今週の意見 − 1月-2月


今週の主張(1)

政権のたらい回し:

新しい年が明けたと思ったらもう月も半ばです。年明け早々村山さんが退陣を
表明。自民党の橋本さんに政権禅譲ということになりました。村山さんは禅譲と
いうことは否定していますが、どう説明しようが政権のたらい回しには違いあり
ません。自分は社会党の委員長に残り、橋本政権に社会党から6名もの閣僚を送
り込み影響力を発揮しようということです。そして思惑通りことははこびました。


 かっての自民党の派閥行動となんら変わりません。自民党の長老の中曽根さん
が、村山首相の辞意表明を「実に見事な引き際だ」などとテレビでほめたたえて
いましたが、果たして本当にそうなのでしょうか。新しく党首に選ばれた新進党
の小沢さんが、直ちに衆議院解散、総選挙を求めているのは筋の通った話だと思
います。与党三党は政策協議で早期の解散総選挙はさけることで一致しています。
 
  優しさと変わり身だけで6カ月     村山長期政権

 と、昨年の年賀状の川柳で皮肉りましたが、それがさらに一年も続いたのです
から、たいしたものでした。仮に誰が首相であっても阪神大震災や地下鉄サリン
事件の処理は難しいものであったでしょう。だからその処理のまずさを非難しよ
うとは思いません。それは村山さんや社会党だけの責任とは申しません。問題は
そういう政治体制を作った自民党、新党さきがけの現政権体制の無責任さです。

  私は特に新進党を支持しているものではありません。もちろん同じ解散総選
挙を求めている共産党支持でもありません。が、いみじくも今回の事態に対して
新進党、共産党の党首が要求し、主張していることが一致していることは当然だ
し、私もそれが正しい政治の道だと確信します。総選挙など予算を成立させてか
らだとか、景気対策が先だとか、与党は言っていますが、村山さんの言う人心一
新のためには、この際衆議院を解散して総選挙を行うしかないと私は考えます。

  政権のたらい回しのニューゲーム      社会党への大臣配分
  損なのにやはり欲しいかそのポスト        久保大蔵大臣

1996/1/12
Tadashi HAYASE


今週の主張(2)

銀行はリストラを進めよ:

 1月16日の日経新聞に信託銀行や長期信用銀行、それに生命保険会社が今
年の春の賃上げ、ベースアップを凍結するという記事がありました。その前の
日には同じ日経新聞に、大手銀行が役員報酬をカットしたり、従業員のボーナ
スを一部削減したりして、産業界からの銀行はリストラの努力を十分していな
いという批判に応えるのだという記事がありました。これは直接住専へ   
の6800億円もの巨額の公的資金導入に関して出てきた話ではないでしょう
が、それをきっかけに噴出してきた各方面からの銀行への批判に応えるという
意味もあるでしょう。これら信託銀行や、長期信用銀行、それに都銀は住宅ロ
ーン会社に多額の債権をかかえており、その結果経営内容悪化という事態に直
面していることがその背景にあります。                 
 バブル崩壊後、日本産業それぞれの企業はすべてそのつけを支払いました。
製造業、証券、不動産業、それぞれバブルに手を染めた所は相当な出血をとも
なうリストラを敢行したわけです。従業員の削減、賃金カット、役員の削減、
報酬カット、それに工場の閉鎖、海外への移転などがそれです。      
 一方銀行はどうであったでしょうか。護送船団方式と呼ばれるように政府の
手厚い保護の下、ぬくぬくとどの産業よりも従業員は高い給料、ボーナスを享
受し、経営者はバブル崩壊後の経営内容悪化の責任をも問われることもなくや
ってきたのです。最近こうした情勢は変わりつつあります。産業界、消費者の
間から銀行に対する批判がさまざまな形で出てきました。大和銀行事件をきっ
かけに、海外からの邦銀に対する信頼も大きく損なわれました。批判の一つは
一般産業に比べて銀行の給料やボーナスは高過ぎるということがあります。ま
た経営が悪化したのにその経営者の責任はどうなっているのか、銀行の経営者
はあまり不良債権増加の問題に対して責任を感じていないのではないか、など
です。                                
 銀行関係者はあえてそれらの声を無視してきたようにも見えました。が、住
専の問題やそれに伴う銀行の経営内容悪化の事実が明らかになるにつれ、その
批判に応えるためにも、上記のようにベースアップの凍結や、役員報酬のカッ
トなどの措置に踏み切らざるをえなくなってきたようです。当然の帰結と言え
ます。                                
 橋本内閣がスタートし支持率59%という高い支持率を受けています。その
一方で住専救済のために政府与党が公的資金を導入したことについて72%の
反対があるのです。この問題の処理いかんでは橋本内閣も短命に終わる可能性
も高いのです。                            
 産業界、国民、株主などの銀行への不信感は今や非常に高いものがあります。
のみならず大和銀行事件でも日本の銀行は大きく国際社会での信用も失ったの
です。この際日本の銀行は徹底的なリストラ、経営再建に取り組み、顧客、産
業界、国際社会の信用を取り戻して欲しいと願うものです。        

