1997年 今週の意見 −2月


今週の意見(4): ボランテイアの皆さんありがとう  福井県海岸のロシアの船からの重油流失事故は、ついに山形県海岸までに及び 被害は8都道府県にまたがる大災害となった。座礁した船からの重油抜き取り作 業も悪天候で思うにまかせず、被害はさらに拡大するおそれがある。回収作業に 従事する地元漁業関係者や、ボランテイアから死亡者が4名も出たのも痛ましい かぎりである。きれいな日本海の自然が、重油で汚染され環境が破壊されていく ニュースに、いてもたってもいられぬ思いにかられる毎日である。        荒る海にほんろうされる船から流失する重油をもっと手際よく、機械的大規模 に回収するような装置がないものかと不思議に思う。海岸にながれついた重油の 固まりを少しづつ手ですくって回収していくより他に手段方法がないとはまこと に情けない話である。それでも回収作業に当たる人々は黙々とその果てしない単 調な作業に従事しているのである。漁業関係者にとっては、自分たちの生活の場 である漁場を守るために絶対必要な自衛手段でもある。彼らが必死になるのは当 たり前のことである。                            この悲しい、そして恐るべきニュースの中でそれでも心温まる思いをするのは 全国から集まってくるボランテイアの人々の回収作業への協力参加である。実に 84,000名もの人が福井県をはじめとする海岸に出かけて、地元の人とともに回収 作業に当たっている。作業は悪天候の中思うにまかせないようだが、この寒空の 中、実に立派な行為であると思う。中には阪神大震災の時、ボランテイアから助 けてもらったことが忘れられず、そのお礼にとボランテイア活動に参加した人が いたそうだ。ボランテイアの中からも疲労と重油の害の影響で亡くなった人がい た。残念なことだ。せっかくの好意があだにならぬよう健康だけには十分留意し て参加いただきたいものだ。                        日本航空は このボランテイア活動に参加する人に東京ー小松間に毎日20人分 の座席をフリーで提供することを決めた。これも大変時宜を得た適切な行動であ ったと思う。政府は社民党やさきがけと話しあって補償を十分行う体制をとるこ とを決めているが、日本海のかにを食べてみせてその安全性をPRして見せたり とは、相変わらずのんきな対応ぶりだと思う。起こってしまったことはしかたが ないが、補償だけの問題でなく、国会決議でもして、この寒ぞら回収作業に当た る地元の人たち、とりわけボランテイアを励ますための言葉でも発して欲しい、 発するべきだと思う。                            阪神大震災の時もそうであったが、こうした災害の時本当に最後のよりどころ は警察でも、消防署でも、ましてや政府当局でもないようだ。結局は住民自体の 連帯であり、そして社会の心ある人々の善意、ボランテイア精神なのである。国 民の一人としてそうしたボランテイア活動に参加する人々に、ほんとうにありが とうとお礼をいいたい気持ちで一杯だ。                   1997/2/1                                Tadashi HAYASE  


今週の意見(5):



超人とさる



 最近本や雑誌の記事のタイトルにやたら「超」の字が目につくようになった。新聞

などで本の新刊広告や、雑誌の特集記事などである。いわく、超勉強法、超脳力活

用法、超情報収集法、超スケジュール法などなど。それぞれの記事の内容を読んだ

わけではないが、例えば超スケジュール法とはいったい何のことか。何が「超」なの

かよくわからない。人には真似のできない非常に並み離れた優秀な内容、方法とい

う意味であろうが。野口悠紀雄氏の超勉強法。読んでみると極めて当たり前のこと

が書いていてあるように思える。いや、そのはずだ。内容については文句はない。

当たり前だが、参考になることが多い。                   



 当たり前だから悪いと言っているのではない。そういう名前をつけないと本が売

れないから、本の企画者が勝手にそういう大袈裟な名前をつけるのであろう。著者

自身はそれが並みはずれた方法でも、なんでもなく当たり前のもっとも基本的なや

り方だと信じそう書いているはずである。そうだと思う。なぜそれがなぜ「超」なの

か。                                   

                                     

