2000年 今週の意見 2月
今週の意見(152):
国会空転
この重大な時期に国会が空転している。自自公が衆議院の比例区定数を20削減
する法案を強行採決したことから、民主党、共産党、社民党などが、あらゆる審議
に応じないと議事への出席をボイコットした。このため、内閣総理大臣の施政方針
演説も与党だけでという、憲政史上初めてのケースとなった。
問題はその強行採決という言葉である。片方はもう審議を十分つくしたのだから
採決をしたのだといい、片方はそもそうそういう重要な法案を冒頭処理するなど、
要するに自由党が連立政権から離脱しないようにするための党利党略によるものだ
と主張して、委員会審議や、本会議の出席に応じなかったものだ。その野党の言い分
を聞かず、採決を強行したから、その後の国会審議はすべてボイコットするという
主張である。
施政方針演説などどこでも聞けるし、それについて質疑応答なども型どおりのも
のだから、これもたいした問題ではない。問題は来年度の予算案審議である。国民
生活に直結するもっとも重要な案件であることは言うまでもない。野党はこういう
重要な審議にも加わらないで一体どうするのかということだ。民主党などすでに解
散をめざして院外闘争ばかりやっているという状況だ。
今回のいきさつについて、どちらがいいとか、悪いとかいい始めたら、きりがな
いことは言うまでもない。新聞マスコミの論調はバランスをとる意味で、自自公の
強引なやり方を非難し、その一方で民主党が定数削減ということ自体には賛成しな
がら、ただ冒頭処理ということにこだわって審議に加わらないという行動をわかり
づらいと解説しているのが、殆どのようである。さすが、今回は強行採決という言
葉で与党を一方的に非難するところは少ないようである。
私はこの問題については、こっちも悪いがそっちも悪いなどという言い方はすべ
きではないと思う。民主党が自自公の動きを党利党略というなら、そもそも定数削
減という基本政策では、全く相違する共産党や社民党と共闘することもまた党利党
略そのものではないか、と考えるわけだ。民主党はこの点で大きな間違いを犯して
いると言わざるをえない。
民主主義を実現するためには民意を反映するための正しいプロセスが必要である
ことは言うまでもない。が、その政策の中身については賛成しながら、ただ、手続
きが自分たちの意にそわないなどとことで審議をボイコットすることは自ら多数決
の原理を否定しているといわざるをえないのである。もしそのプロセスが民主主義
の原則にあっていないというなら、選挙を通じてそのことを国民に訴え支持をえる
べきである。
自ら多数決原理という一番重要なプロセスを放棄しておいて、院外街頭演説ばか
りやっている党に民主党はその名前に全くふさわしくないと私は思う。
2000/2/5
Tadashi HAYASE
今週の意見(153)
ネットワーク時代の閉鎖性
日本の相撲界の八百長報道が世界中で取り沙汰されているそうだ。日本の伝統ス
ポーツに八百長があったなんて信じたくもないが、事実であれ、ないししろ、それ
と日本相撲界のみならず、日本の社会そのものの閉鎖性と関連づけられて報じられ
るのはどうもおもしろくないことである。相撲に関わらず、八百長なんてどこの世
界でもありうることにちがいない。が、これを外国特に欧米諸国が何かと日本社会
の閉鎖性と関連づけられてうんぬんされるのはどうもあまり愉快なことではないの
である。
一体日本の、日本人のどこが閉鎖的なのか、あらためてつくづく考えるのだが、
相撲の世界に限らず、日本の社会の中にそうした閉鎖性があることはたしかに事実
だ。昨年来いくつか警察の不祥事が続いたが、あれなども警察という日本の閉鎖社
会が生み出した問題の一つであったに違いない。法を守るべき警察がその組織の中
の人間を守るため、また自身の組織の名誉を守るため、あえて法よりも組織防護を
優先したというのはまさに、その閉鎖的な性格そのものであった。日本の企業もま
たしかり。これまでいくつものそうした閉鎖性が故に起こった不祥事があったこと
はご承知の通りである。
自らの続する組織やグループを大切にすること自体は何も間違ってはいない。が
その組織は絶対なものではない。他のさまざまな組織、グループ、さらに大きな組
織、大きくいえば国家とか、国際社会とかいう単位からすればほんの小さいものに
過ぎないし、なによりも他との交流を盛んにし、その自身のあり方自体をたえずチ
ェックしていく必要性があるわけだ。それを、その小さな組織を守ることだけにす
