1997年 今週の意見 −8月

今週の意見(29): これ以上法律はいらない 野村・第一勧業事件など一連の企業不祥事件が起こって、数多くのトップが逮 捕された。営業停止などの処分がこれから行われる。それはそれぞれの企業にと っても大変な痛手には違いないが、一番の痛手はこれで顧客ばなれがどんどん進 むことであろう。気のどくではあるがいたしかたのないことである。法律に違反 することをやったのだから。                        こうした商法関係に限らないのだが、さまざまな事件が起こる度に論議される のは、その再発を防ぐために法律を改正するとか、新設するとかのことである。 今回の野村・第一勧銀の事件についてもそうした取締役とか、経営陣の不正をチ ェックするために、商法を改正する必要がある、と盛んに論議されている。例え ば、与党自民党内で、監査役の機能を強化せよとか、総会屋などにへの不正な利 益供与を防ぐために罰則を強化して、利益要求罪を新設するとかの議論が行われ ている。                                 そのこと自体すべてまちがいとは言わないが、ちょっと、待ってくれと言いた いのである。監査役の機能を強化すると言うが、私に言わせればこれ以上どう強 化するのか、と問いたいわけだ。現在の商法のままでも、監査役の権限は絶大で ある。取締役の仕事をあらゆる面で監査し、問題がある場合、取締役会を招集し てその不正を質すことができる。不正行為については、株主に代わって代表訴訟 を行うこともできる。監査法人が行う会計監査については、その妥当性をチェッ クして株主総会で株主に報告するのも監査役の仕事である。          そういう権限を持っている監査役の機能が十分に機能していないのは、監査役が 取締役会、社長によって選任されるからだという説が多い。だから社内監査役で なく、社外監査役をもっと多くせよとか、監査役の選任は取締役会ではなく別の 機関でとかいう意見がある。                        監査役が法律通り機能していないから、さらに法律によってその権限強化を、と いう発想自体まちがいである。法律は今のままでもよいのである。監査役がその 法律の定める通り、権限を発揮すればよいのである。ここにも法律までも建前で 本音は別の所にあるという日本社会の悪しき風習・慣習・考えがある。     法律を無視し、軽視した結果、今日の野村や第一勧銀の事件摘発があった。当然 のことである。経営トップの不正や取締役の不正行為をチェックするために、こ れ以上何をどうしようと言うのか。いくつか細かい改良点はあるだろうが、その チェック機能をさらに強化する必要はさらさらないはずである。        その監査機能を含めて、まず現行の法律通りそれらが機能する、機能させるよ うに監査役が自ら行動し、監査を実践することがなにより大切なのである。   1997/8/2                                Tadashi HAYASE 

今週の意見(30):

世紀末の混沌をもたらしたもの

 7月31日、8月1日の2日間、今治市の今治国際ホテルで「四国フォーラ
ム」という集まりがあってこれに出席した。このフォーラムはもう10年も続い
ているが、主催者側、世話人方のご努力で、年々実りの多い会になっていること
はご同慶にたえない。また、このような意義ある会に招いていただいたことに感
謝するものである。                           

  今回の愛媛会議の基本テーマは「真に豊かな四国を目指してー本四3橋時代と
歴史・文化への新たな視点ー」。2年後四国と本州の間には3本の橋が架かり本
州との経済的、文化的交流は一層密なものになる。しかも時あたかも情報化、国
際化の時代。「経済と歴史・文化が調和した豊かな四国をどう創造していくか」
というのが、私が出席した分科会のテーマであった。            

 大きなそして難しいテーマである。初日講師お二人の基調講演がありそれに基
づいて、それぞれの分科会で出席者約50名が別れて討議をし、最後の全体会議
でそれぞれ座長、報告者がまとめの報告をするというスタイルであった。それぞ
れの内容についてはここでは触れない。いずれ主催者からのまとめの報告がある
はずである。それについては機会があればまた紹介したいし、それに触れたホー
ムページがあれば紹介するつもりである。ここではそこで触れられなかったけれ
ど私自身が感じ、考えたいくつかの点についてまとめておきたい。今回はその一
番目のテーマ、「世紀末の混沌をもたらしたもの」である。         

 会議の最終日報告者からまとめの報告の中で、人々の価値観が多様化し、人権
問題が世界的に重視され、政府によるさまざまな規制緩和の方向の中、世紀末の
混沌状況はいたしかたのないことであるという発表があった。さらに高度情報化
が進展する中で、インターネットや、パソコン通信などのメデイアが我々の生活
を便利にする側面がある一方で、極めて危険なものがあり、さまざまな弊害がも
たらされていることも事実であるという意見が紹介された。         

 私はその二つに見解に対し疑問を呈したい。この世紀末の混沌、混乱は価値観
の多様化のせいでもないし、ましてや新しい情報メデイアの影響のせいでもない。
そしてその混沌は人類にとっては新しい経験で、しばらくは放置しておくのもい
たしかたなし、と言った考え方はまことに困ったものであると思う。     

