1997年 今週の意見 −4月
今週の意見(13):
日本の結婚式:
先週の土曜日、結婚式があって披露宴に出席した。同じ会社に勤める若い二人。
私は部署も違うし、年も大いに違うが、新郎は以前の部署にいた2年前、新人で
入ってきた。採用試験の時面接に立ち会ったことや、10年前まで東京の立川の
近くに住んでいたのだが、新郎が同じところに住んでいたこともあって親近感が
あってその後もつきあいが続いた。2ケ月ほど前、連絡があって結婚するから披
露宴に出て欲しいとの話があった、で、喜んで出席することにしたわけだ。
披露宴は盛大なものであり、大変楽しかった。新郎、新婦とも同じ会社だから
会社の同僚や上司が沢山出席していたし、それに加えて両方の親族一同が出席し
ていたのも日本の典型的な結婚披露宴であった。まず新郎新婦、双方の両親、そ
れに仲人が披露宴会場入り口で来客を迎えるところから始まり、最後に同じスタ
イルで来客を見送って終わる。
仲人の新郎、新婦の紹介、来賓の祝辞、乾杯、新郎新婦によるケーキカット、
その他来客の祝辞やカラオケ、新郎新婦によるキャンドルサービス、そして双方
の両親への花束贈呈など日本の結婚式はどこもかしこも判で押したようにワンパ
ターンである。私たち夫婦も、そして娘夫婦も同じように結婚し、結婚式をあげ
結婚披露宴を行ったことはいうまでもない。私たちの頃はキャンドルサービスと
か両親に花束贈呈などというのはなかったが、新郎新婦と仲人が雛壇に座り、招
待客がそれぞれの立場で祝辞を述べたり、歌(最近はカラオケだが)を歌ったり
するのは今も昔も変わらない。
最近では披露宴を盛り上げるためにさまざまな演出が行われる、新郎新婦が何
度もお色直しで衣装を変えたり、結婚式専門の会場では新郎新婦がゴンドラに乗
って上の方から舞い降りてきたりする。そうした趣向は毎年派手になり、より多
額のお金が掛かるようになった。式を上げる方も、招待されるほうも段々負担が
大きくなることについて批判の声もある。あんな無駄な、形式ばったことはやめ
るべきだという人も多い。
私の意見は自分や自分の娘も同じスタイルでやったからいうわけではないが、
それについては概して肯定的である。いや、逆にそんな結婚披露宴など一切しな
いで、友人が会費を集めてパーテイをやるスタイルも最近は増えている。私もそ
ういう会費制のものに何度か出席したことがある。それはそれでいいものだ。経
済的理由、その他の理由で会費を集めてのパーテイ形式も大いに結構。
要は日本の場合その結婚が職場や親戚関係者、友人などから結婚について社会
的認知を受けることが大切であり意味があるのである。欧米などでの結婚式では
教会での式が大切なのであって、披露宴とかパーテイなど特にない場合が多い。
教会での式が社会的認知の重要な儀式なのだ。日本は逆である。キリスト教徒で
もないのに教会で式を上げたりするし、神式の結婚式自体は殆ど単なる儀式であ
まりそれ自体重要性があるようには見えない。それより、披露宴で大勢の関係者
の出席の下に行われる宴の中で社会的に認知され、新郎新婦がその結婚について
世の関係者にある種のコミットメントを背負うことが大切なのである。こうやっ
て大勢の人々ので結婚した以上は、そう簡単には別れたりすることはありません
よ、という意味でも。
そういう意味では日本では神さまに対する誓いの意味が小さい分、披露宴で社
会的なコミットメントを明確にするという意味があるのだろうと思う。なにはと
もあれ新郎新婦の幸せを祈って、会場を後にした次第である。
1997/4/5
Tadashi HAYASE
今週の意見(14):
うそとユーモア
4月1日はエイプリルフール。もう3週間も経っ今この話題は古いとおっしゃ
るなかれ。今年もこの日をめぐっていろいろおもしろい、楽しい、そしておぞま
しく、あまり愉快でないできごとがあった。この日をめぐって外国と日本で起き
たことについて考えさせられることが多かったので、あえてこのことについてコ
メントしたいわけだ。
4月1日、日本のある町でのこと。警察にその町の病院に爆弾をしかけたとい
う電話通報があった。警察と消防救急隊が出動し、病院にいた人々に避難命令が
出る騒ぎとなったが、調査の結果それは全くうその通報だとわかった。4月1日
がエイプリルフールだというのでやったらしい。たちの悪いいたずら事件であっ
た。
同じ日アメリカではクリントン大統領が記者団の前に深刻な顔をして現れた。
そしてマカリー報道官が階段で足をすべらせて、けがをしたと発表。CNNなど
テレビ報道関係は直ちにその記者会見の模様を実況に切り替えた。が、それは大
統領のジョークだと判明して報道関係者を含めて大笑い。
また同じ日イギリスではインデペンデント紙が、労働党党首ブレア氏が前の首
相サッチャー氏を、その労働党への支持のお返しとして、氏をアメリカ大使に任
命するだろうと報道。大きなスクープの形となった。同じ日東芝イギルス社が広
