1998年 今週の意見 −2月
今週の意見(53):
松永さんて?
三塚大蔵大臣が辞任して、誰が大蔵大臣になるのか、日本国内のみならず世
界中で注目された。結果元検事の松永氏が任命された。汚職事件の多発した中
で、省内の綱紀を一新するためにも、そういう人事が必要だと橋本総理の判断
だったのだろう。私はBizTech Forumのビジネスサロンの中でも、これについて
は随分発想の貧しい人事ではないだろうかとコメントした。が、やはりそのこ
とは後になって、マスコミでもいろいろ話題になったようである。
2月2日日曜日の朝、フジテレビの報道2001を見ていたら、そのことが
話題になっていて、自民党の加藤幹事長とか、同じ自民党元建設大臣の亀井氏
評論家竹村健一氏などがそれぞれコメントしていた。亀井氏はその人事には不
満らしく、どうして松永氏のような無名の人でなく、もっと自民党の中の大物
有力者をアポイントしなかったのか、と言いたかったようだ。加藤幹事長は立
場上当然のことながら官僚をきちんとコントロールできるのは、こういう人で
ないと駄目だと肯定的だった。
評論家の竹村氏は、こういう金融システム混乱時、求められているのは金融
システムのプロであって、国際的にも影響のあることだから、大蔵省内部を含
めて、民間、学界といった外部からでもそういうプロを引っ張ってくるべきだ
という意見であった。アメリカの連邦銀行議長や、現政権の財務長官が民間出
身者であることをその例にあげていたが、私はそれが一番の正論であると思う。
同じことを例のBizTech Forumでも述べたわけだ。
加藤氏、亀井氏、それに任命当時者の橋本総理だってその考え方は古すぎる
し、間違っていると思う。官僚を支配するとか、コントロールするとか、まし
てや官庁の考え方を踏襲していける人物でないと駄目だという考え自体がまち
がいである。ことは汚職事件の後始末が問題なのではないし、再発防止が主な
仕事でもない。大切なのは世界に通用する、世界の信頼を回復する金融システ
ムを作り出すことなのである。
そのためにはどこの出身者であろうと、世界に通用する本当の金融、財政の
プロを大蔵大臣に任命することが一番大切なことである。天下りが問題になっ
ているが、官庁から民間に優秀な人材が行くことは一向に悪いことではない。
問題はそれが一方通行だからである。逆に民間から官庁に、大臣クラスの大物
を含めてどんどん優秀な人材が登用されてしかるべきでなのである。学界との
交流も当然あってしかるべき。
問題は日本ではそういう交流がないことが根本的な問題なのである。これが
それぞれの社会の閉鎖性、そしてそれから派生するさまざまな問題につながっ
ているのである。その点ではたしかにアメリカのケースを大いに見習うべきだ
と私は思う。
1998/2/7
Tadashi HAYASE
今週の意見(54):
がまんのしつけ
ナイフなどを使った少年の凶悪事件があいついで起こった。中学校では女
性の先生が殺され、町では警官が襲われナイフで刺され、重傷を負った。学
校や警察はこういう事件が起こると、慌てて、その対策に乗り出す。警視庁
は学校に対し、そうしたナイフなど学校に持ってこないように指導し、町の
販売店に未成年にそうしたナイフなどを販売しないよう呼びかけている。そ
れはそれで結構だ。が、もっと常日頃から、そういう監督指導があってもい
いと思う。刃渡り10センチもの刃物なんてそれ自体がもう凶器である。そ
んなものを未成年が簡単に買い求められること自体がおかしい。
学校でそういう危険なものを持っていないか、検査し、監督せよと言われ
てある都の校長はこう答えている。「なかなか難しいことで、注意深くなら
やければならないことだ。」一体何を注意深くやるのか。何を遠慮している
のか、それをやったら何がどうだというのだ。子供の人権を犯すことになる
とでもいいたいのだろうが。教師殺害事件のあった校長は何か淡々として、
「その生徒と殺された先生の間にコミュケーション上なにか問題があったと
は聞いておりません」などとテレビのインタービユーで答えている。一体何
を言いたいのか。まさかコミュニケーション上の問題があれば、事件の背景
が説明できたとでも言いたいのか。
こうした事件が起こったことについて、中教審の座長が「当たり前過ぎる
と言われるかもしれないが、子供のしつけは家庭でということをもっと徹底
すべきだ」という趣旨のことを言っていたのが一番まともなコメントことだ
と私は思う。これについて2月4日の朝日新聞は、そんなことは事件解決の
即効薬にならない、とコメントしている。一体何を言ってるのか。即効薬な
んてもともとありようがない。
これら一連の事件、そして警察、学校、そして一般の人々の反応はすべて
対症療法的であり、近視眼的である。危険なナイフを買い求められることが
悪い。そうである。学校に持ちこんでくることが悪い。そうである。が、な
にもかにも、どうしてそんなことをするのか、それは彼らが学校に、家庭に
社会に不満を持っているからだ、それが何かを考えようなどという考え方自
体がおかしいと言わざるをえない。
警察は厳しく危険物の監視をすべきだ。学校では生徒の持ち物の検査をや
って当然である。そして違反行為には厳重の注意をすればいい。しかし何よ
り大切なことは中教審座長のいうように家庭におけるしつけの大切さの原点
に戻ることだ。何が正しいか、正しくないかのけじめ、そしてつらいこと、
正しいことには我慢づよくこれを守る我慢の心を十分教えることである。
