2005年 今週の意見 1月

今週の意見(402):

災い転じて福となす

 もう何年も毎週土曜日ホームページを改訂している。が、年末年始だけは例外と
して、しない、できない年があった。今年もそのつもりであったが、今年の元旦は
土曜日である。一年の計は元旦にあり、いつものようにやはり早起きしてと改訂す
るつもりになったわけだ。

 昨年の年の漢字は「災」であった。こんな漢字が選ばれるなんて好ましいことで
はないが、まさにそれがぴったりの年だった。世界中で、風水害、大地震、が起こ
った。最後の極めつけはあの大津波。10万を超える犠牲者が出た。一つの町、村
がそっくりなくなってしまったひどいものだった。遺族の方々の悲しみはいくばか
りであろうか。

 イラク戦争もまだまだひどい状況が続いている。こちらは天災ではなくまさしく
人災である。地球上に住んでいる人類は、さまざまな天然災害に遭って改めて自然
の脅威をいやというほど感じた年にであったに違いない。アジアの津波などについ
ては世界中が力をあわせて、その復興に当たらなければならない。あたるべきなの
だ。もう人災の戦争などやめて、人類社会は改めて自然との闘いを始める年としな
ければならない。

 「災い転じて福となす」ということわざがあるが、世界は今こそそれを希求すべ
きなのであろう。今年の漢字が、「福」となることを願ってやまない。

2005/1/1
早勢 直
今週の意見(403):

七草かゆ

 昨日1月7日は七草かゆの日、日本では昔からこの日7種類の野菜が入ったかゆ
を食べ、一年の無事息災、健康を祈願する伝統がある。ただのコメだけのかゆでな
く、野菜特に薬草的な7種類の野菜をいれたかゆが健康にいいことはいうまでもな
い。スーパーに行くと、わざわざその野菜類をセットしたものを売っていたりする
が、我が家ではそれを作って食べたことはない。と、いうのはそれはどう作ろうが
それ自体そんなにおいしいものでないことがわかっているからだ。

 いや、そうじゃない、そういうものをわざわざ作って食べるところに意味がある
ということはわかっている。が、最近では毎日のように、TVの番組などで何をど
う食べたら健康にいいか、しかもそれをどう料理したり、他のものもと組み合わせ
て食べたらいいかという情報が山ほど提供されるから、人々は毎日それを試してみ
るわけだ。我が家でもそうだ。だからわざわざ七草かゆを作って食べる家庭も少な
くなったのだろうと思う。

 昨年12月年末まで暖冬が続いた。が、大晦日になって雪が降ったとたん、わあ
ー寒いのはかなわないが、待望の季節到来と思ったことが一つある。それは冬の食
卓の楽しみの一つ、鍋物の季節到来ということだ。鍋物というと、野菜は七種類ど
ころでなく、10種類以上入れることがある。そして魚、肉類、豆腐、コンニャク
など材料と味付けの組み合わせはそれこそ無限にある。我が家でもその時の状況に
応じて、さまざまなものを組み合わせて鍋物を楽しむ。入れる材料は20種類にも
及ぶことがある。味つけはしょうゆ、みそ、砂糖、日本酒、ワインなどなどこれも
その組み合わせの妙がある。

 最近ではすきやき、ちゃんこ、ちり、キムチ、豆乳などの鍋をベースとして、そ
の組み合わせをさまざま変えてやってみるわけだ。まあ時々これはあまりよくない
ということもあるが、大抵は新しい材料の発見や、組み合わせでおいしいものがで
きる楽しみがある。

 そうした鍋物にはもちろん豚肉なども入っている場合があるが、多くは魚、鶏、
それに野菜、豆腐といったものが中心であり、少々食べ過ぎても肥満に結びつくこ
とはない。この間もテレビで見ていたらアメリカでは4000万にも人が肥満に悩
んでいるというニュースがあったが、お腹いっぱい食べて、しかも肥満に結びつか
ない鍋物を含めたかずかずの低カロリーでしかも栄養満点の日本食を教えてあげた
いものだ。

 もっとも鍋物といっても野菜にしても魚、肉類にしても、日本での物価は高い。
特に野菜類がそうだ。だからそう頻繁に楽しむことができないのが悩みといえば、
悩みなのだ。