  人類社会の混沌は今に始まったことではない。価値観の多様化を言う一方で、
それが混沌の一因であるかのごとき解釈は間違っていると思う。大切なことは、
その多様化した価値観の中にも正しいものと正しくないものがあるということ、
価値観の多様化そのものがいいのではなく、その価値観が正しいものであるか、
どうかの価値判断が同時に伴うべきであるいうことだ。そこで、正しい、正しく
ないとは一体どういう判断基準があるのか、と聞かれるに違いない。     

  私の信念では、その判断基準とはいうまでもなく道徳であり、倫理である。す
べての人類、国家国民が守るべき基本的なモラル、マナー、ルールである。  

 新しい情報メデイアを一方で礼賛し、一方で困ったものであると眉をひそめる
のはおかしい。困った側面はいうまでもなくあるが、それも結局は使用者、利用
者のマナーやモラルの問題に帰するのである。そんな誰にでも通じる、全ての人
間社会に通じるマナーやルールや、モラルは存在するのか。それが根本的な問題
である。                                

 それは厳然としてあると言いたい。それは我々日本人が習ってきた儒教の教え
の中にあるし、多くの西欧人信じるキリスト教の教えの中にもある。それは数多
くの教えにおいて共通するものがある。人間が共通して守らなければならない行
動の10の原理原則はある。我々は今一度それを明確にすべきだ。それぞれの価
値観はそうした教えの原則に照らして見て、どれが正しいか、正しくないか、よ
り明確にすべきなのである。どれもこれも多様性があるからそれでいいというこ
とではない。                              

 道徳とかモラルとかいうと、いかにも古めかしく、新しい価値観にそぐわない
ような言い方、考え方をしてきたところに、今日社会の混沌の原因があると私は
思う。混沌はしかたがないし、なんらかの明確な結論を出すのがこうしたフォー
ラムの目的ではないなどという考えが仮にあるなら、私は反対である。こうした
道徳観と、こうしたモラルの共通の基盤に立って、こうした価値観のもとで、こ
のような具体策を展開しよう。そう結論すべきである。それではじめて今日の世
の混沌の解決、人類社会前進のために貢献できるのである。         

1997/8/9                                
Tadashi HAYASE

今週の意見(31):

千年心の遊歩道

  四国フォーラムに関する第2章である。四国フォーラムでは本四3橋時代を
迎えて四国の歴史文化を見直し、その経済的・文化的発展のために世界とどう
交流していくかというのが中心テーマであることは先週も述べた通りである。
実は四国には世界に誇る歴史的文化遺産が数多くある。これを世界に向かって
PRし、より多くの人が四国を訪れたり、交流を深めるような具体策を展開し
て行こう、いくべきだという意見が多く出された。まことにその通りであり、
そのことには何の異論もない。が、いくつかそのことについて感じたことがあ
るのでそれについて書いておきたい。                  

  四国にはかの有名な空海、弘法大師が開いた、88ケ所のお遍路がある。
88ケ所のお寺を巡礼してまわり、人生のさまざまな悩みを癒し、悟りを拓い
て生きる勇気を得る。弘法大師がひらいたこの遍路は今の時代でも生き続け日
本全国各地から多くの人々が巡礼の旅に訪れる。88ケ所お寺巡りをすると、
それだけでご利益があると信じられていて、観光気分、観光をかねて、休みの
つど四国4県にまたがる88のお寺を順番に回って行く人も多くいる。中には
それを短時間で実現するためのバスツアーに参加するし、時間のない人はタク
シーやマイカーを利用する人もいる。まあ観光をかねてということも別に悪く
はないだろう。                            

  四国フォーラムでもこの遍路道を全部足で、安心して歩けるようなもの再構
築すべきだという意見が出された。本当の山道は、ともかく、メインの道は今
やトラックや自家用者が占有している。人間はその横を車の危険を避けながら、
歩いているのである。車を一切意識しないで、悠々と歩ける完全な遊歩道がで
きないものか。一部そういう道もあるらしいし、各県で進めている計画もある
ようである。が、いずれ車から一切切り離された、88ケ所のお寺を巡る遊歩
道として完成して欲しいものである。それを回るのに一ケ月、いや、一年かか
ってもいいわけだ。全部歩いて回るところに大いなる意味がある。     

  こうした自然の中にとけこんだ遍路道を作るということが一番目。そして
2番目の提案とはその遍路道をインターネットなどネットワークで紹介してい
くということだ。各札所、お寺の紹介や周辺の遍路道の様子を順次ホームペー
ジで作成し、これを順次つなげていけばいずれ完全なネットワーク遍路道がで
きる。すでにいくかのネットでそういうものがあるが、まだ88ケ所全体の
ネットワークは完成していない。これを一つづそれぞれの札所や周辺の市や町
や県の関係者が協力して完成していけばいいのである。          