べての関心がいくこと自体がまさに閉鎖的であり、閉鎖性そのものなのである。
インターネットが普及し、誰もが携帯電話を持つ時代、コミュニケーションがよ
り幅ひろく行わる時代であるはずが、実はその交流、交信の相手先が一体だれなの
かということにふと疑問を持つのである。その通信の対象の中心が家族であったり
友人であったり、会社の知人であったりするのはいいが、どうもそれが限られたグ
ループ、相手だけにとどまっていることが問題だと思う。そうした通信手段の発達
によってより広い世界の人々と交流を深めることがもう一つの意味であり、メリッ
トであるはずだが、それがさらに限られた友人・知人、特定グループだけとの交流
を深める手段となっては、逆に閉鎖性の強化につながりかねないわけだ。
ネットワーク社会に生きるための絶対的な条件はその閉鎖性をより開放的にする
ことではないか。電子メールばやりの昨今だが、電子メールなどいくらテクニック
を覚えようが、それ自体の技術的な進歩があろうが、それは便利な道具に過ぎない。
より広い世界と交流したり、新しく友人を作ろうなどという開放的なこころがなく
ただ仲間うちとだけ話をして楽しんでいるような実態を果たしてネットワーク社会
到来などというのだろうか。
ネットワーク時代、個人のプライバシーを守ること、通信の秘密を守ることはこ
れまで以上に大切なことはいうまでもない。しかし、属するコミュニテイの発展の
ため情報をより開放し、情報を共有することの意味をもっと知ることが必要ではな
いか。
日本がこのネット時代を生き抜けるかどうか、一つにはそういう意味で、そのこ
ころの閉鎖性、体質とも言える閉鎖性をいかによりオープンにするか、できるかに
かかっているといっていいのではないだろうか。
もちろんもうひとつの側面はこうしたインターネットなり、電子メールなどに触
れることによってより、よりオープンなこころが育っていくという側面があること
もまちがいないのだが、そのあたりを意識した使い方にはお互いまだ気づいていな
い現状なのであろう。
2000/2/12
Tadashi HAYASE
今週の意見(154):
外形標準課税
東京都が打ち出した銀行に対する外形標準課税が波紋を呼んでいる。事業者に対
する税金はこれまで業務利益に対して掛けられていたものを、新しく粗利益に3%
の課税をすることにしたものだ。これによって、銀行の収益悪化で落ち込んでいた
税収を1100億円ほど見込み、都の財政赤字の解消の一助にしようというものだ。
法律的にもそういう特別条項があって問題はないという。
都内で本店を持ち、営業する銀行はいうまでもなく大反対の声をあげている。そ
れは銀行だけをねらいうちした不公平な税制であるという言い分だ。バブルで悪化
したけ経営を立て直そうとしている今それは経営の健全化にに悪影響を及ぼすとい
う。
経済団体も大反対。銀行のみならず、将来それが一般企業にも及んできたらたま
らないという思惑があるにちがいない。政府、大蔵省、金融当局はもちろん反対。
せっかく立ち直りつつある銀行にダメージを与え、金融不安再発につながりかねな
いとする。それにそんな重要な問題を国になんの事前相談もなく決めることがけし
からぬというわけだ。
都議会の各派はほぼこれを支持している。都の財政健全化のために必要な手段だ
とする。各県はなるほどそういう手があったかと関心を改めて持つ一方でそういう
抜け駆け的手を打たれると困る。やるなら一緒に相談してやって欲しかったという
反応が多いようだ。
いうまでもなく、この決定にはさまざまなプラス、マイナス、利点、欠点がある
に違いない。従って経済ましてや、税制問題の素人がそう簡単に賛成、反対を述べ
るべき問題でないことはそうだろう。
しかし私はこの都の決定を、近来にない政治的決断の大ヒットだと評価したい。
何事も中央政府の言うがままに従ってしか、ことをなしえなかった地方政府が自分
の判断と責任とでそれを決断したのだ。法的にも問題がないことを確認した上で。
政府はそんな重要なことを相談もしないでということに一番こだわっているにちが
いない。その他地方政府はなんでも横並びの精神で、これまでなにをするについて
もその自主性、独自性を発揮することなどほとんどなかった。こんなことでは、こ
の中央政治、地方政治の停滞状況の改革など遅遅として進まないのは当然である。
都がこんな税収を上げることを考える前にもっと自らのリストラをやれという声
が高いのも当然の話である。石原知事はある程度それを進めてきているが、まだま