 超の一方で目立つのが誰でもできるとか、サルでもわかるとか、一日でわかると

か、要するに、その簡単さを強調するためにつける本題である。雑誌の特集記事に

もやはりそういうものが多い。それが素人のあなたも一生懸命努力すればできます

よ、とか、実際やればそんなに難しいものではないですよ、と励ましているのなら

わかる。が、どうやらそうではなく、要するに安易なことを言って、その気にさせ

て、本を買わせようという魂胆らしいのである。第一そんな題をつけられて、その

気になる方もなる方である。サルにもわかる、人間のあなたなら当然わかる、とい

われて、その気になるなんてなんと情けないことか。もちろんそれが一種のジョー

クであるとしてもだ。                           



 ものごとを学習したり、マスターしたり、理解したりするのにそんなサルにもで

きるような安易な方法も、ものすごい優れた方法、超なんとか法もないと思う。ま

さに「学問に王道なし」 であり、「継続とは力なり」だと思う。当たり前の基本をいか

にこつこつと継続できるかどうかだろう。その基本の部分とは何かを説くのはいい

が、それをすっ飛ばして、一気にマスターしたり、試行錯誤も、失敗も、なんの努

力もなしに、それを一気にマスターすることなどいうまでもなくできない相談であ

る。それをあたかも短時間で、しかも誰にも真似のできないような方法と内容をマ

スターできるなどという宣伝はまことにいいかげんであるといわざるを得ない。 



  当たり前のことを当たり前に実践する。これが一番難しいのである。これをただ

こつこつとやりなさいでは本は売れないこともわかる。ある意味で効率的やり方の

あることもわかる。だからと言って、サルにもわかるとか、超なんとかという言い

方はやめて欲しい。その極めて基本的なこつこつとやらなければならないことをい

かに飽きないように、興味を持って続けられるか、そのノウハウを書いた本が欲し

いのである。                               

 

 それにはやはりそのこつこつと基本を実践することに、面白さや楽しさを自ら見

出す以外にはないのだろう。それができるのはスーパーマンでもサルでもない。普

通の人が基本を継続して実践する中で、確実に自分の知識がふくらみ、そのことに

上達していく過程を知ることこそが大切なのであろう。学ぶことの楽しさ、喜びと

は結局はそういうことである。                       



1996/2/8                                

Tadashi HAYASE



今週の意見(6):



