論の本質が何であったのか、おわ
かりではなかったようなのである。
私に言わせると、インターネットの普及ということも含めて今の世のすべての
混乱の原因は、倫理道徳というものの絶対性を認めないところにあると考える。
インターネット時代、政治・経済・文化そしてわれわれの日常生活での変化、価
値観の変化の中でその混乱がなぜ加速化するか、なのである。それはその変化の
時代、その変化の大きさに惑わされて、倫理道徳観の変化、応用を認めようとい
う考えにあるのだと私は言いたいのである。
教授の話で出てきた中で愚行権というのがあった。人間のさまざまな愚行、喫
煙、携帯電話、ピアスなどなど、他人に迷惑を掛けない限りそれはそれでいいで
はないかという考えだ。果たしてそうか。それを絶対的な悪と決めつけることは
できないし、すべきでないことはそうだが、それはすべて明確に個人の自由だと
言ってしまうか、その自由とは自分自身が徹底的にそれから招来する問題の責任
を取るという条件つきで認めるかというスタンスの違いがポイントだと考えるの
である。
インターネットが便利だとか、ビジネスがそれで変わるだとかの論議はそれは
それで結構だ。が、それから招来する陰の部分の大半が、そうしたいいかげんな
倫理観、価値観を持つことがその根底にあることにもっと目を開くべきだと私は
考える。
2000/7/29
Tadashi HAYASE
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