2010年 今週の意見 2月

今週の意見(666):

検察に支配されるマスコミ報道

民主党幹事長小沢氏の政治資金規正法違反のカネの問題をめぐって、小沢氏の秘書
で衆議院議員の石川氏が逮捕され、小沢氏も二度にわたって東京特捜部の事情聴取
を受けていた。2月4日に石川氏の拘留期限を迎え、いよいよそれぞれの処分が発
表される段階に入っていたのだった。                    

この事件をめぐって石川氏逮捕以降その石川氏ほか同じように逮捕されたその他二
人の取調べの内容が連日報道され、多くの場合その供実の内容まで詳しく具体的に
マスコミによって報道された。それは検察側が意図的にマスコミにリークしている
としか思えないような内容で、検察によるマスコミを使った情報操作ではないかと
の疑問が一部上がっていた。私も2月3日のBLOGで、そこのことについての検
察側がそのように疑われててもしかたがなく、マスコミもそうした情報リークによ
る公正でない報道は正すべきであるという趣旨の記事を書いたのだった。    

3日水曜日にそのBLOGを送ったのがたしか朝の4時半頃、それから郵便受けに
入っている朝日新聞を取り出し、一面トップ記事を見て驚いた。「小沢氏、不起訴
の方向 4億円不記載で検察検討」とあったからだ。それは検討であり、確定的で
はないが、それは間違いない事実だというニューアンスである。同じ日その他マス
コミ紙も小沢不起訴が確定的であるという報道を一斉に報じていたようだ。   

なんということだ。検察の正式な処分が明くる日4日発表されるはずなのにどうし
てこんな重大なことがマスコミによって次から次へと報道されるのか。その日は私
が所属しているクラブの集まりがありそのランチタイムの時、これが話題になった。
ある友人いわく、「いやこれ検察の謀略かもしれないよ。こうやっておいて、小沢
はやはり起訴だという可能性だってある。その方が世間に与えるショックは大きい
からね。」いや、実は私も同じことを考えていたのだった。いや現実問題その可能
性だって残っていたのだ。                         

3日の朝、朝食を食べながら、TBSみのもんたの「朝ずば」を見ていた。もちろ
ん待ってましたとばかり、この小沢氏不起訴報道のことをやっていた。みのもんた
は盛んに、小沢氏不起訴はおかしい、といい、コメンテーターたちも口をそろえて
それに同調的発言をしていた。その中の一人に元鳥取県知事片山氏がいたが、その
コメントがひどかった。私はこの人はいつもその発言の内容はすばらしいと評価し
ていた人だ。                               

ところがその片山氏、この不起訴はおかしいといい、「不起訴であっても、それは
検察が疑わしきは罰せず」という司法の原則に従ったまでで疑惑が晴れたわけでな
い」と発言していた。みのもんたは「秘書が三人も逮捕され、起訴されるのになぜ
その管理者の責任が問われないのか」という趣旨の発言を繰り返す。      

なんという愚かな話か。その秘書三人の逮捕自体が正当であったかどうかすら問題
なのである。検察によって逮捕され起訴されても、裁判はこれからなのである。裁
判結果は有罪になるかもしれないし、無罪になるかもしれないのだ。それをみのも
んたを始めコメンテーターたちのあのものいい、秘書の逮捕をもって小沢氏を含め
た関係者の罪が決したかのようなものいい、その愚かさはどうしようもない。  

起訴するにしろ、しないにせよ、どうして検察はそのことを自身で発表しないのか。
いや、明くる4日に新聞報道通りの内容が検察によって発表されるのだが、どうし
て事前にマスコミによってこんな重大なことが発表されるのか。        

それは明らかににこうした情報リークによってその中身をマスコミの報道させ、そ
して世間に被疑者有罪の空気を作ってしまうことがねらいなのだ。そうだとしか思
いようがない。そんなひどい話はない。いやひどいというか、おそろしいことであ
る。こんなことがこのこの先進国といわれる日本で行われているのだ。     

果たしてこんなことでいいのか。そして4日木曜日、検察による小沢氏不起訴の発
表を受けて、一斉に小沢氏批判に走る野党、マスコミの姿があった。それを暗澹た
る気持ちで眺めていたのは私だけだっただろうか。どうして人々はもっとこうした
動きに疑念を持たないのか。私は不思議でしかたがない。           

2010/2/6
早勢 直


今週の意見(667):

トヨタ戦争

トヨタ車のリコール問題はたしかにトヨタ自身がまねいたものであり、いま自ら一
生懸命その対策に乗り出したことを見守っているしかない問題であり、日本政府も
あまり横から口を出す問題ではなさそうである。ただどうやらこの問題米国では、
オバマ政権、議会、さらに、労働組合、そしてマスコミを巻き込み少々過剰反応を
起こしているように見える。それが、この問題を契機として、自動車会社とこうし
た関係当局をあげて、弱体化した米国の自動車産業再生のグッドチャンスととらえ
いると勘ぐりたくなる雰囲気もある。                                        

