2002年 今週の意見 12月

今週の意見(297):

嵐山合宿

 MLや、パソコンクラブの人たちを中心に、埼玉県嵐山の国立女性教育会館
で今年の活動の総集編という意味と、オフの会という意味も兼ねて、研修合宿
なるものを開催した。幸い25名ほどの人に集まっていだだき盛会であったと
思う。
 
 会議の内容も盛り沢山、欲張りすぎた面もあろうが、ほぼ当初の目的を達成で
きたものと考える。会場へのアクセスは必ずしも、便利ではないが、まずまずだ
し、宿泊施設、パソコン研修室の各設備は大変すばらしいものであった。月二回
やっている、パソコンクラブにあんな設備があれば申し分ないのにと思った次第
だ。

 MLの会員の方を中心にそれぞれのテーマで講師をお願いしたが、これもまた
期待通りの内容であった。講師、受講者一体となった研修ができたものと喜んで
いる。

 こうした試みは今回が始めてであったが、参加者から次回も期待する声があっ
たのはなによりうれしいことである。今回の経験を踏まえて、毎年一度か、二度
位こうした会を開催し、全国の同好の士と交流を深めていきたいものである。

2002/12/7
Tadashi HAYASE
今週の意見(298):

IT振興教育の現実

 私たちが仲間と市で行っているパソコンクラブとメーリングリスト仲間を中心に
埼玉県嵐山の国立女性教育会館というところでパソコンの研修合宿を開いたことは
先週述べた通りである。我々の市から車で一時間もかかるから、なぜわざわわざそ
んなところで開いたかというと、すばらしいマルチメデイア・パソコン研修室があ
ったからだ。

 講師のパソコンは正面に拡大表示されるスクリーンにつながっており、受講者の
机には一人一人パソコンがあり、しかもそれがインターネットにつながっていると
いるという極めてめぐまれた設備である。私たちの市では、パソコンが常設されて
いるような設備は一切ないしましてやインターネットにつながっているなどという
ものは全く存在しない。ノートパソコンを持ち込んでクラブをやっているが、それ
をそれを拡大表示するような投射機すら市の設備として全く存在しないのである。
投影機は高額でさすが、個人のカネをはたいてというわけにはいかないのである。

 そのパソコンクラブは今年の6月に作って始めたが、あっという間に30名以上
の会員が集まった。入会希望者はもっとあったのだが、パソコンや必要設備がない
ことを理由にそれ以上の希望者をお断りしたのであった。

 熟年者を中心にパソコンを学びたいという人はそれくらい多いのである。ところ
が教室だけはあるが、そのために必要なパソコン、そのた設備はほとんどないので
ある。いつも持ち込みのノートパソコンを活用しながら、なんとかクラブをやって
いるわけだ。そこで実験的な意味もかねて、そうした研修設備を使ってやってみた
のだ。結果は大満足、ただ、それに比べて我が市の施設のお粗末さに改めてがっか
りした。

 IT振興、そのためのIT教育推進が叫ばれ、学校などでもパソコン教育が行わ
れるようになってきた。学校はそこそこ設備はそろっているようだが、熟年者対象
のものでは、市は生涯教育などと称して業者を使ってパソコン教室などを開いたり
しているが、そのニーズが高い割には、ほとんどそれに応えていないという現状だ
ろう。もっとそうした施設、器具を充実すべきであることは言うまでもない。ここ
でも、これまでの公共投資がいわゆる箱ものに偏ってきた弊害がここでも見られる
のである。

 市に言わせるとそんなものに投資するカネはない。国だからできることで市には
そんな予算もカネもないというにちがいない。そうだろうか、と思う。嵐山の研修
施設はすばらしいものだし、マルチメデイア研修室の設備もすばらしいものだが、
それ自体そんなたいしたカネが掛かる訳ではない。国や県や市が他に沢山作ってい
るハコもの、施設、建物に比べたらである。そういうものの利用率を見ていると相
当多くの無駄が感じられるのである。

 公共投資の見直し論が盛んだが、国も地方公共団体もまさに従来のハコものはや
めてこういうIT教育施設にもっとカネを投資すべきだとつくづく感じるのである。

2002/12/14
Tadashi HAYASE
今週の意見(299):

帰る

 「今年の漢字」というのが毎年発表される。今年は「帰」だそうだ。北朝鮮に拉
致された5人の方が帰国した。それとの連想が多かったそうだ。拉致の拉という字
や北という字も候補に挙がったらしい。

  日本経済は低迷を続け、ついに株価はバブル以前の状況に帰ってしまった。それ
もしかたがない。私たちの時代は右肩上がりの高度成長期で、給料もどんどん上が
った。会社勤めも今の時代のようにリストラの恐怖にされされることもなく一般に
気楽なものであった。幸運であったと言えよう。

 さあ、その会社勤めも引退し、改めてさあ、これからどう生きようかという時、
このような時代になったことも極めて象徴的な気がするのである。年末恒例の年賀
状を書いているが、年間を通じて作った時事川柳を十二ほど選んだのだ、この「帰」
ということばの内容を冒頭に書いた。

 混迷の世の中、これから帰るべきいくつか大切なことがある。それは
 
 ・原点に帰る
 ・初心に帰る
 ・基本に帰る
 ・童心に帰る
 ・自然に帰る
 ・故郷に帰る

 それぞれの内容については、蛇足になるから書かない。本当は一番最後に「土に帰
る」と書くべきであったのが、それはもう少し先のことだとしておこう。

2002/12/21
Tadashi HAYASE
 
今週の意見(300):

カタカナ日本語

 数日前、国立国語研究所が乱用されるカタカナ外来語を批判し、それらはきちん
と日本語に翻訳して使うべきだという例を沢山挙げていた。いわく、デイケアは、
「一日介護」、インフォームド・コンセントは「納得治療」といった調子である。
総じていうと、なるほどなるほど、翻訳して日本語にするとそうなるかと、納得す
るものもあるし、いや、ニューアンスとしてどうかな、というものもあるわけだ。

 それについてはマスコミも総じて同調的なコメントが多かったが、私自身は果た
してそうかなと感じたわけである。そもそもそうした言葉が出てくる背景には外国
の社会体制、文化などに根ざすものがあって、そうした社会的、文化的背景の全く
違う日本の言葉で置き換えてみたところで、ピンとこない場合があるのは当然のこ
とだと考える。

 むしろそうした概念、ものの基本的考え方を説明する場合、外国で使われている
言葉をそのまま、カタカナで表記することの方がむしろ正しいのではないかと考え
るのである。完全に日本語化してもおかしくないものについてまで、わざわざカタ
カナ外来語を使うべきでないことはそうなのだが。

 もちろんいかなる場合でもそれを日本語に翻訳してカタカナでなく、漢字表現な
どに置き換えてみることも必要であり、そのこと自体間違っているとも言わない。
結論からいうと、その両方を併記したら一番いいのかな、と思うのである。場合に
よっては、それは少し表現としては冗長になったりすることもあろうが、その言葉
が由来する意味を理解するためにも必要なことではないかと考えるのである。

2002/12/28
Tadashi HAYASE
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