  そんな仏教の遍路、巡礼のことなど、世界に通用するわけがないと思われる
かもしれない。私はそうではないと思う。愛媛県の松山に正岡子規の俳句の
ネットがある。子規ネットである。これは昨年世界中のインターネットのホー
ムページの中でもベスト5の評価を受けている。あの外国人にはわかりにくい
と思われる俳句が世界中の人から興味を持たれ、参加される。それには言葉を
超え、国境を越えたすばらしい心の世界があるからだろうと思う。     

  88ケ所遍路道は千年の心のネットである。日本の文化・歴史遺産として世
界に通用するものである。その千年の遍路道ネットを作るべきだ。本四橋ばか
りが話題になるが、この千年のネットこそなによりも四国が世界に誇っていい
ものだと思う。                            

1997/8/23                              
Tadashi HAYASE

今週の意見(32):

隗より始めよ

  四国フォーラムの第3章である。四国と世界との交流をいかに促進するかの
テーマを考える場合、情報化のテーマは避けて通れない。国際化、ボーダーレ
ス化の中で、情報化がその鍵を握っていることは言うまでもない。本四3橋時
代、橋が地域の経済・文化交流の柱であることはまぎれもない事実であろう。
しかし、国際化、ボーダーレス化の社会にあって、もっと大きな鍵となるのは
物流ための橋とともに、情報の橋すなわち情報インフラであることはいうまで
もないことである。                          

  四国フォーラムの討論の中でも情報インフラ整備が重要であるという話は当
然出た。しかし、同時に目につくのは新しい情報メデイア、たとえパソコン通
信やインターネットへの相変わらずの偏見と誤解である。電子メールが普及し
通信コミュニケーションの手段が格段に効率化された。情報化推進のためにこ
うした手段をよりうまく、積極的に活用する必要があるとの指摘に対し、いや
やはり電子メールは心がこもっていない機械的な手段であるとか、インターネ
ットの情報メデイアとしての有効性を説く意見に対し、今日それはさまざまな
害悪を世に流していて、危険なものであるとか、そうした意見がさかんに出て
くるのである。                            

  そういう意見を言う人は概してそういうメデイアを自分で使った経験のない
人が多いようだ。どんなものだって、それぞれいい面、悪い面は必ずある。
電子メールなんてものより、電話がいいとか、いやなにしろ直接会って顔を合
わせ、心を通じ合わせる方がいいとか、いう話になる。インターネットにして
もそうだ。何百万とあるホームページの中にはたしかにつまらない、いやそれ
どころか公序良俗に反する害悪的なものも確かにある。が、それらの欠点を差
し引いても、インターネットにはこれまでのメデイアにはない大きな利点があ
ることも事実なのである。                       

  一言で言うならば、そうした新しいメデイアはコミュニケーションの効率性
と双方向性という面では抜群に優れたものなのである。さらに結論的に言えば
理想的な人間社会、自由と平等、自由な意見の交換、そして自主的な管理行き
届いた社会を作るためのもっとも有効な手段だと私は考える。そうした新しい
コミュニケーションの形がどういうものであるかは自ら使ってみたものでない
とわからない。                            

  フォーラムというとさまざまな形がありそうだが、大体はテーマについて講
師の基調講演があって、それに沿って参加者がパネルデイスカッションという
形が多い。四国フォーラムもそうであった。基調講演が悪いとは言わないが、
そもそも参加者は、それぞれ一家言持つ人ばかりである。いや、そのはずだ。
常日頃からパソコン通信などを使って、テーマについて意見を交換し、そして
こうした場では最後の仕上げの会議をやれば、いいのである。講師の講演を聞
いて、それで始めて顔を合わせた者同士がどれほど効率的な意見交換ができる
ものだろうか。今パソコン通信の世界などでは当たり前に行われているような
電子会議などのシステムをどうして取り入れないのであろうか。ネットワーク
時代そうしたコミュニケーションの手段こそ有効なものである。      

  ネットワーク確立のためのそうしたメデイアに欠陥があることなど説いても
何の益もない。むしろそうした新しいメデイアの利点、長所を説いて説きすぎ
ることはないと私は思っている。今日そうした新しいメデイアをフルに活用す
る以外に、四国が世界との交流を急速に深める方法は他にはないからである。
経済、文化全てが、相変わらず東京中心で、それに追いつくために沢山橋を作
ろうなどという発想はもう古い。今日では、どこにいるか、住んでいるかなん
てことは世界と交流する上で殆ど関係ない。しかも四国の情報インフラは他地
域に比べても決して遅れていない。4つの県のそれぞれのCATV局がネット
で結ばれるというニュースが報じられたのもつい最近のことである。    

  もう一度言うがインターネットといい、CATVといいパソコン通信のネッ
トといい、四国の情報インフラは決して劣ってはいない。問題はそれを使いこ
なせる人々がどれだけいるかである。フォーラムに参加しているような人々は
各界のリーダである。自らそうしたものを活用して日本国中と世界の人々と交
流を深めることがなにより大切である。そしてより多くの人々が同じことを実
践するよう、できるようにお手本を示すべきである。           

  隗より始めよ。今回のフォーラムの私の結論である。          

1997/8/30                              
Tadashi HAYASE 

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