1997年 今週の意見 −1月
今週の意見(1):
着実な前進
1997年が明けた。牛の年である。日本には今520万人の年男、540万
人の年女がいるそうだ。全体の人口が一億600万人位だから、牛年生まれの比
率は大変高い。1949年、それに1973年が牛年でベビーブームの年だ。現
在の日本のリーダ橋本首相や、池田外務大臣も牛年生まれ。何を隠そうかく申す
私もその一人である。ベビーブームの時代に生まれたわけではないが。
21世紀まであと3年。波乱の世紀末である。新年おめでとうと年賀状を親戚・
知人・友人と交換した。めでたいこともあるがめでたくないことも沢山ある。年
末に起きたペルーの人質事件などはめでたくないことの代表である。事件解決の
めどもないまま新年を迎えてしまった。
日本の政治経済、それに我々の生活に直接関わる大きな問題が山積している。
多額の財政赤字、行政改革、社会の老齢化と福祉問題など我々の生活を直撃する
問題ばかりである。それら諸問題を先頭に立って解決に乗りだし、国民をリード
すべき立場にある政治家や官僚の不祥事は、国民に政治への不信感と絶望感すら
与えてしまった。政治や、政治家、国民の公僕たる官僚が信用できないとなると
国民は、国や、コミュニテイや、他人のことよりも自分と自分の家族の生活を守
ることだけを頭におくようになる。それでは結局自分達の生活自体が守れないこ
となることを忘れがちである。それではいけない。
今の自分達だけの生活はなんとかなるかもしれない。が、多額の財政赤字、多
額の借金を自分達の子供や、孫の世代に先送りしてことが済むわけがない。他の
先進諸国も同じ財政赤字の問題を抱えているが、いずこもその問題の解決にはい
ち早く、より具体的に取り組みつつある。一人日本の改革だけが遅々として進ん
でいない状況のようだ。
年賀状の一句に「少しでも前に進もう丑の年」---スローモー---と書いた。日
本の政治経済体制、日本人の性格、文化性から言って改革が急激に進むことは難
しいことは、許容する、許容せざるをえないとしても、スローでもいいから財政
赤字、行政改革、福祉問題などについて、もっと着実な具体的改善・改革を進め
ていかなければならない。
1997/1/11
Tadashi HAYASE
今週の意見(2):
市場はやはり待ってくれない
日本経済は新年早々株価急落という事態に直面した。日経平均株価は昨年来最大
の下げ幅となり、95年11月以来約1年2ケ月ぶりに18,000円台を割った。市場
には、政策への不信感や景気の先行き懸念が強いのがその理由という。アメリカな
どでは株価はむしろ上昇している。これは主に外人投資家が日本株式市場から撤退
をしていることがその背景だ。彼らは最近日本政府当局が打ち出している経済財政
政策に対して、これでは本当の財政再建、経済構造改革にはならないと不信感を抱
き、先行きの日本経済に対しても不安をいだいた結果であったのだ。
昨年のこのコラムで私は橋本内閣の行政改革の取り組みについて、もっと急いで
ことに当たるべきだという意見を述べた。行政改革といい、財政改革といい、それ
について取り組みの姿勢は示されているものの、そのタイムスケジュールがあまり
にも遅い、時間が掛かりすぎることについて懸念を述べたのである。のぞみ号超特
急に乗ってことに当たるべきだとの意見を述べた。
その後の政府の行革・財政改革への取り組みは印象としてはやはり、遅々として
進まず、ということであったようだ。具体的には来年度予算編成の中身にそのこと
がよく現れている。予算配分が各省庁の相変わらずのぶんどり合戦の結果の産物の
ように見えたことは否めないし、またその傾向は大いにあった。このことが投資家
の不信感を拡大したのはまちがいない。
今年の「今週の意見」の第1号では「少しでも前に進もう丑の年」と書いた。改
革に当たって時間が掛かるのは、いいにつけ悪いにつけ日本文化、日本式経営の特
色であり、それはある程度しかたがない。それはある程度許容せざるをえないが、
せめて確実に前進して欲しい、すべきだと書いたわけだ。そのことは今でも基本的
には間違っていないと思う。しかし、これを外国人、外国から見るとやはり許容で
きない考え方のようだ。世界は今やグローバルの時代。グローバリゼーションが進
んでいる。日本の政治経済体制もグローバルな仕組みの中に組み込まれているのだ。
一人日本だけが日本的なやり方でいいということは許されなくなったのである。