そんな時出てきたのがこのカナダ経済紙が掲げたそうした米政府の"意図”をずばり
批判した記事が出た。そのタイトルはずばり「トヨタ戦争」である。ラフード運輸
長官が議会で「(トヨタのリコール対象車のオーナーは)車の運転そのものをやめ
るべき」と発言した騒ぎについて、「前もって計算された動きにみえる」と指摘し
たのだ。そして政府、議会をあげてのトヨタ攻撃について、「ワシントン恒例の公
開リンチ以上のものだ」と痛烈に批判したのだ。                              

マスコミもこうした動きに連動してあちこちで起こったトヨタ車の事故を報じ、中
には死亡事故のケースもあるという。例のマットとアクセルの関係に起因するとい
うことだが、それもどこまでそれが本当の原因かどうか、わからないとカナダ紙は
報じているのだ。                                                          

その一方日本の政府、日本のマスコミはこうした米側の過剰反応を指をくわえて見
ているだけのようだ。なにもトヨタの失策を擁護せよいうのでない。産業界での出
来事、しかもトヨタが正当に問題解決に当たろうとしているのに、米政府と議会が
共にトヨタイジメにかかっているように見える。これがもし米国の自動車メーカの
リコール問題ならここまで騒ぐかどうかである。                              

日本政府はこうした米政府、議会の動きに牽制球の一つや二つ投げてもよさそうな
ものだ。鳩山政権は普天間基地移転のことで負い目があるので、何も言えないとの
観測もある。本件に関する日本政府側の反応といえば、前原国土交通相が、米国大
使に会って、「事を穏便にはかってください」程度のことは言ったようだ。前原氏
、これでこれまでの密接な日米関係が損なわれるものでないなどと言い、大使と握
手して帰ってきたようである。                                              

トヨタの落度について弁明しようがないが、あのようなラフォード運輸長官の発言
に対しては抗議の一つや二つあってもよさそうなものだ。こんなことだから、日本
はいつまでたってもアメリカのいいなりになるしかないのである。こんなことでは
対等な日米関係など望むべくもない。                                        

そんな中唯一の救いは、金曜日の新聞を読んだのだが、米4州の知事がトヨタ擁護
のためで議会に、トヨタに対する批判は「不公平」であるという書簡を送ったとい
うことだった。それはそうだろう。トヨタは日本の企業ではあるが、アメリカの4
州に工場を作り、生産、販売関連だけで17万人の雇用を生み出している米国に根
を降ろした企業なのだ。国有のGMなどとわけが違う。トヨタがもし今回のリコー
ルで大きなダメージを受けることになると、それはアメリカ産業自体にとっても大
きなマイナスなのである。                                                  

アメリカ国内の関係等当局、マスコミ、消費者は冷静にこの問題に当たることを切
に期待するものであり、トヨタが問題解決に向かって着実な歩みを始めることを切
に希望するものである。                                                    

2010/2/13
早勢 直


今週の意見(668):

尋問技術の問題ではない

17日の初の党首討論で、鳩山首相追求が不発に終わり、追及のしかたが手ぬるい
と批判された谷垣総裁は、「もっと尋問の技術を磨くべきだった」と反省の弁を述
べたそうだ。谷垣氏は弁護士出身だそうだが、この反省の弁を聞いて何を言ってる
のか、と思った。磨くべきは「尋問」の技術でなく、「討論」の技術でないのか。

党首討論が盛り上がらなかったのは、そんな技術論が影響したわけでなく、それが
そもそも党首討論というものの中身にふさわしくなかったからだろう。その大半の
時間を、政治とカネの問題に費やし、現在の国家状況、今後の国家のこと、政治の
あり方、国家成長戦略が、自民党のそれが民主党とそれとどう違うのかなど党首討
論にふさわしい問題がいくらでもあったはずだ。それをもう聞き飽きた政治とカネ
の問題ばかりやっていた。                         

政治とカネの問題をやるなとは言わない。それについてはもうこれ以上ごちゃごち
ゃ言わないで、これだけの問題を起こしたのだから、辞任しなさいと迫ればよかっ
たのだ。それを言わないで、「尋問技術が駄目だった」一体何をおっしゃっている
のか。国会は法廷ではない。政治問題について討論するところなのだ。     

谷垣総裁の党首討論にはがっかりしたが、もっとがっかりというか、怒りすら覚え
たのは谷垣氏と並んでかってはかって総理総裁候補の与謝野薫氏の鳩山首相追及の
やり口だった。氏が鳩山首相を「平成の脱税王」と呼んだのはいい。私もそう思っ
ている。そう呼ばれてしかるべきことをやっている。             