もう一つこれは問題かどうかである。そうした日本食のおかげで日本人が長命なの
は果たして本当にいいことなのか、どうかである。いいに決まっていますかね。

2005/1/8
早勢 直
今週の意見(404):

ODAの増額が条件

 日本やドイツが国連安全保障理事国入りを表明していることに関し、アナン国連
事務総長の諮問委員会は、その条件として両国にODA(政府開発援助)の大幅
増額を要求していることがわかった。日本のODAは縮小傾向で、現在GNP比
約0.2%、これを諮問委員会要求通り目標GNPの0.7%となると、財政困
難な日本にとっては、大きなハードルをつきつけられたことになる。

 MLでも原さんや、上田さんが書かれていたが、そうした要求自体極めて正当
性に欠けるものだ。まず第一に、上田さんの言われるように他の常任理事国が同
じような規模でODAを負担しているのか、ということだ。そんなはずはない。

 ODAうんぬん以前の問題として国連の歳費に関しては日本はほぼその20%
を負担しているのに、米国は別にして他の常任理事国の負担率は極めて小さい。
それもどういう根拠でそうなっているのかよくわからないのである。

 もっとわからないのは原さんの書かれているように、国連には未だ敵国条項と
いうのがあって日本とドイツの名前がそこに連なっている。それがまた一体どう
いうことなのかよくわからない。

 さらに仮に日本やドイツその他候補国が常任理事国になっても、既存の常任理
事国と同じように拒否権が与えられるかどうか、わからないという問題がある。
どうもそれは既存の常任理事国の既得権で、新任の場合は与えないという考えが
あるようだ。そんなおかしなことがあるか。

 現在の形の国連ができた経緯はわかる。が、もう今や時代は大きく変わってい
るのだ。そうした時代の変化に全然対応していない国連に日本がどう関わってい
くのか、国連常任理事国入りなどということ以前に日本自体もっと根本的に考え
直さなければならない時期にきているのではないだろうか。

 第一日本の国連常任理事国入りなどということに関して、カネだけの問題でな
く、軍事的貢献という意味で日本の憲法改正問題などもからんでくる。それに関
して果たして国民のコンセンサスがどれだけえられているのか、いないのかが大
問題である、そうした議論も国内では、まだ十分ないまま、こうした話だけ、ど
んどん先行するところがどうもおかしいのである。

2005/1/15
早勢 直

今週の意見(405):

右往左往の文科省

 1月19日の朝日新聞のトップに、「中山分科相、総合学習、削減の意向」とあっ
た。総合学習とは、教科を超えた学習で子供の問題解決能力などを養うため、文科
省が2002年なりもの入りで導入したものだ。その経緯はよくわからないが、多
分今回の見直しのきっかけとなった何か国際機関の調査などによるのだろう。子供
の学習レベル、能力に関する国際機関の調査で、日本の子供はそれぞれの学科の能
力レベルは高いが、自分で考え、自分で問題解決する能力に欠ける、などという報
告があったのだろう。

 それは、困る、学科詰め込み教育がいけない。知識偏重の教育が問題だと、教育
専門家などもよってたかってそういう諮問をしたのだろう。総合学習の時間が新し
く学校カリキュラムに加えられたわけだ。それは教育現場でも混乱を生み、多くの
先生は一体それをどうやったらいいのか、悩んだ。しかし、その後それぞれ研修な
り、研究をかさね、ようやく、週5日制のいわゆるゆとり教育の路線とともに定着
しはじめたかに見えた。そのとたんのまた方向転換指示が出たわけで、教育現場の
困惑ぶりは想像がつく。

 今回のそうした方向転換も同じように国際機関の調査による。その調査で日本の
子供の算数や国語の基礎的能力が国際レベルで相当落ちていることが報告された。
で、あわてた分科省、ゆとり教育の見直し、総合学習時間をやめて、算数・国語・
理科・社会などの基礎学科の時間をまた増やすことにしたわけだ。

 そうした右往左往ぶりの見識のなさは各方面の批判を浴びている。いや、たしか
に子供に基礎学科をしっかり身につけさせることが何より大切なことはいうまでも
ない。今も昔も「読み・書き・そろばん」が教育の基本であることは間違いない。だ
からその見直し自体が誰も間違いとは言わないだろう。