センター試験の大問題



  今年も大学入試センター試験が行われた。が、大問題が起こった。数学の問題

で浪人向けのそれと、現役向けのそれで、平均点が22点も開き問題になったの

である。センターでは当初その調整は一切せずとの方針であったが、浪人生や予

備校などからの抗議もあり、文部省からの指示もあって、その対応に苦慮する大

学があいついでいる。文部省は今回の問題でいわゆる成績の悪いものには2次試

験を受けさせない、門前払いにする2段階選抜をやめるよう各大学に指示を出し

た。試験の点が一定の水準に達しないので、第2次の試験も受けさせないという

のが2段階選抜だが、これをやめ、受験の機会を与えよ、ということらしい。 



  カリキュラムが違ったから、浪人生向けの問題と、現役向けの問題が違うのは

やむを得なかったとは言え、平均点で22点もの差がついたのはあきらかにおか

しい。浪人の受験生が圧倒的に不利益を被ることは明らかである。一年間苦労し

て、予備校に通ったり、懸命に勉強したあげくこのような不公平を強いられたの

では納得がいかないだろう。                       



  かと言って、平均値の差をなんとかしようと、低い方の点をかさあげして調整

しようなどという手段を簡単にがとれないこともわかる。そのやり方は非常に難

しい。それをやると、今度は現役生や、他の受験科目でいい点をとったもの、悪

い点をとったものさまざまな損得が出てきて、ややこしい話になることは必定で

ある。                                 



  だからせめて2段階選別、門前払い、などということはやめなさいと文部省は

言うのだろうが、それは名目的なことで、それで浪人生が不利益を被ることには

違いないのである。                           



  どうしたらいいのか。答えは簡単ではない。が、これに関して一つ根本的な考

えかたを変えなければならないことがあると思う。それは日本の大学の入試制度

国公立の大学の入試制度そのものである。一律のセンター試験を行う。それに合

格点をとることがまず絶対的な条件で、それから2次試験に進むという国公立大

学の入試制度そのものが問題ではないか。センター試験自体がすべての国公立大

学に適用されること自体がおかしい。                   



  それ自体を全面的にやめろとは言わない。が、それが一つの参考データになる

ことも否定もしない。いや絶対的な基準にする学校があってもいい。が、それが

一律に絶対の基準であるというのがおかしいのである。センター試験の結果の他

に本番の試験、面接、学校生活でのクラブ活動、一芸に秀でた生徒などさまざま

な選考基準があっていいはずだ。それがセンター試験だけでまず入り口が決まっ

てしまう、決めてしまうというやり方自体が大問題ではないか。       



  アメリカにもセンター試験に類するものはあるが、その運用はもっとフレキシ

ブルのようだ。日本の大学はは入りにくく、卒業は極めてやさしい。アメリカの

大学は逆である。あらゆる意味で私はアメリカ大学方式の方がいいと思う。日本

の大学でも、今よりも3割余計入れてやればよい。その代わり3割、卒業を減ら

せばいい。その方が結果的にはるかにいい大学卒業生が生まれるはずだ。それが

なぜできないのか。そうすれば今回のような奇妙な、そして後味の悪い問題も解

決できるはずである。                          



1997/2/15                              

Tadashi HAYASE                            



今週の意見(7)



大交渉団は何のため



  ペルーのリマで人質事件が発生してからもう2ケ月になる。人質になった人々な

らびにご家族の心労は察するにあまりある。犯人グループと交渉団の交渉も始まり

解決に向けて少しは前進しているようにみえる。一日も早い人質の開放が待たれる

ところである。犯人側はあくまで刑務所にいる仲間の開放を求めているが、ペルー

政府は断固これを認めない方針である。当然のことだ。許されるぎりぎりの妥協は

人質解放と引き換えに犯人グループを第3国に出国させる、これを保証することで

あろう。                                 



 それにつけても日本政府の対応ぶりは相変わらず、極めて弱腰のように見える。

ペルー政府の方針に任せるとしているものの、くれぐれも人命尊重を優先するよう

何度も申し入れている。人命優先など当然のことでいうまでもないことだ。しかし

それを理由に日本政府が取ってきた過去のハイジャック事件などの超法規的措置が

今日の事件につながっていることは明らかである。犯人が日本の大使公館をねらっ

たのはあきらかに日本政府の過去のそうした弱腰解決を知っているからであり、日

本企業人をねらった誘拐事件が多発するのも、そうした過去の解決策と無関係では

ないようだ。                               



  犯人グループとの交渉が始まったとの報道を見ていて、変に思うのはそれがまる

で賃上げの団体交渉か、何かもめごとをめぐって外交交渉でも始まったような雰囲

気であることだ。もともとそんなものは交渉などというものでも、話し合いと言う

ものでもない。犯人グループの言い分には、論理はもちろんもともと全くなんの根

拠も正当性もないものである。それを犯人グループの代表に対し、こちらにはペル

ー政府の代表がいることは当然だが、カナダ大使や、赤十字の代表や、カソリック

の大司教、それに日本政府のオブザーバーまでいるという理由がわからないのであ

る。それは犯人グループの要求であることはそうだろう。が、交渉グループはせい

ぜいペルー政府代表と赤十字の代表者という位でいいはずだ。一体それぞれの代表

者は誰の何の利益を代表しているのか。                   



  こんな代表交渉団を引っ張りだしただけで、犯人のねらいは大成功を収めたと言

えるのかもしれない。交渉に万全を期す、というのだろうが、基本的にはペルー政

府の交渉に全面的に任せるのが筋ではないか。仮にオブザーバーとして出てくれと

言われたとしてもである。交渉には人道的な意味があることはわかる。だから赤十

字代表の出席はいい。が、なぜ宗教関係者や、ましてや外交関係者までその交渉に

出てくるのか。そうした事件に政治的、外交的、そして宗教的意味まで持たせてし

まったとすればそれだけで犯人のねらいは大成功だったことになる。      



  そんなことになってはいけなかった。犯人グループを怒らせてはいけないが、犯

人グループとそうした大交渉団の交渉という図式はなにかもう一つ釈然としないも

のがある。大司教がそこにいるのは何のためか。大司教は犯人に何を求めているの

か。投降をするよう説教しているのか、それとも、何らかの妥協をすすめているの

か。                                   



1997/2/22                                

Tadashi HAYASE


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