2009年 今週の意見 4月

今週の意見(624):

百年に一度のチャンス

2009年度の予算が成立した。いろいろ問題はあったとしても、これでとりあえ
ず国として新年度をスタートする体制ができたわけだ。百年に一度という経済の危
機に備え、その対策のためこれまでにない規模の財政出動の規模をもった予算でも
あるはずだ。                                                              

ところが麻生内閣はこれが成立する前から、「百年に一度の経済危機」に対処するた
めには」補正予算が必要だといい、その内容の検討が始められ、まもなく国会に提出
される運びである。解散総選挙はその補正予算案を成立させてから5月の連休前後
になるということらしい。もし野党がこの補正に協力しないなら、その時点で解散
だと麻生首相の周辺は強気の構えである。                                    

と、いうのも、これまで早期の解散総選挙を求めてきた民主党は今、政治献金事件
で小沢氏秘書の逮捕事件で世論の逆風が吹き、現段階では解散を避けたいと思って
いる。補正予算の審議ついてもある程度協力せざるをえない情勢である。3月初め
の頃は、本予算がまだ審議の最中に、補正予算ををいうなど、おかしいではないか。
修正が必要なら本予算を修正すればいいと言っていたのだ。                    

いうまでもなくその言い分が正論ではないのか。そもそも昨年麻生政権がスタート
して以来、第一次補正、第二次補正、2009年度予算、そしてその補正予算と、
要するに「百年に一度の経済危機」対処の名目で、次から次へと継ぎ足し、継ぎ足し
の対策を打ち出している。                                                  

今週もロンドンでG20なる世界的経済危機に対応するための首脳会議が開かれた
が、ここでも主題が、各国が共同して財政出動をいかに活発にやるかの議論が一つ
の焦点であった。しかしその中にあってもドイツやフランスは経済立て直しのため
には財政出動がすべてではないという考えもあったのだ。世界的金融危機、経済危
機に対応するために財政出動はもちろん必要だろうが、もっと根本的な短期のそれ
だけでなく、長期にわたる経済社会の構造的変革をともなう改革が必要なのではな
いかということだと思う。                                                  

同じ財政出動でもオバマ政権のそれはグリーンニューデール政策に代表されるよう
に、環境対策を柱とした産業構造の改革にともなう新規の雇用を生み出すというこ
とである。麻生政権が打ち出す景気対策がそうしたものを全く含んでいないわけで
はないが、従来の公共工事を中心にした、あれもこれもと、どうも焦点の定まらな
いバラマキ的財政出動になっている感は否めない。              

大規模の財政出動には当然原資がいる。その財源確保のためには国債、赤字国債の
発行も辞さないということなのだ。「百年の経済危機」克服のためにはそれもやむを
えまいというのがその言い分だ。黙って聞いているともっともらしい。     

しかし「百年に一度の経済危機」というが問題はその内容だ。国民生活は本当にそん
なパニック状態なのかである。たしかに日銀の短観をみても、直近のGDPの数字
をみても、過去10年、20年こんなに悪い数字はなかった。失業率も上がってい
る。雇用情勢の悪化もある。                        

しかし、しかしである。人々の日常生活がそんな百年に一度とかいうほどの危機に
陥っているのかということである。収入はたしかに5%、10%減り、自動車や電
機製品など買控えたり、百貨店で高級品は買い控えているかもしれない。日々の生
活物資の購入も少々節約しているかもしれないが、なにせありがたいことに物価は
安定し、スーパーの値下げ競争もあって、スーパの特売日などレジには長蛇の列が
できる状況なのだ。私などスーパーとか、コンビニによく買い物に出かけるが、人
々の日常生活の購買意欲はさほど落ちている気配は感じない。         

年金生活者の身であるが、いくつか趣味のクラブなどに所属して趣味生活を楽しん
でいるのだ、そういう分野でも生活が苦しくなったからそれをやめたなどという人
は殆ど見かけないのだ。TVを見ていても、人々はWBCに夢中になり、芸能ニュ
ースを楽しみ、相変わらずの馬鹿番組を含めて、その中身はこれまでとなんら変わ
ることはない。だから、麻生さんが、「百年に一度の危機」と言っているが、どうも
その実感がないということなのだ。                     