 問題はその右往左往ぶりである。第一、一番の間違いは、そんな号令だけで学校
教育現場がはいそうですか、とすぐに対応するかどうかである。じゃ、そもそも問
題になった、あれほど大切だと言ってきた総合学習の意味は一体どうなったのかで
ある。そっちはやめで、基礎学科優先だ、などという言い方、考え方自体がおかし
い、間違いなのではないか。

 私が分科相なら、総合学習の大切さはなんら変わらない。基礎学習を再度強化す
るとともに、総合学習のねらいもその中で実現して欲しい。そういうべきだろう。
そのはずである。算数、国語といい、理科・社会一体何のために学ぶのだろう。た
だ知識を身につけるのではない。その知識に基づいたさまざまな問題意識を養い、
問題解決能力を身につけることがその目的ではないのか。今も昔も優秀な先生はそ
れを意識してそれぞれの教科の教育、指導に当たっているはずである。優秀な先生
は別に分科省のそうした右往左往ぶりを心の中で冷ややかに見ているに違いない。
「なんだ、今更、そんなこと当たり前のことでじゃないの」と内心思っているにちが
いないのである。

 そのうちまた別の国際機関の調査が出てくる。この国際化時代、そしてITの時
代、各国の子供の英語能力やパソコンの能力は一体どうなっているか、などについ
て調査である。そこでまた日本の子供のレベルは低いとなったら一体どうなるのか。
また分科省のあわてふためきぶり想像されておかしくなる。

 大変なことであるが、今の時代学校で英語やパソコンを教えることの大切さも絶
対強調しておくことも当然である。それでなくても学校での授業時間が足りない。
そんなことができるわけがない。それはそうだろう。だれもそれが全て学校教育の
責任だ、などと言わない。

 学校現場に加え、家庭では親は世のニーズを見、考えながらそれぞれ自分の判断
でさまざまな方法を使い、子供にそうした教育を施している。それが大切であり
それでいいのではないか。教育はそもそも学校だけの責任でない。親のガイダンス、
アシストも大切なのである。

2005/1/22
早勢 直
今週の意見(406):

しらけ鳥が舞う国会

 通常国会での小泉首相の野党質問に対する答弁ぶりが問題になっている。以前か
らそうだが、質問にまともに答えようとしない。先週は岡田民主党党首の質問に対
する回答がなっていないとして、民主党や社民党の議員が一時本会議場から退席す
るという事態があった。

 河野洋平衆議院議長が、「もっと誠実な答弁をするように」という異例の注意があ
ってことは収まったが、その後も全くあまり反省の色がない。

 かって 公約違反は「たいしたことじゃない」、年金問題では「人生いろいろ」
と開き直った。イラク戦争をめぐっては「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域か
いまこの私に聞かれたって、わかるわけない」「自衛隊が活動しているところは非
戦闘地域」などなどと委員会で答えた。本会議では細かい議論はしない、大きな原
則論だけ話すのだ、といった趣旨の答弁をしたが、委員会の回答ぶりも大同小異だ。

 要するにこのお方、民主主義にとって一番大切な討論、ディベートというセンス
能力が欠如している。日本の議会制度はイギリスのそれを習ったものというが、イ
ギリスでは国会で与党、野党が議場で双方が向かい合い、徹底的な論戦をはる。小
泉流のあんないい加減な対応をすればそれこそ、野党はもちろんマスコミなどから
も徹底的に叩かれるにちがいない。ましてや政治の最高責任者である首相があんな
答弁をしていてそれがまかり通るようなことはないだろう。

 日本ではそれがまかり通っている。マスコミも批判の声を浴びせないわけではな
いが、そうした批判を浴びてもまさにどこ吹く風といった風情である。郵政民営化
問題、年金問題、イラク戦後処理問題、などなど問題は山積しているのだ。それを
論じる国会の論戦があんな調子でいいのだろうか。朝日新聞の社説は「むなしい論
戦」と書いていたが、まさにそうである。しらけ鳥が舞っている。が朝日の社説にし
てもそこで終わっている。

 こんな首相と内閣は一日も早く倒さなければ日本の国は危ない。どうしてそこま
で書かないのか。他のマスコミも同じである。こんな調子の政治が一体いつまで
続くのか。

2005/1/29
早勢 直
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