2010年 今週の意見 12月

今週の意見(703):

「いい質問ですねぇ!」が流行語

今年の流行語大賞で、池上彰氏の「いい質問ですねぇ!」がベスト10に選ばれた
話をする。池上氏のTV朝日の「学べるニュース解説」という番組が視聴率19%
台のいい番組であることはわかる。そこで氏が出演のTVタレントから質問が出る
と、池上氏は、「いい質問ですねぇ!」を連発するわけだ。それが評判となり、今
年の流行語大賞のベスト10入りした。

その言葉自体、アメリカなどでは常套句もいいとこで、大学をはじめ学校、ビジネ
スの社会、一般社会ではさまざまな場面で出てくる言葉なのだ。それがなぜベスト
テンなのか、池上氏自身、うれしいには違いないが、ある意味それを面映く思って
いるだろうということだ。                         

そもそも日本の大学の授業では先生が一方的に講義をし、それに生徒が質問するこ
となどめったにないが、アメリカでは、授業の中で生徒がいかに多くのいい質問を
するかがその学科の成績に掛かってくる。先生は、授業の中でそれを観察しながら
学期末の試験の結果だけでなくそうした授業への参加度を見ながら成績を決めるの
である。                                 

その際、それが本当にいい質問かどうかなどたいした問題でない。どんな拙劣な質
問をしても先生は「そんなバカな質問をするな」などと言うことは滅多にない。多
くの場合、”That's a good question!"とほめるのだ。褒められた生徒はそれで気
分がよくなるし自信を持つし、その授業そのものが活性化する。それが先生のねら
いなのだ。                                

それは別に大学に限らない。あらゆるレベルの学校で一般的なことであり、一般社
会、ビジネス社会の中での人々の会話でもよるあるシーンなのである。     

池上氏がどこでその習慣というか技術を身につけられたのかは別にして、「学べる
ニュース」の中でそれを実践されているだけのことなのだ。いや、別にそれが悪い
というのでない。いいことなのだが、アメリカ人をそれを知ったらへえ、「そんな
ことが日本では話題になるのか」と驚くだろうということだ。         

話題が変わるが、その「学べるニュース」の原点とも言うべき、NHKの週刊子供
ニュースが打ち切るになるそうだ。というのも視聴者が、子供というより、主に大
人、それも高齢者が多いということがわかったからだという。そうだろうと思って
いたが、それはちょっと残念な気がする。                  

と、いうのも、そうした番組を通じて、日本の子供たちにはもっと質問力をつけて
欲しい、それをつけることが日本の教育の一つの学校での課題、家庭での課題の一
つではではないかと思うからである。日本人は一般に自己主張をしない、自分の意
見を持たないことが問題だとよく言われるが、それは、そのことと他の人、先生、
親、先人に向かって質問をしないということと裏腹の関係にある。       

質問力とか、いい質問だということになると、実は子供、とりわけ幼児の方が、「
原始的」にして「基本的」な質問をすることはご存知のとおりである。手を引いて
、公園に散歩に出かける祖父母に幼児の孫がさかんに質問する。「どうしてお空は
青いの」「どうして雲さんは浮かんでいるの」「どうして木の葉っぱは緑なの」・
・・・・。                                

それは本当はもすごくいい質問なのだが、経験豊かなはずの大人、おじいちゃん、
おばあちゃんはそれに答えられないのである。質問が基本的すぎてである。   

もっともその場合、大切なことは正しい答えができるかどうかではない。まちがっ
ても「そんなことを聞いてはいけません」と面倒くさがらないことなのだ。答えが
できなくともそれからいろいろ会話を発展させることこそが大切なのだ。それで子
供は会話の大切さ、言葉のキャッチボールの面白さ、質問を発することの意味を身
につけるのだ。                              

そういえば「イクメン」で受賞した俳優のつるの剛士さん、俳優業を続けながら母
親と共に4児の育児に没頭した。そこで子供との対話をなにより大切にしたことは
間違いない。                               