   銀行もタンスもダメでどこへ置く       安全神話の崩壊   
    
1996/1/19
Tadashi HAYASE


今週の主張(3)

電話代をもって安くせよ:

 日本の電話代が欧米のそれに比べてかなり高いということは常々言われていると
ころである。最近パソコン通信や、インターネットがさかんに行われるようになっ
てきたのを受けて、また日本の電話代が欧米に比べて高いのではないかという各方
面からの批判を受けて、最近NTTは長距離の電話料金を引き下げたり、テレジョ
ーズとかテレホーダイとか、さまざまな新サービスを提供を始めた。結構な話であ
る。でもまだまだ日本の電話代、特に長距離のそれは欧米に比べてものすごく高い
と言わざるをえない。これがパソコン通信やインターネット普及の一つのネックに
なっていることは多くの識者が指摘しているところである。高い、高いというがど
れくらい高いのか、例をあげてみょう。これは日経コミュニケーションに出ていた
記事からとったものである。(日経コミュニケーション誌 6/191995年)

 本誌の記事は題して「通信”高”進国ニッポン」。それは日本の通信費が高く、
通信の後進国だという意味であることはいうまでもない。           

 それを裏づけるいくつかの具体的な数字:                  

 ・電話料金 東京・大阪間 NTT      3分 180円       
              AT&T(米国)     81円       
              BT  (英国)    37.8円       

  ・ディジタル専用線                           

   東京・大阪間の距離に直して比較すると,NTTの料金はAT&Tの5   
   倍以上、BTの3ー4倍である。                   
   近距離区間だと米国の場合地域事業者び提供する専用線の料金はNTT  
    のわずか7分の1程度。アメリカでインターネットの普及が進んだ背景の 
    の一つだ。                             
                                
 ・インターネットにアクセスするために必要な料金             
   64kビット/秒専用線で米国の6倍、英国の3倍以上          

  ・以上は定価の話で米国などでは企業など大手ユーザは通信事業者と交渉して、 
  こうした定価より実際にはさらに価格を引き下げさせるのが普通である。   

 為替の変動もありこうした比較が必ずしも全て正確なものではないが、なにしろ
2倍とか3倍とかの話ではない。5倍6倍という話である。このような実態を見て
いると日本はまさに通信後進国であり、NTTがその元凶になっているということ
である。第2電電や日本高速通信などもできたが、通信事業が基本的にNTTの独
占事業であるところが問題なのだ。日本の情報化、ネットワーク化が産業構造転換
の一つの大きなポイントであることを考える時、日米の通信コストの差は日米産業
競争力そのものの決定的な差となりかねない。                

 個人でパソコン通信やインターネットを楽しむためにもっと電話代を安くせよと
いうことだけではない。これは日本の将来そのものの問題なのだ。日本の消費者、
企業経営者は、日本の情報インフラ整備の一番基本的な部分として、通信料の大幅
値下げを今こそもっと強く求めていくべきである。              

   テレカードベルが鳴る間に時間切れ       駅のホームで     

1996/1/26
Tadashi HAYASE

今週の主張(4)

日本語か英語か(1):