もちろん自動車産業だ、電機産業だが記録的落ち込みの危機に瀕し、そうした企業
がリストラを敢行していることも事実だがその一方でかってない売り上げ増を記録
している企業、産業も数多くあるのだ。                   

私のいいたいことは「百年の経済危機」など本当にどこまであるのかということだ。
そして仮にそれがある程度事実であったとしても庶民は別にそんなにパニックに陥
っているわけではない。もちろんパニックに陥っている人たちもいてそうした人々
への対策の必要性はわかる、それはそれで打てばよい。            

が、そうではないむしろ今求められているのはそんな目先の、緊急の対策ばかりで
なく、これからの長期にわたる経済構造、産業構造改革、社会構造、環境対策、年
金医療などを含む社会保障制度の改革、さらにいま国家が直面する少子化対策、教
育問題などはそんな一朝一石でできることではないのだ。そうしたことについては
長期にわたるじっくり腰をすえたまさに国家百年の大計が必要なのである。   

「百年に一度の危機」はどうも麻生内閣延命のためにばかり利用されるようなところ
がある。そんなことはあってはならない。「百年に一度の危機」はこれからの「百年の
国家再生、再興、再成長」のための「グランドデザイン」を構築するためのチャンスだ
と考えるべきなのだ。                           

2009/4/4
早勢 直

今週の意見(625):

春のこころを世界中に

「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」、日本人なら誰でも知っ
ている古今和歌集在原業平の有名な句だ。直訳すれば、「この世に桜というものが 
なければ春になっても心はもっと穏やかだろう」となる。桜があるために心が乱れて
しかたがない、ということだ。しかし、業平がそれを詠んだ真意はもちろんその逆
だ。桜というもののおかげで心が千々に乱れる、そのこと自体が楽しいし、意味の
あることなのだ。                                                          

すなわち、その意味、解釈とは、一般的にはこうなる。「この世に、暗い冬から春に
なって咲く桜というものがあるおかげで、いいことも、悪いことも含めて、心はさ
まざまに乱れることになる。春を迎えて、桜の花のつぼみがふくらみ、満開となり
やがて風に吹かれて花びらが散っていくさまを眺めることで、人の心は休まり、そ
の美しさを愛でることができる。またそれでさまざまな人生の悲哀、流転に思いを
起こすこともあるだろう。心が大いに乱れることだろうが、それでいいのだ。」   

いや、業平がどのような意味をこめてこの句を作ったのか、正確なところはご本人
に聞いてみなければならない。が、おそらくそういう意味だろうということだ。  

この時期になると天気予報に桜前線なるものが加わり、日本全国で南から北まで桜
が咲いていく状況が報道される。各地で人々がお花見なるものを楽しむ。今年も自
身が属しているパソコンクラブでは、例会場近くの公園で4月2日花見の会を行っ
た。幸い天候と、桜が8分咲きという好条件に恵まれた。花見の幹事にとっては毎
年それが一つ大いなる悩みなのだ。その日を選ぶことが早すぎてもいけない、遅す
ぎてもいけない、さらに言うまでもなくその日の天候がなにより大切なのだ。業平
の「春の心はのどけからまし」にはそういう意味もあったにちがいない。          

丁度クラブの花見の会が済んだ頃だが、わが家の5歳になる同居中の孫娘が、祖父
母に向かって「今年も花見に行きたい」と言い出した。去年初めて同じ市内にある桜
並木の場所に簡単な弁当を持って花見に連れていったことが楽しい思い出として残
っていたらしい。その要望に応えて、いい天気の日を選んで去年と同じ場所に出か
けたのだった。多分これはこれからの家族の一つの年中行事になるだろう。孫娘は
一生そのことを楽しい思い出としていくことだろう。                          

花見と言うとい、もちろん美しい桜をめでることもあるが、それでそうした互いの
ふれあいのきっかけにするということの意味が大きい。酒好きの男にとっては花な
どどうでもよく好きな酒を仲間と思い存分飲むという楽しみが大きいし。男性、女
性に限らず、飲み食いしながら、友人知人と触れ合う絶好の機会なのだ。        

寒い冬がやっと終わって、花びらが散る下でのそうした会合には、言うに言われぬ
開放感がある。日頃硬くなった心も体も開放されるのだ。                      

何2、3日前TVニュースを見ていたら、ワシントンポトマック河畔の桜が満開で
大勢の人が美しい桜の木を見ながら散策している様子が報じられていた。散策中の
老夫婦が「日本は本当にいいものを贈ってくれた」と感想を述べていたのが印象的だ
った。                                                                    