子育てが話題になる何かというと託児所不足ことが話題なる。それがあたかも最大
の子育て支援の柱になるような議論になる。しかしそれは違うのではないか、つる
のさんのように両親が全力を挙げて幼児期の子供との対話を重ねることこそが上記
のような意味においても一番重要なことだといいたいのである。        

2010/12/04
早勢 直

今週の意見(704)

クール・ジャパン

昨日のこと妻が外出先から戻るなり、「ねえねえ、クール・ジャパンってなんのこ
と、友達に聞かれたの。クールだから涼しいとか、寒いとかいう意味じゃない、と
答えたのだけどどうも違うらしいのよね。」                 

私は涼しい顔で答えた。「そう、今年は秋が短くて11月後半から急に冷え込んだ
からね。冷えた日本という意味さ」と。もちろんこれは冗談。ちなみに妻はそれで
も某女子大の英文学部卒業だから、coolの意味くらい知っている。と、思っていた。
意味を聞かれて、一瞬迷っただろうがそう返事してもあながち間違いとも言えない。

しかし今日的にはその意味は全く違う。「Cool Japan」とは今や「冷え込んだ」ど
ころか、「すばらしい」とか「格好いい、気のきいた日本」という意味であること
など常識だ。                               
いや、正直言って私自身そのことに気付いたのはここ一年ほどのことだ。たまたま
何かの折にNHKのBS放送で(http://www.nhk.or.jp/cooljapan/)クール・ジャ
パンという番組を見てからのことだ。要するに日本人にとっては当たり前のことが
外国人から見てさまざまな日本の商品、サービス、習慣といった文化がいかに、外
国のそれに比べて、便利、優秀、ユニーク、そして格好いいものであるかというこ
とを紹介しているのだ。我々日本人にとってはなんの不思議さもないものが、外国
人にとってはいかにそれぞれの国に存在しない、欲しくてもない、いいものである
かを改めて認識させてくれるのである。たとえば直近の例では、日本のコンビニに
ついて紹介していたが、こんな便利なもの今や、本家のアメリカにも存在しないの
だ。                                   

それは衣食住、文学、アニメ、マンガなどあらゆる生活文化にわたることだが、改
めて外国人からそれを指摘されて、なるほどそうか、そうなんだと、日本文化の良
さを再認識させてくれる。いい番組だからぜひご覧になるといい。「そうか、そう
なんだ」と思うにちがいない。                       

Coolという英語の形容詞がこんにな全く相反する意味を有することはネット辞書alc
を引いてみたらわかるが、これが大学の入試にでも出たら大変である。前後関係で
その本来の意味を判別しなければならないが、今や Cool Japanとくれば99%上
記のような意味なのだ。                          

こんな番組をNHKが始めたのにはなんらかの理由があるはずで、実はそれはアメ
リカのジャーナリスト、ダグラス・マグレイが2002年に発表した『Japan’s
 Gross National Cool』と題する論文に由来するのであろう。氏はその『Japan’s
 Gross National Cool』と題する論文の中でこのGNCなる言葉を用い、現代日本
の文化が世界中で高く評価されている現象を取り上げ、それは日本文化が「クール
(カッコいい)」と受けとめられているからだと指摘しているのだ。それが、今や
GNPでは中国に追いつかれ、追い越された日本の価値は、GNPなる経済指標で
なく、彼の造語であるGNCで表される総合的文化力によってはかられなければな
らないと主張しているのだ。日本にとっては頼もしい限りではないか。そのさわり
の部分を英文と日本文両方で下に掲載しておくので参考にされたい。      

今日の日本の政治・経済の停滞ぶりは目を覆うべきものがある。これから日本が一
体どのような方向に向かって進んでいるのか、進むべきかについて、政治は未だそ
の方向性を示しえない状況だ。しかし政治なんてことに一向に関わりなく、平均的
日本人の日常生活は安穏に、平和に、そしてかなり快適に、便利に進行しているこ
とも事実である。                             