ただそれを証明しようと、同じ党の鳩山邦夫氏からの首相と母親の聞きかじりのや
りとりを再現してみせたあの品の悪さ、程度の悪さといったらなかった。なんだ、
この人こんな程度の人だったのかと思った。あれを聞いた多くの日本国民はそう思
ったに違いない。いや、16日の朝日の声欄にあった通りである。       

谷垣総裁も、与謝野氏もかっての自民党政権時代、財政再建派であり、消費税増税
論者であった。いや、今でもそうだろう。党首討論にふさわしいテーマの一つはこ
れだったはず。消費税増税を含む国家財政再建のこと、社会福祉国家のあるべき姿
そのための財源確保のための成長戦略をどう展開していくかの論議こそがその一つ
ではないか。                               
 
民主党の成長戦略、財政政権、そのための改革の道筋はたしかにまだまだあやふや
な面が多い。しかし少なくとも今それが少しづつ明らかにされ、具体化されつつあ
るのだ。その一方で、自民党のそれがどうなっているのか、それについて谷垣総裁
自身のビジョンはどうなっているか、その中身をかって聞いたことはない。   

討論会の時、谷垣氏が民主党の公約違反を言及した時、民主党議員からのとんだ野
次は、「自民党には公約があったのか」である。そうなのだ。野党、マスコミを挙
げて、今民主党の公約違反を批判しているが、こうした風景はかって自公政権時代
にあったのだろうか。                           

自公政治は公約どころか、行き当たりばったりの政治であったのだ。そのつけは想
像以上に大きかった。民主党政権はを今その後始末に追いまくられ、つけを払わさ
れているのである。政治とカネの問題から離れて本格的な政策論議となるとどうし
てもその図式が出てくる、明らかになってこざるをえないのだ。        

野党自民党が政治とカネの問題ばかりやっているのは一種のごまかしなのである。
国民はいつまでこのごまかし作戦にだまされ続けるのだろうか。        

2010/2/20
早勢 直
今週の意見(669):

議員定数削減

「民主党の渡部恒三元衆院副議長は24日の講演で、国会議員の定数を是正すべき
だとして、衆院300、参院100とするよう提唱した。」2月25日 時事通信

昨年総選挙前、民主、自民両党とも国会議員数削減のことは、公約していたはずだ
。が、政権交代後双方ともこれについては、殆ど言及してこなかった。渡部氏の案
では衆院480を300に、参院242を100にするというから、合計で322
人減らすということだ。講演会での一つのリップサービスで、こんな案をそう簡単
に与野党が認め、国会で通るわけがない。それまで何年掛かるか分からないが、せ
めてこの案の半分、いや三分の一でもできたら、上出来というところだろう。  

議員数がどれくらいか適当かなどの議論を始めたら、ああでもない、こうでもない
と与野党入りみだれて、もっともらしい議論が始まるに決まっている。衆参に限ら
ず議員一人一人の心理、本音は、現在のものを一人でも減らしたくないということ
だ。建前はともかく、すべての議員の本音はその点では一致しているから、議論は
いくらでもするに決まっている。要するに時間稼ぎに徹するに決まっているのだ。

だからこんな渡部案はもちろんその半分、いや三分の一程度の案だって、国会自ら
が決めることなどないだろう。この問題それこそ超強大な指導力を備えた指導者の
下、独裁的政権でも誕生しないかぎり当面実現の可能性はない。        

政党、議員たちの本音は横におくとして、なぜ議員数削減が必要であり、かつそれ
が可能かという議論の中に、それに掛かる歳費削減ということはもちろんあるが、
それ自体がすべての目的ではないということだ。本来の問題は、それによってより
優れた民主主義の政治制度を実現するか、できるかどうか、である。      

国会が本来の役割を果たすため、民意を汲み、代表制民主主義を実現するためにど
れだけの議員が必要かという議論の中に、ネット化、情報化しつつあり、さらにそ
れが進むであろう社会にあっては、国民が議員なるものを通じてでなく、直接その
民意を伝えるような、仕組みが実現可能になりつつあるのではないか。     

ネットワーク化した社会にあっては、理論的には国民の生活を左右する重要案件に
よっては、国民一人一人が直接その議決に参加するというという直接投票制度の導
入が可能なのではないか。投票の前の議論は数が限られた優秀な議員たちによって
行われ、最終的な議決は有権者全員が参加してそれを行うというような制度はは理
論的には全く可能なことである。これすなわち「直接民主主義」制度の実現ではな
いか。                                  

話は大きく飛躍してしまったが、話はもちろんそう簡単なことでない。この議員定
数削減問題について、こうした観点を含めて国会などで論議が始まることは意味が
あるし、大いに期待したいものである。そのことを通じて、国民一人一人が少しで
もより政治に関心を持ち、より正しい政治的判断ができるようになることが、そも
そも直接民主制が成り立つ前提であることを忘れてはならないのである。    

2010/2/27
早勢直
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