告で、左利きの人のためのパソコンキーボードを開発したと発表、問い合わせが
殺到した。が、その二つともエイプリルフールの冗談。アメリカでもイギリスで
もいっぱい食わされたマスコミ、新聞、テレビなどは、それを楽しそうに報道し
たが別にそれに批判を行うようなことは一切なかった。うん、うんそれはありそ
うなことだが、事実ではなかったかと、笑ったり、にやりとしてそれぞれの機転
を楽しんだものであったようだ。
エイプリルフールなどどこの国が発祥地か知らないが、アメリカのそれや、イ
ギリスのそれと日本で起こった事件はまさに好対象。それはうそとまこと、悪い
冗談とユーモアの違いを感じさせるものである。冗談とうそとは違う。人をひや
りとさせる悪い冗談と、思わずにやりとさせる冗談はおおいに違うのである。日
本で橋本総理が同じようなことをやることは全く想像できないし、仮にやったと
したらマスコミの反応全く違うだろう。なかには一国首相たるものが、なんてこ
とをするのかと、いい出しかねないのである。クリントン氏がやったことは自分
自身の失敗をえさに、いつも脇役のマカリー氏をマスコミの話題にするという思
いやりが感じられるものであった。また、サッチャ氏のアメリカ大使報道もそれ
については誰しもが、いやありうることだと思ったし、サッチャー氏自身を含め
て誰も傷つけるものではなかったはずである。ユーモアとうその違いはまさにそ
こにある。
4月1日、エイプリルフールの冗談を欧米各国ではおおいに楽しむようだが、
もっとその精神や楽しさを学ばなければならないのは我々日本人かもしれない。
それはある意味で、言葉の意味の大切や、そのやりとりの楽しさ、そしてそれを
通じての人間としてのお互いの思いやり、寛容の精神などを学ぶ日であるのかも
しれない。
1997/4/19
Tadashi HAYASE
今週の意見(15):
情けないナショナリズム:
ペルーの人質事件が126日ぶりで解決した。人質一人が死亡したが71人の
解放はなにより喜ばしいニュースであり、日本人24人の人質全員が無事であっ
たこともよろこばしい限りである。
そのことを知ったのは4月23日朝7時のテレビニュースだった。第一印象は
ペルー当局はやはり強行突入に踏み切ったか、ということだった。2月の今週の
意見で私は「奇妙な交渉」というタイトルで、犯人グループと保証人委員会の交渉
について意見を述べた。犯人が仲間の釈放を求めていることについて、ペルー政
府側は絶対にこれを認めることはないだろうということ。唯一の妥協があるとす
ればそれは犯人グループを人質を安全に開放することを条件に犯人たちを第3国
へ出国させるということであろうと述べた。大交渉団の保証人委員会は結局犯人
側からも政府側からも譲歩を引き出すことができなかった。それはある意味で当
然のことである。そうした交渉に宗教関係者がイニシアテイブをとることについ
ても、私は大いなる疑問を呈した。悪と善を足して2で割ることが果たして宗教
者の役割かという疑問である。幸か不幸かそうした妥協工作は結局実現すること
はなかったのである。
強攻策が成功したからよかったものの、万が一人質の何人かの命が失われてい
たとしたら日本の報道機関は一体これをどのように報道したのだろう。それとそ
うなった場合の日本政府の態度である。橋本首相は同じように事件が決着したこ
とについてフジモリ大統領に謝意を表しただろうか。万一そうなったとしても、
それは極めて遺憾なことではあるが、誰がフジモリ大統領を非難したりできるだ
ろうか。
この際私の言いたいことは強攻策がよかったとか悪かったとかのことでない。
問題は人質救済について日本の代表的報道機関であるNHKの報道ぶりである。
朝出勤前の一時間ほどそのニュースを見ていたのだが、日本人24人の人質が無
事開放されたことを繰り返し伝えるだけで、その他48人の外国人がどうであっ
たかについては、殆どいや、一切なしと言ってよい報道であった。私はそれを見
ていてよかった、よかったという気持ちよりも、あきれてものが言えないという
状況であったのである。他のテレビ局のニュースは見なかったが、多分同じよう
な状況であったのだろう。
日本人の人質について報道するのはいい。詳細に名前まで言うのもいいだろう。
が、どうしてその他外国人のことについて一切触れないのか。もちろん後になっ
てそのことについて報道はある。が、どうしてまず日本人のことばかり報道する
のかその偏った報道ぶりはまことに奇妙で、そして情けなく思ったのである。そ
もそも事件がその甘い警備のゆえに日本大使公館で起こり、外国の人に迷惑をか
けたのである。そのことも考慮せず、自分の国の人質のことだけ無事だったと報
道することなど公的報道機関の国際的センス、そしてそれよりも人間的センスを
疑うものである。
ちょっと恥ずかしいよ、NHK。
1997/4/26
Tadashi HAYASE
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