毎日を締めくくる夕方の民間TV放送のパターンは決まっている。まずはくだらな
い政治の二ユース、暗い社会ニュースを流した後、後はこれでもかこれでもかと食
い物、買い物、スポーツ、芸能、ファッションの話だ。くだらないといえばくだら
ない。が、その貪欲さはある意味上記のクールさに通じる。さらに一般には見る人
は少ないだろうが、すばらしい教育、教養番組もいくらでもある。その一つ一つの
内容は我々日本人にとっては当たり前で目新しさも少ないが、実はそれぞれ外国人
にとっては驚くべきクールさが多く含まれている、いるらしいのである。いや、そ
うだと思う。                               

マググレイの論説は少々日本や日本文化を買いかぶりすぎている面もあるが、しか
しそうした総合的文化力という点に関して日本人はもっと自らの文化に自信を持っ
ていいのであろう。                            

問題はそのパワーをどうこれからどう経済成長に活かしていくかが課題なのだ。そ
れについて一つだけ具体的なことを言うならば、そうした日本のソフトパワー、文
化力に魅かれてやってくる外国人観光客をどんどん増やすことだろう。観光日本の
道がそこにある。                             

2010/12/11
早勢 直
今週の意見(705):

ドギーバッグデイナー

昨夜わが家のメインの食事は、「かぎあげ天ぷらうどん」であった。私は少々複雑
な気持ちでそれを食べたが、結構おいしかった。そりゃそうだろう。うどんは大変
好きなものだから、わざわざ生うどんと汁は四国の店のものを通販で取り寄せたも
のだ。かき揚げ天ぷらは、これまた昨日市内の和食レストランで仕入れた特製のも
のである。それでまずかろうはずがない。一緒に飲んだ冷酒もいけた。     

「複雑な気持ちで・・」食したということについては、少々その背景がある。実は
その特製かき揚げ天ぷらなるものがそれなのだ。               

昨日の昼食、パソコンクラブの例会があり、仲間数人と一緒に近くの市内和食レス
トランに出かけた。みなそれぞれ好きなものを注文した、四人ほどが、大きなかき
揚げや、刺身、そばまでついたランチを頼んだ。その定食には他にもいろいろあり
全部を食べきれなかった。私を含めてついてきたその大きなかき揚げを食べ残した
わけだ。                                 

そのうちの一人が、「このかき揚げ、おいしいが全部食べれないよな。もったいな
い。」と言ったので、私はふと冗談を思いついた。近く通りかかった給仕の人に、
「すみません、ドギーバッグ、いただけません」と言ったわけ。店の給仕の人、一
瞬怪訝な顔をしたし、もうそれ以上言うつもりもなかったのだが、この食べ残しの
ものを持ち帰りたいので、なにか袋でもいただけませか、という趣旨を言ったわけ
だ。もちろん実際にそれが実現するとは思わなかった。と、いうのも以前同じこと
を、別のレストランで言ったのが、それを断られたことがあったからである。  

ところがその給仕の人、「分りました」と言い、なんとスーパーで天ぷらなど買っ
た時に使うプラスチック容器を持ってきてくれたのだった。それを見た、もう一人
の仲間、Kさんも「私にもください」と頼んだ。結局私とそのKさんが自分の食べ
残しはもちろんほとんどそれに手をつけていなかった他の人の分まで、二人がその
かき揚げ天ぷらを持ち帰る羽目になった次第だ。               

そのいきさつについて妻には詳しい話はしなかったが、妻はもともと家での食べ残
した料理はなんでもかんでも冷蔵庫に入れて保存するタイプ。ひどい時は二日も三
日も前のものが食卓に出てくることがある。だからその持ち帰りの趣旨など説明の
必要もなく、さらに我が家には犬など買っていないから、さっそくそれが夕食のか
き揚げ天ぷらうどんに変身して出てきたということだった。          

私が、その「ドギーバッグ」なる言葉を知ったのはもう30年も40年も前のこと
だ。ビジネスでアメリカなどで出張すると、昼間のビジネスの後、関係先のビジネ
スマンの人が、近くの一流レストランの食事に連れて行ってくれる。ご承知のよう
にアメリカなど外国のレストランで困ることの一つは、その料理の量が多いことだ。
いや、アメリカ人だって食べ残すことがある。そんな時、彼らは給仕の人に「ドギ
ーバッグ、プリーズ」とか言って、食べ残しを持って帰る紙袋を頼むことがある。
店の給仕の人はなんの躊躇もなく、それを持ってくるのが通常だ。頼んだ人は、い
や、これは犬が食べるのでなく、食べざかりの息子用だと、にこにこ笑いながら説
明してくれたものだ。                           