 インターネットなるものをやり始めて、あちらこちらでお目にかかるのはそれ
をやるためにどれくらい英語が必要かという議論である。ある人は英語など必要
ない、日本語でどんどんやればいいと言うし、ある人は英語はやはり必須だとい
う。前者は必要ないというほか、インターネットはアメリカの謀略だという議論
すらしている場合が多い。つまりインターネットがどんどん世界中に普及し、そ
れが英語で行われたら、世界中が英語圏に入ってしまいアメリカの思うつぼだと
いう考え方だ。そういう議論をおおまじめでする評論家が結構いる。アメリカの
いわゆる「情報スーパーハイウエー」の構想とからめてそういうことをいう人も
いる。                                 

 だからそういう考えの人は、インターネットでは英語なんか使う必要がないと
言うか、インターネットの存在意義自体を否定してしまうわけだ。果たしてそう
か。そのことについてはパソコン通信のボードでもさまざまな議論をしてきた。

 私はインターネットでは我々日本人は当然日本語で発信し、同時に出来たら英
語でも発信したらいいのではという考えだ。というか、それがインターネットを
やる人の大半の考えであることもまちがいない。たとえその英語が多少下手でも
日本語だけより英語でも同時にやっておくべきだという考えだ。日本語で発信し
たら日本人しか読まないだろうという考え自体がまちがいである。外国で外国人
でも結構それを読む人がいるそうだし、それに英語を添えておけばそれも役に立
つ。日本語が全く分からない人でも、日本のことを知りたい人はいるだろうし、
そういう人には英語で書いてあるものはもちろん役立つわけだ。       

 それを両方でやることは確かに我々日本人には大変なことである。がそれをや
ることで、単にそれが英語の勉強になるというだけでなく、日本語の内容そのも
のをレベルアップすることができると思う。日本語だけで書いていると、ついあ
いまいな、抽象的表現が多くなってしまいがちだが、これを英語に翻訳しようと
して、これではいけない、そうしたあいまいな表現ではなく、もっと具体的に表
現しようとなるわけだ。これが同じ内容のことでも日本語と英語の両方で表現す
ることのメリットだ。                          

 インターネットで英語ばかり使ってやっていたら、そのうちアメリカの文化圏
に吸収されてしまうなどというのはまことにもって狭い考えだと思う。話はむし
ろ逆であろう。アメリカ人が英語しか読めない、書けないないのに対して、我々
日本人がバイリンガル、日本語と英語が読めたり書けたりできるというのはそれ
だけ視野が広く、幅広くものが見れるということだ。どこまで行っても日本の文
化が英語圏に吸収されることなどない。東西対立の時代が終わりこれからは、文
化と文化の対立の時代だなどと言った大学の歴史学者がいるそうだが、なんとい
う狭い見方なのだろうと思う。文化とはそれぞれ絶えず混じりあい、共通部分を
広げながら、しかしどこまで行ってもその独自性は失うことがないものだろう。

 インターネットはまさにそういう世界だろうと思う。そうあって欲しい。参加
者の一人としてそのように努力したい。                  

1996/2/3
Tadashi HAYASE


今週の主張(5)

機械翻訳か人手による翻訳か:

 インターネットがさかんになってから機械翻訳ソフトが注目されはじめた。英
語から日本語、日本語から英語と思いのまま、適訳してくれたらこんなに楽なこ
とはないし、いいことはない。私はまだそうしたものを本格的に使ったことはな
いが、本当にちゃんとした翻訳ができるのなら、是非使ってみたいと思う。ただ
少し試しに使ってみた限りでは、また、どうやらそれを使っている人の翻訳文を
みるとそのレベルにかなり問題がありそうである。英文和訳もまだまだだが、全
くなっていないと思うのがのが和文英訳。ある人がそれを使って翻訳したものを
そのまま使っているのを見て、びっくりすることがある。私らの英語レベルでそ
う思うのだから、アメリカ人やイギリス人が見たらもっとびっくりするだろう。
文法的にどうこうもあるが、問題は書き手が日本語で書いたことが本当に英語で
ちゃんと伝わっているのか、という問題。そういう意味で英語翻訳ソフトなどま
だまだ実用レベルにはほど遠いようだ。ちょっと直せば使えるとか、単語を入れ
替えたら使えるというレベルではない。かなり根本的に直さなければならない。
それなら最初から全部自分で書いた方が早いということになる。       