年頭の株価急落はなによりもこのことを改めて日本の為政者、企業経営者、そし
て国民に知らしめたのである。日本の構造改革、行政改革、規制緩和、財政再建と
いったことに待ったはないようだ。スローな改革など許されていないのである。闘
牛のように目標に向かって猛然と、そして確実な改革を実施する以外に国際社会か
ら、そして国際市場からの信用を取り戻す道はなさそうである。
1997/1/18
Tadashi HAYASE
1997年
今週の意見(3):
電子年賀状
今年もあいかわらず年賀状をやりとりした。150枚近く出したりもらったり
した。毎年のことだが、年賀状作りは一苦労。何を書くか考え、それを一枚一枚
パソコン・プリンターで印刷し、一枚一枚宛名書きもパソコンを使ってやってい
く。結構大変で、今年もざっと毎日10枚程度やり、全部やるのに2週間ばかり
それに費やした。それはそれでよい。が、さらに年が明けて年賀状が配達されて
くると、こちらから出さなかったのに新しくいただくものが必ず十数枚はある。
正月早々おとそを飲みすぎて頭がぼっとしている時に、それらにせっせと返事を
書くのもまた大変なのである。そして書いたものを、まだ閉まっている郵便局の
ポストまで入れにいく必要がある。これも毎年恒例の行事なのだが。
そうした通常の郵便による年賀状に比べて、電子メールによる年賀状のなんと
簡単なことか。毎年もうそれでお互いすませている同じパソコン通信の仲間が何
人かいる。それも一対一の形ではなく、電子会議ボード上に載せるから、多くの
人に一度で挨拶できる。向こうも同じように挨拶するから、それでおしまい。い
やそんな味気ないものをと言うかもしれないが、こっちの方がかえって単なる儀
礼的なものでなく、コメントがあったり、またそれに対する返信があったりでお
もしろいし、内容がある。
それにおもしろいのは最近インターネットでもやりだしたような年賀状交換リ
ンク。今年も2カ所ばかりそういう交換リンクに参加したが、これで見もしらぬ
全国の人と交流できるのはすばらしいことである。
郵便年賀状に電子メールアドレスや、インターネットホームページのURLな
ど書いておいたおかげで新年早々何人かの人から電子メールの年賀状をもらった。
私のホームページ上の年賀状に関する感想があったり、どうやってホームページ
を作るのか、といった質問があったり、返事を書くのに結構忙しかったが、郵便
の年賀状よりはるかに簡単。しかも中身がある。郵便年賀状のように一律、形式
的なものではない。相手ごとに中身がちがう。
今年から形式だけ、儀礼だけの年賀状を廃止する企業が増えたが、段々そうな
るだろうと思う。個人でも単なる習慣的、形式的年賀状をやめて、より簡単でコ
ストも安く、しかも中身のある電子メールによる年賀状の交換はこれからどんど
ん増えていくだろう。郵便局ももっと新しいサービスを考えた方がいい。お年玉
つき電子年賀状だってインターネットで沢山登場してきているのである。
電子メデイアの発達はこれまでの商習慣、社会習慣、生活習慣を根本的に変え
つつある。これに対応できない市場や商品、サービスは必ずすたれる。昨年始め
地元の大企業や官庁すじが中心になって住民サービスを売り物にしたパソコン通
信サービスがスタートした。年会費2,000円ということで、まあ地域社会の情報が
いろいろ得られるだろうから、と入会した。そして電子メールなどはすぐに始ま
ったが、すぐにできるはずだった情報交換の場たるフォーラム、電子会議など一
年たってもとうとうできず、サービス自体空中分解することになってしまった。
払い込んだ会費も返してくれるから、こっちはなんの文句はないが、おかしな話
ではある。多分技術的な問題ではなく、当事者の発想の問題だろうと思う。既存
の規制主義、形式主義の中で育ってきた当事者が電子会議の本質、たとえばその
オープン性などとうてい理解できないだろうからである。
退会の届け書が送られてきたのはいいが、名前を書き、ハンコを押し、郵便で
送り返すことが必須だとなっている。せっかく電子メールなどがあってもその使
い方自体全く分かっていないようなのだ。来年はどれくらい電子メールの年賀状
が増えているかと楽しみにしながらも、一方ではまだまだそういう社会の現実も
なくなりそうにないなあと思いをいたすわけだ。
1997/1/25
Tadashi HAYASE
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