いや、大消費、無駄文化のアメリカにしてこうした習慣が当たり前のようにあるこ
とを知ったのだった。私は昨日その出来事の後、そのドギーバッグなる言葉の由来
を仲間に語ったのだったが、その時どうして日本でこうした文化というか習慣がな
いのだろうか、という批判をしたわけだ。いや、以前にはそれもあったはずだが、
最近は先に書いたようにそれを要求しても断られることが多い。私はこの店ですん
なりそれを持ってきてくれるとは夢にも思わなかった。それが極めて意外だったの
である。                                 

日本でレストランなどがそれを断る理由は、もちろん極めて正当なものである。も
し食べ残しを持ち帰って中毒事件でも起こしたらそれはそれこそ店の存続にもかか
わる大事になるからだ。そのことについては、私はそのことも合わせてその話題に
したのだが、それに仲間のTさんはこう言った。「だってドギーバッグと言う限り
犬に食わせるのだから、それを人間が勝手に食べても店にはなんの責任もないよ。」

ハハハ、その通りだと、その話はそれで終わった。しかし今朝起きて、ふとこの話
題についてネットで調べてみた。そうして驚いた。いや、実はなんと持ち帰り用の
バッグ、容器が市販され、通販などで売られていること、さらに持ち帰り運動を推
進する団体まで存在することを知ったからだ。                

その趣旨目的、もう蛇足になるからこれ以上語る必要もあるまい。日本という国、
実は世界でも有数の食べ残し文化国なのだ。食べ残しで廃棄処分される食料の量、
例の消費期限切れで処分される食料、それだけで多くの飢えに苦しむ世界の人々が
救えるくらいという話がある。                       

それはなんとかしなくてはならない。すべきだという問題意識が広く世の中にも存
在することを知ってことは大いに意味があった。               

最後にドギーバッグ普及推進委員会」なる団体の設立趣旨、目的について一読いた
だけるようお勧めしておく。                        

ドギーバッグ普及推進委員会

2010/12/18
早勢 直
今週の意見(706)

子育ての原点に戻れ

民主党がさまざまなマニフェストをうたい政権交代を果たしたが。その中でも私は
必ず実行しなければならないもの、重要なものだと思うものの中に子育て手当創設
があった。ところが民主党、政権の座についたものの、マニフェスト実行に当たっ
て財源に困り、すでにさまざまな大幅修正が始まったいきさつは衆知の通りだ。そ
れでも子育て手当については、鳩山内閣は初年度16,000円の支給を決め、そ
れが始まっている。そのことは大いに評価されてしかるべきことと私は考えている。

菅内閣も基本的にそれを受け継いだことは受け継いだのだが、深刻な財源不足問題
もあって、当初の26,000円支給というマニフェストは修正どころが、基本的
にはそれを引っ込めざるをえないような状況に立ち至っている。現段階でなにも手
当の額が26,000円でなければならないとは言わない。それについては、財源
をどうするかの議論と並行して進めなければならないことの必要性は当然だ。  

ただ、問題はそもそも子育て手当支給というマニフェスト、その理念がどうして出
てきたのかということについてはそれを出した民主党も、野党も、そして国民もも
っとその原点に戻ってを考えるべきではないのか。              

それはいうまでも国家存続そのものに関わる深刻な少子化対策のためであり、それ
もただ子供の数を増やすということでなく、生まれてきた子供たちが国家の将来を
担う立派な人間になるような子育て、教育をするということではなかったのか。そ
のためには、月26,000円くらいのカネをその目的に投じることなどなんら惜
しむべきことでないと私自身は考えていた。それくらいの財源は他の歳出の大きな
無駄を省くことで出てくるという民主党の主張もその通りだと信じているし、今も
その可能性は大いに残っていると考える。                  