 で、現在はしかたがないとして将来はどうかという問題がある。それが実用に
ならないのはまだまだコンピュータのソフト作りの問題であって、それが向上し
改善すれば実用に耐えるものができると多くの専門家の多くはいう。そうかもし
れないし、そうでないかもしれない。一般的に言って私はその点に関しては悲観
的である。実用に耐える翻訳ソフトができるにはまだまだ時間が掛かるし、仮に
出来たとしても、すごく高いものになるし、それになによりも結局は使い手が相
当その癖を知って、注意しながら使わないと駄目だろうと思う。そうなると、そ
うしたソフトを使いこなせるのはやはり元々相当の英語の使い手ということにな
る。                                  

 言葉にはそれぞれ微妙なニューアンスがある。このニューアンスがわかるのは
それを書いた本人だけである。ないしはその感性がわかるのは同じ人間でしかあ
りえない。その微妙なニューアンスを果たしてコンピュータがどれくらい判断で
きるのかと思う。また人間の感性をコンピュータにどこまで埋め込めるのかと疑
う。おそらくそれはできない。翻訳はあくまで機械的なものになる。     

 その意味では技術文書とか、パソコンのマニュアルなどは機械的翻訳でいいの
かもしれない。ニューアンスとか感情とか感性というものを伝える必要がない。
事実を事実として伝えるだけである。そういう文書には機械翻訳は向いているか
もしれない。しかし、文学作品に果たして機械翻訳が可能かと思う。それは不可
能だというのが私の意見だ。それはおかしい。文学作品にも結構翻訳ものがある
ではないかと言われるだろう。いやそれはやはり人間が翻訳したからこそ可能に
なったのであろう。そして翻訳の小説はオリジナルな文学作品と全く別のもので
あると考えた方がいいのだろう。翻訳したのはたしかにだれが翻訳しても同じに
なる事実の翻訳もあるが、文学作品などに限ってはそれは人間の感性、感情の別
の人の翻訳であると言っていいのであろう。それは全く別の価値を持つものであ
る、と考えた方がいい。                         

 先日朝テレビを見ていたら松山大学の俳句のネットが世界のインターネットホ
ームページのベスト5に選ばれたと報じていた。すばらしいことだ。日本独自の
芸術、しかも世界でももっとも短い詩が英語で書かれたり、日本語から翻訳され
それが世界中で受け入れられているということだ。ただ、それはその大学スタッ
フの努力、とりわけその優れた感性の翻訳能力にあるのだろうと考える。同じ作
者の句だとしても日本語のそれと、英語のそれはある意味では全く別のものと言
っていいのであろう。                          

 こうした翻訳がもっとも難しいと思われる俳句がインターネットでもてはやさ
れる理由を考えてみよう。それは機械翻訳では不可能な世界である。それは言葉
の機械的翻訳というより人間の感性、詩の感性の翻訳の優秀さいかんにかかって
いるようだ。それが感性の翻訳だからこそ世界のベスト5に選ばれるのであろう。

1996/2/10
Tadashi HAYASE

今週の意見(6)

チャンピオン対コンピュータ:

 数日前の新聞にチェスの世界チャンピオンとコンピュータの6番勝負でコンピュ
ータが先勝したという話が載っていた。負けたカスパロフ氏は無言で会場を去った
というが、そりゃ、悔しかったろう。89年の対決ではカスパロフ氏が楽勝したと
いう。今回は一秒間に2億回手を読むというIBMのコンピュータとの対決。  

 とうとうそこまで来たか、とも思うし、いやチェスはともかくもっと複雑な将棋
ならどうかな、とも考える。将棋の世界もあと数年すれば羽生名人、コンピュータ
との7番勝負に3勝4敗となるのかもしれない。そうなった時彼らは一体どうなる
のか。                                  

 このニュースを聞いた私は二つのことを考えた。一つはそれはコンピュータ否定
派への一つの回答であるということ。コンピュータになど何ができるか、人間の
能力に勝てるわけがないではないかと考える人達に、コンピュータのハードソフト
の能力はそこまできたという答え。                     

 もう一つはコンピュータ礼賛派への警鐘をあらためて行う必要があるのではない
かということ。コンピュータはもう人間の能力を越えた。どんな仕事でもコンピュ
ータで可能だと考えることの間違い。その勝敗の瞬間コンピュータソフトを担当
していた技術者は大いに喜んだという。                   

