1999年 今週の意見 1月

今週の意見(99)

情報発信能力を身につける

 新年が明けた。1999年である。スリーナイン。スリーセブンではないが、な
にか新しいことが起こりそうな年である。1月4日、官庁では仕事はじめ、多くの
企業でも仕事が始まる。そしてそれぞれの組織のトップ、企業では社長などが年頭
の所感を述べる。ありきたりの挨拶ではなく、毎年それぞれのトップ企業経営者が
どんなことを言うか、私は興味深くこれを見ている。

 今バブル崩壊の後遺症をまだ精算できず、多くの企業がリストラを実行している
がまだまだその改革の努力を継続しなければならないようだ。組織が新しい仕事の
やり方、効率を高めるための根本的な改革努力を続けるのは当然のことだが、その
実はなお上がっていないように見受けられる。

 そう、改革とか、改善とか、変革とか言った言葉で表せない、もっと根本的な心
構え、意識革命が必要なのだと思う。革命が必要なのは個人個人の意識である。個
人の組織に対する意識である。個人の仕事に対する意識、生き方に対する意識であ
ある。日本の企業社会では終身雇用制度は崩壊しつつあるが、人々の意識はまだ組
織頼りのところが多い。組織に頼って、組織にぶら下がってなんとか生き延びよう
とするのが一般的なスタンスである。これではだめだ。

 失業率は4.3%ついにアメリカのそれと逆点し、さらに上がる可能性がある。いや
二桁に達するだろうという予測すらある。終身雇用をいい、雇用確保を保証してき
た企業経営者ももうそんな甘いことをもはや従業員に向かって言えない。大量生産
大量消費の時代は終わった。経済構造ががらりと変わる。企業内でもこれまで通用
してきた多くの職種、技能が陳腐化すると考えてよい。

 企業自身もその構造を変革しなければならない。全く新しいやり方で経営をやっ
ていかなければならない。従業員に要求する仕事の中身も大いに変わってくる。そ
のような時、従業員にどういうか。「会社はそのための教育訓練のお手伝いをする」
というか。そんな必要はない。「それぞれ新しい技能を身につけ、新しい仕事に適
応して欲しい」というべきだ。労働省が失業対策として提供するさまざまな教育訓
練プログラムなども相変わらずの発想だ。そんなものはすべて自分で身につけるべ
きことである。甘やかすな、甘えるなといいたい。

 今の社会一言で言えば情報化社会である。情報化社会にあって一番大切な能力と
は何か。パソコンを使えたり、インターネットを自由に操れたりすることはもちろ
ん大切である。誰も彼もそうしたことに力を入れる。が、私に言わせると、もっと
大切な今の日本の平均的サラリーマンに欠けているのは情報発信能力であると思う。
情報化時代、情報収集能力やその処理能力は当然大切である。が、多くの場合理解
されていないのは、それよりももっと大切なのは情報発信能力である。自分自身の
言葉で自分の意見を言うことである。

  このことについて日本人は特に情報化するグローバルな、社会にあって遅れてい
ると思う。情報とは集めるもので発信するものだというマインドが少ない。自分の
言葉で自己主張をし、情報を提供し、情報交換に参加し、コミュニテイに貢献する
というマインドがない。情報とはただでもらうものだと思っている。

 そんなことでは到底グローバルな情報化社会に適合できないのではないかと思う。

1999/1/9
Tadashi HAYASE
今週の意見(100):

継続は力なり

 この今週の意見が100に達した。これをホームページで書き始めたのが
1996年月のことだったから、もう足かけ3年になる。中身の善し悪しはともか
く、何か一つのテーマについて毎週一つ書くということは正直なかなか大変である。
これが新聞社だったら、社説などは10人もの書き手がいて順番に書くのだろうから
いい。がこっちは一週間に一度誰にも頼らず、自分自身で書くのだから。そういう点
では天声人語、春秋といったコラムの作者は一人で毎日だからこれも大変なのだろう。
がこれもテーマはすべて自分が考えるとしても新聞社ならやはりスタッフがいて、例
えばその中で書くテーマについての事実関係の調査など依頼できるだろうから、その
点は楽なはず。

 それについても個人のホームページでさまざまな意見を書くとなるとすべて自分で
調べ、自分の責任でやらなければならないからかなりの負担になる。正直もう何度も
やめようとか、毎週一度を、毎月一度にしょうとか思ったことは何度もある。が、か
なり無理しながら毎週一度というペースを守って、ここまでこれたのは自分でも満足
感、達成感がある。

 書くこと自体はそんなに難しいことではない。これもこの十年間、パソコン通信や
最近ではBizTech Forumなどで毎日メッセージのやりとりをしてきたおかげで、まあ早
い場合、30分もあれば書きあげることはできる。問題はテーマである。さあ何を書い
たらいいか、これが毎週の悩みである。さあどんなテーマをとりあげようか、ニュース
を聞いたり、新聞を読んだり、友人と雑談をしている中でテーマを見つけるわけだが、
それを確定することが難しい。テーマさえ明確になれば後はそんなに問題ではない。

 テーマは結果的にはそれまでに書いたものと同じようなものになりがちである。が、
それぞれ少しづつその視点を変えたり、最近のトッピックスと関連させたりして書くこ
とで工夫をしていくわけだ。そういう訓練、作業はホームページに書くためにやるわけ
だが、実はこれが結果的には仕事の上でも大変役に立っている。当然のことながら仕事
上報告書を書いたり、問題提起をしたりする場面は多いわけだが、そうした場合役立つ
ことが多い。いや、それが一番の成果ともいえるだろう。

 それを書くことはたしかにしんどい作業である。しかもどうしてもマンネリにおちい
りがちになる。でもなんとか、それを続けていくことでだんだんそれ自体がおもしろさ
になり、充実感となっていくことも事実である。