だ不十分であることは承知の上であろう。が、その一方反対の声をあげる大企業、
特に銀行のリストラが不十分であることは明白なのである。金利実質ゼロの時代そ
の一方で貸し出し金利が3%という状況は、経営努力とはなんのかかわりもない部
分で儲けた粗利に課税するという論理は筋が通っている。バブル時代の放漫経営の
つけを国民の血税で助けてもらっている銀行にそれくらいの特別税をかけるのが当
然だというのも自然な国民感情だと考える。
こんな税金を掛ける地域で営業などできないと銀行が考えるのなら、東京から撤
去して、そんな税金のない地方に移るのも銀行の自由である。そういうことも考え
てそれぞれの自治体が自らの存続を考える時代に入ったのだと理解すべきである。
2000/2/19
Tadashi HAYASE
今週の意見(155):
Too late, too little
今週の意見のタイトルはあえて英語である。誰が言ったのか知らないが、外国の
マスコミか、政治家かは知らぬが日本の政治の決断の遅さ、しかもその決定内容が
小出しで効果の薄いことを皮肉ったものである。それは間違いなく日本の政治や、
日本企業の経営の意思決定の遅さ、そして、日本人の一般的マインドについて言え
ることにちがいない。
先週国会で憲法調査会なるものが発足した。今の憲法を見直し、場合によっては
これを変えることも視野に入れ、さまざまな観点から議論しようというためのもの
だ。改憲について一番積極的な自由党は改憲の必要性を説いているが、少なくとも
それが実現するのは2005年のことだというからいやはや時間の掛かること。民主党
と公明党はは論憲。改憲するかどうかはとりあえず横におき、国会で十分時間をと
って議論しようという立場。共産党や社民党は護憲の立場から、議論はするが改憲
を前提にした議論はおかしいなどという立場。政権党の自民党はそれらすべてのの
立場を含む議員で構成されているから、はてどういう結論になるか一向に先が見え
てこない。いやはやご苦労さま。
憲法問題が重要であることはいうまでもないが、なぜこれほどまでに時間をかけ
なければならないのかわからない。まさにtoo late, too littleの典型例ではない
か。一体こんなに時間をかけて一体なにを議論しようというのか。現憲法に限って
いうならおそらく9条をめぐっての問題があるのだろう。国連のPKFなど、海外
に日本の自衛隊を派遣することができるかどうか。現憲法ではそれができないなら
できるように憲法を改正しようという立場があり、一方護憲の立場からそんなこと
はいっさい認められとする立場があるのだろう。そんな問題をどうして5年もかけ
て議論しなければならないのか。国際情勢を考え、日本の立場を考え、世論も考え
国会でも一年も掛けて議論すれば結論が出ることではないか。いや出さなければな
らないのではないか。そういう点で日本がいつまでも煮え切らないから国際社会か
ら信頼されないのである。
先週も書いたが都知事の石原氏が外形標準課税について決断をし導入を発表した。
果たしてこれを拙速というかどうか。なにしろそれは今に始まった問題ではなく政
府の税制調査会などで10年も掛けて検討してきたことなのである。検討ばかりで
いっこうに実行がない。時間ばかりかけ、慎重に検討して一向に何も決めない実行
しない。これが日本の政治の現状なのであろう。国会や政治家はことを議論するた
めにあり、いるのではない。国家、国民のために何を決断し、その政策を果敢に実
行するかである。
憲法が大切なことはわかる。その解釈をめぐっての議論が大切なこともわかる。
が、紛争が多発する国際社会にあって、国連のメンバーとして日本は一体どういう
対応をするのか、しないのか、明確にその立場をあきらにすべきなのである。5年
も議論して一体なにをどうしようというのか。
問題はいろいろあろう。それは承知の上だ。プラスとマイナスを考えてプラスの
ほうが大きければ断固実行に移すのが政治であり、企業にあってはその経営判断と
いうものだ。それを議論ばかりして何もしないのが日本人の精神構造である。日本
が今停滞状況にあり国内のみならず国際社会にたいしても、Gなんとか言われるだ
けの責任を果たしていなのは、このまさにこのtoo late,too littleの精神構造そ
のものであることを、改めて認識すべきである。
2000/2/26
Tadashi HAYASE
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