 しかし彼らが喜んだのはあくまで自分達の作ったプログラムの優秀性が証明さ
れたことの喜びであって、決して世界チャンピオンを馬鹿にし勝ち誇ったもので
はないことだと考えたい。彼らこそコンピュータに何ができ、何ができないか。
人間のどの能力にはまだまだはるかに及ばないかということも分かっているはず
だから。                                

 羽生将棋名人が史上初の7冠王となった。彼はパソコンを駆使して棋譜を学ぶ
ことで知られているが、同時に直感やひらめきが大変優れていることでも知られ
ている。彼は対局中、ロジック思考中心の左脳よりも直感、ひらめき感覚の世界
である右脳を多く使っているという話を読んだことがある。コンピュータやパソ
コンはどこまでこの人間の優れた直感力、ひらめき、感性と言った世界に迫れる
のであろうか。興味はつきない。                     

1996/2/17
Tadashi HAYASE

今週の意見(7):

子供の夢を育てる 

 今週末甥の結婚式で東京まで出かける。飛行機の嫌いな妻もしぶしぶ同行である。
甥は兄の長男。子供の頃から鉄道が好きで、10歳の誕生日に父親がHOゲージの
鉄道模型を買い与えたのがきっかけで、その後小遣いを全部つぎ込んで鉄道模型に
熱中した。大学受験の時も勉強そっちのけで模型に打ち込むので、父親が怒ってそ
れを取り上げようとしたこともあった。甥は大学に入って鉄道関係の技術を学び将
来鉄道関係の仕事につくのを夢みていた。そして彼は無事難関の国立大学の理学部
に入り、大学院を経て、鉄道関係の研究所に就職したわけである。子供の頃からの
夢を見事実現した。しかも結婚相手は同じ職場の同僚。なんとも結構な話である。

 鉄道模型は私も好きであった。その頃は今みたいにあらゆるバラエテイに富んだ
ものがそろっている模型はなかった。でも男の兄弟4人で子供部屋にレールをいっ
ぱいひきつめて楽しんだ。親は別にそれが高校受験や大学受験のじゃまになると言
って怒ることもなかった。また実際それがじゃまになったこともなかった。   

 私ら子供の頃はそのように鉄道模型や飛行機の模型が子供にとって最高のおもち
ゃであった。自分でも部品を買ってきて組み立てて楽しんだ。狭い部屋ではレール
をひきっぱなしにできないので、部屋の本棚やタンス、らん間をうまく利用してレ
ールを高架にして走らせたものである。そこに創造の楽しさやおもしろさがあった
と思う。                                 

 今の時代はどうか。今の子供は鉄道模型や飛行機の模型になど、あまり夢中にな
らないようだ。そう、もっと手軽にもっと興奮できるものがある。テレビゲーム、
パソコンゲーム。ゲームソフトを買ってきて、カセットをポンとセットすればもう
バーチャルリアルな世界。それは確かにおもしろい。そして次から次へと、新しい
刺激と興奮を求めて、ゲームソフトを買いあさることになる。しかしそれはあまり
にも安易な世界でありすぎないかと私は危ぐしている。その仮想の世界はまさにす
ごすぎる。興奮に満ちすぎている。情報が与えられすぎているのである。テレビゲ
ームに限らず最近のおもちゃはみなそういう傾向があるようだ。昔のおもちゃはも
っとシンプルだし、機能的にも不完全だが、しかしそのために子供の創造力を引き
出し子供はその不完全さを補うべく手を加えるおもしろさに夢中になったと思う。
正月部屋に閉じこもり、ピコピコとテレビゲームをやるのと、凧上げや、こま回し
に興ずるのとどちらが子供の夢や創造力を育てるかである。          

 日本では今小学校の子供などにももっとパソコン教育が必要だという意見が多い。
このままではアメリカに負けてしまう、という。私も賛成である。しかし間違って
もらっては困る。日本の教育に今一番欠けているのは情操教育ではないかと思う。
情操教育と創造力を育てる教育だ。パソコンを使いこなす技術教育は是非必要だが
子供の創造性や、夢をいかに育てるか、そのためのパソコン教育でなければならな
いと思う。                                

1996/2/24
Tadashi HAYASE

3月に続く
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