 「継続は力なり」という言葉あるが、まさにそうだと思う。しかもこれが単なる日記
とか自分だけの世界ならここまで継続はできなかったと思う。ホームページに書くこと
でひょっとすると誰が読んでいるかもわからないと思うからこそ、多少手抜きがあった
としても、最低限、恥ずかしいことは書けないという緊張感があるからこそ、継続でき
たのだ。これがもう一つホームページを持つ効用でもある。

1998/1/16
Tadashi HAYASE
今週の意見(101):

ハイリスク・ハイリターン

 自自連立内閣が発足した。この連立についてマスコミや国民の評価はどうなのだ
ろう。某民放テレビのアンケートでは自民党も自由党も支持率をあげていたところ
を見ると国民の支持もある程度あったものと思われる。マスコミの評価もさまざま
だが、これを日本の政治改革の一歩として評価する向きもある。

 自由党以外の民主党をはじめとする野党の評価は当然のことながら厳しい。「単
なる数合わせ」というのがもっぱらの言い分だ。が、私自身はこれはここ最近行わ
れてきたさまざまな政党同士の連立とはかなり違うと思う。そのあり方、やり方に
ついて積極的な評価をしたい。

 第一その連立の両党首の合意以来2ケ月を掛けて、政策の中身を徹底的にすりあ
わせしたことである。国家の基本である安全保障問題、有事の場合国連への自衛隊
の派遣をめぐっての解釈の違いなどを徹底的に論議したこと、政府委員の廃止と副
大臣制の導入、それと内閣閣僚数を20人から18人に減らしたこと。それと衆議
院議員の比例区選出議員を50名減らしたことなどいずれも画期的なことであった
と思う。

 いずれもこの大経済不況、財政赤字の中、行政改革、立法改革、財政改革、そし
て経済成長を達成するという難事のためには国家の根本的あり方、構造改革を断行
することがなによりも大切であること、そのためには官僚主導の国家運営を脱して
政治家主導の国家運営を断行しなければならないという自由党小沢党首の考えが大
きく反映された結果である。こうした連立政権が発足したことについて、この難局
打開に政治のリーダーシップが発揮される可能性が生まれたものと歓迎したい。

 連立政権発足後、自由党から自治大臣として入閣した野田 毅氏がおもしろいこ
とを言っていた。「自民党は大政党なのでなにしろ安定を重んじる。いわばローリ
スク、ローリターンの志向。それに対し自由党は小政党であり、国民の支持を得る
には国民の望む政策を思い切って導入、断行しなければならない。いわばハイリス
クハイリターン志向である。」

 そう、今日本国家に必要なのは政治経済分野の構造改革であり、しかもそのスピ
ーデイな断行である。自民党と自由党の連立は保主同士の連携と言われるが、実は
他のいかなる政党との組み合わせにもできない、もっとも大胆な改革、革新を断行
できる唯一の組み合わせであり、その改革の早期実現を期待するものである。

1999/1/23
Tadashi HAYASE
今週の意見(102):

ワープロについての誤解

 ワープロやパソコンが普及してきた。今年の年賀状などを見てももう9割がワー
プロやパソコンで作ったものだとわかる。宛名書きもそれを使ってやったものが多
い。郵便番号はもちろん、住所、名前まできれいに打たれているものもあるし、字
が少し大きすぎたり、郵便番号など枠からはみ出したりしているものもある。別に
それはそれでかまわないと思う。私などそんなことは一向に気にしない。

 ところが年賀状はもちろん、手紙などもワープロやパソコンで打つこと自体が失
礼だと思っている人がまだいるらしい。この間、ある会で一緒になったお年寄りな
どがそうだ。ワープロや、パソコンなどで手紙、この場合私信なのだが、私的なこ
とに使うのは失礼だと思っているとのこと。それはビジネスの文書ならいいが、私
信に使うのは失礼だという。それは何か機械的で、人間的な暖かみがなく、誠意が
感じられないものだと言われる。

 どうでもよいことだが、私は聞いていて少し反論したくなった。まだワープロや
パソコンが出始めた頃、そのような議論があった。文章を書くことを職としている
人々の間にもそういう論議があった。ビジネス文書はいいが、私信に使うべきでな
い。第一、文章を書く場合それを使うとリズムがこわれて、いい文章が書けない。
あの機械的な文字は読みやすいかもしれないが、個性が感じられず、味がない、な
どなど。

 ワープロ、パソコンが普及し、電子メールが普及し、インターネットが普及しは
じめた今日、そういう議論は殆ど聞かれなくなった。新聞記者や雑誌記者はワープ
ロで文書を書かないと、直接記事に取り込むことができなくなった。ビジネスマン
も電子メールで社内のやりとりするためにはすべてワープロを打たなくてはならな
くなった。昔のように手書きの文書を女性社員に清書してもらうことはなくなった
のである。

 いや、まだワープロとは文書清書機だと思っている人が沢山いるようだ。ワープ
ロとはまさにワードプロセッサー、別の言葉で言えばアイデイアプロセッサーなの
である。試行錯誤を繰り返して、最善のアイデイアをまとめる機械なのである。
できた文章をきれいに印刷するなでというのはほんの一部の機能に過ぎない。

 そういう意味で、ワープロというものはまだまだ誤解されているようだ。誤解し
ているのはお年寄りならいいが、それだけではなさそうだ。会社で文章を手書きで
書き、それを女子社員に打ってもらっている管理職をまだ見かける。ワープロをペ
ン代わりに使えないようでは、これからのデイジタル社会では生きていけないこと
を悟るべきである。

1999/1/30
Tadashi HAYASE

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