なぜそんな事件が起こるのか。それに対する即効薬なんてまさにない。ナ
イフをとりあげたところで根本問題の解決にはならない。ナイフ販売店こそ
迷惑な話である。子供達を家庭において、そしてもちろん学校において正し
いこと、正しくないこと、そのことの基本を正しくたたき込み直す以外にそ
の根本的解決策はない。
1998/2/14
Tadashi HAYASE
今週の意見(55):
健闘のメタル
オリンピック一色の毎日である。清水選手、里谷選手、舟木選手の金メタ
ルは率直にうれしい。テレビで何度見ても飽きない。特に里谷選手のそれな
どはほとんどだれも期待していなかったことだから、なおさら感激の度合い
は大きい。日本人として日本中を興奮にまきこんだ点では今年度の最高殊勲
選手が確定したようなものだ。厭なことばかり続いた中での快挙である。
金銀銅メタルも値打ちがあるが、ほとんど実績のない選手が入賞したり、
下位であっても日本記録を出したりしたことをもっと評価してもいいと思う。
最近の新聞報道などではそういうスタンスの報道が多くなったのは大変いい
ことだ。オリンピックなんてまさに一発勝負、それ以前にいくら実績があっ
てもちょっと失敗したら終わりだし、天候に大きく左右されることもある。
逆に里谷選手のケースのようにそのプレッシャーがなく、思い切ってやった
結果金メタルにつながることもある。もちろんプレッシャーに勝つことも大
切な条件だが、それですべてでもない。
いずれにせよ金銀銅メタル獲得者だけが評価されてしかるべきものではな
い。総合的な評価や、より長い時間の経過のなかでどう進歩しているか、後
退しているかを念頭においた評価が是非必要である。清水選手が1000メ
ートルで二つ目のメタル、銅メタルを取った時、マスコミのインタービユー
に応えて言っている。「メタルを取った取らないは結果であって、我々選手
自身はそれにいたるプロセスをもっと大事に考えていることをわかって欲し
い」と。
このことはことオリンピックの競技に関連してだけでなく、ありとあらゆ
ることについて言えることである。学校での成績、企業業績などについても
同じこと。すべてその瞬間だけのあらかじめ決まっている評価基準について
だけの評価になりがちである。そうではなく、さまざまな基準に沿った総合
点、それに時間の経過の中で伸びているのか、停滞しているか、後退してい
るのかの趨勢的な評価が是非必要なのである。
オリンピックの大舞台で勝つことはたしかにすごいことである。しかし、
そうした大舞台でなくても世の中、こつこつと世のためになるように貢献し
ている人はいくらでもいる。今はだめでも数年たてばすばらしい木に育って
いく木もあるだろう。オリンピック競技を楽しみながら、そうした評価の目
を養っておきたいものである。そうした正しい評価の積み重ねが世の中の進
歩につながっていくのだと思う。
1998/2/21
Tadashi HAYASE
今週の意見(56):
自民地頭のごり押し
旧国鉄の債務の一部をJR各社に追加負担させる法案の審議が国会で始まる。
旧国鉄職員の年金積み立て不足金のうち3600億円をJR各社に追加負担さ
せようという法案である。JR各社はこれに反発し、JRとして民営化した今
そうした政府の法案など受け入れられないと、新聞で共同の意見広告を出した
り、インターネットのホームページで反論を出したりして、拒否の姿勢をうち
出している。当然のことである。
政府としては今のJRを民営化したいきさつといい、その後のJR各社が国
鉄時代より業績を改善しているのも、政府がそのようにアレンジしてやったか
らだ、という考えがあるのだろう。だから、今でも、何を言っても聞くだろう
し、それくらいは協力してくれと考えているらしい。が、そもそもそういう感
覚自体がおかしいのである。
JRができたそのいきさつは別にして、JRは今や名実ともに民間企業であ
ることはまぎれもない事実なのである。それを以前のような感覚で法律を作っ
て債務を押しつけようなどと言うこと自体が、時代錯誤というか、JR東日本
が言うように「近代国家にあるまじき行為」である。その法案自体相当もめる
ことになって、国会を通るかどうかわからないが、万が一国会を通るようなこ
とがあれば、JR各社はそんな法律は憲法違反であると、裁判に訴えてしかる
べきだと考える。
もしそうなった時、裁判の結果がどうなるか、私の考えではかなりその勝ち
負けは明確であるような気がする。民間企業に対し法律でなんらかの債務を負
担させるようなことができるなどということはありえないし、絶対にあっては
ならないことだからである。そういう意味で裁判所の判断はかなり明確に予測
できる。
もちろんこのままではその問題の債務は浮いたままになる。じゃ、それは誰
が負担するのか。それはまた別問題である。政府がそうした債務を旧国鉄分身
のJRに押しつけようなどという考え自体きわめて安易なものといわざるをえ
ない。
しかしどっちにころんでもそれは国としての債務であることは一国民として
も認めざるをえない。政府はあらためてその内容を正直に国民に説明し、その
具体的追加負担策を国民に改めてお願いするより他ないのである。その点でも
これから始まる国会審議で野党各党がどのような批判を展開し、その対案を出
すかまずそれを注目したい。
1998/2/28
Tadashi HAYASE
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