ところがまずその半額、16、000円の支給についてすら、野党自民党など、バ
ラマキ批判を展開し、そんなカネがあるのなら、子供を持って働く女性のために、
保育施設を充実することに回す方が有効だなどという言い分を繰り返している。そ
れがまた世論の主流を占めるようになってきた感があるのが残念だ。      

おかしいのは財源不足に悩む民主党内でも、そうした考えに同調する議員が増えて
いるようだ。それどころか、逆にそれに乗って、財源確保のためには、働く女性に
ついては配偶者控除などをやめたらいいのだなどという考えが出てくる現状である。
自民党を含む野党は頭から子育て手当などバラマキだといい、その一方で配偶者控
除廃止は増税だと主張する始末である。世論もそれを聞いてそうだそうだ、財政難
のおり、子育て手当などやめてしまえということになりかねない感がある。   

菅首相、どうしてもっとこの子育て手当創設というマニフェストの意味、国家の長
期成長戦略の意味とその原点に戻って、子育て手当の意味、その重要性を正々堂々
説明しないのか、できないのかである。野党はもちろん世の中、国民の多くもその
ことの大切さがどうもわかっていないように思える。             

子育て手当がどうこうだけでない。その一方で保育施設充実がどうの、子育て中の
働く女性への支援策がどうのこうの、その夫の子育てのための休暇がどうのという
問題を論じるのだ。それを悪いとは言わないが、そうした議論はむしろ枝葉末節論
ではないか。                               

大切なのは健全な子供を育成するためにには、当たり前のことだが、子供は母親が
生み、母親が育てるのがあらゆる意味で一番いいという大原則を見直すことだ。政
治家も、社会評論家、教育評論家もどうしてそのことの意味、大切さをもっと正面
から主張しないのかだ。今の世間でそれをいうとまさにブーイングが起こりかねな
い雰囲気すらあるように見える。                      

そんな中、クリスマスイブの昨日の朝日新聞の声欄に若い25歳の女性の声を読ん
だ。タイトルは「女性の勤労は絶対的価値か」だ。それを読んで、その通りと膝を
叩いた。今の世の中政治家はもちろん評論家も言わない、言えない、まさに絶対的
真理だと思った。                             

このお方のお名前、なんと菅 寛子さん、お仕事は非常勤教師とあるから、多分子
育て教育問題についても、お仕事を通じて明確なるご意見をお持ちなのだろう。女
性が子育てということに重要な役割を持っているのに、キャリーアーがどうの、男
女共同参画だのという言葉の下、それを実現するための保育施設の充実という誤っ
た方向に世間の目、政治の目が向くことに警鐘を鳴らしておられるのである。  

氏はこの声の投稿に「女性の勤労は絶対的価値か」と題されているが、「職場では
たらいてキャリーを積むことなど、せいぜい勤労の部類、女性の最高のそして絶対
的に価値のある任務、仕事とは自らの手で子育てをすることだ」とおっしゃている
のだ。もちろん家計のため働かざるをえない女性がいることも事実であり、そうし
た女性、家計、生活維持への支援の必要性など誰も否定するものでないことを断っ
ておられるのもその通りなのだ。

子育て手当とならんで保育所充実問題が議論されること自体を悪いとは言わない。
ただ自民党を含めて野党が子育て手当をバラマキと決めつけ、それに代わる保育所
充実論など持ち出すことこそ、子育ての本質を忘れたにせものの議論であると与党
民主党はどうしてもっときちんと反論をしないのかである。          

抽象論でない、具体論を一つ指摘しておこう。少子化問題を解決しつつあるフラン
スは、子育て手当、保育所施設充実の両方施策を実行し成果を上げているというこ
とだ。ただいずれにせよ、この問題に関するこの国の議論のレベルは低く、その理
由は根本的な問題意識が非常に低い、低すぎるところにあると言わざるをえない。

最後にこの貴重な朝日新聞の声欄記事を引用したことをお断りし、謝意を表してお
きたい。

2010/12/25
早勢 直
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