今、日本は国連で北朝鮮のミサイル発射をめぐって非難決議をやってもらおうと必
死でやっている。それはそれでいいとして、そんなことより、国連議場の庭に桜の
木を贈ることを提案したい。いや、それは国連を含めて、世界中のあらゆる国々に
桜の木を贈ったらどうか、と提案したい。それにはついでに業平の句も一緒に添え
ておくといい。                                                            

なにかというと、ODAだ、なんとか援助だという議論ばかりしているが、日本と
いう国の伝統文化、日本の心を知ってもらうためには、長い目で見てそれが一つの
極めて有効な手段であると思うのだがいかがなものか。                        

毎年春が来るたびに、世界中あちこちで桜が咲き、それと共に、業平の句、詩の意
味を思い出してもらえること、それで日本の文化に触れてもらえることを想像する
ことは実にで楽しいことではないか。                                        

2009/4/11
早勢 直

今週の意見(626):

世襲制限

麻生内閣の閣僚17人のうち、たしか12人はいわゆる世襲議員である。もちろん
そのこと自体は異常というか、おかしいといわざるをえない。自民党にいくら世襲
議員が多いからといって、そういう結果になったのは必ずしも偶然でなく、それは
麻生総理の好みというか、それに対する世論の批判を一切気にしない麻生総理の考
え方が反映しているのであればそのこと自体批判されてもおかしくない。麻生内閣
が発足以来支持率が低い一つの背景に自民党に世襲議員が多いことが一つの背景に
あることは事実だ。
                                                        
総選挙が間近いが、選挙戦中そのことを批判されるとまずいので、自民党選挙対策
副委員長の菅 義偉氏が中心となって党の方針として世襲制限をかけようという動
きがある。麻生総理自身はそれに異論をお持ちのようだ。           

世襲制限というがそもそもそれがなんらかの法律に触れているかというとまったく
そうでない。日本独特の政治風土の中でそうなっているのである。そもそも政治家
の子孫であろうとなかろうと誰もが選挙に立候補して政治家になる権利を持ってい
るのであって、そのこと自体をどのように規制をしたり制限したりするのだろうか。
                                    
さらに一番の問題はその選挙区で選ばれる議員が世襲であろうとなかろうと、政治
家、議員としての資質を備えているのかということである。選ばれた理由がただ世
襲で、しかもそもそも政治家としての資質に欠けるような人物であれば問題だ。し
かしその議員とて選挙を経て選出されるのだ。その資質が問題なのなら、そんな人
物を選ぶ選挙民自体の責任ではないか。                                      

民主党の岡田氏が小泉首相が次男を後継者に指名して引退したことを批判している。
しかしこれも別に法令違反を犯しているわけでないから、どういう根拠でそれを批
判しているのか、その考えをもっと明確に示しておく必要がある。小泉氏個人では
なくそうした世襲制度を容認する選挙民の意識に低さを批判しなければならない。
 批判すべきであろう。
                              
世襲制現とともに自民党で問題になっているのは年齢制限がある。小泉前総理がこ
れは党で決まったことだからと中曽根康弘氏や宮沢喜一氏に辞任をせまり、辞任さ
せたことはたいした決断力であるという一方で、それはおかしいと私は当時思った
ものだ。いや、それは党の方針で、例えば個人として無所属で立候補当選する分に
は別に勝手です、ということなのだろう。要するに党として公認しないということ
だ。それなら話はわかる。                         

世襲制現のことも同じである。これは法律でどうこうするという問題でなく、自民
党として誤解を避け、批判を避けるために現在のように同じ選挙区から世襲の立候
補は認めない党公認としないということなら、それはそれで筋の通った方針である。
それはあくまで党のガイドラインであって、法律で定めるとか定めないという問題
ではないはずだ。                             

年齢制限にせよ、世襲制限にせよそれを党の方針としてやるのは自由だ。なにをど
う制限するのかよくわからないが、諸外国でも同じような問題があっても、日本の
ように世襲議員が極端に多いということはない。               

世襲制度の制度のことをうんぬんして、そんなことで選挙民の関心を引こうという
こと自体が現在の日本の民主主義のレベルの低さ、日本の選挙民の政治意識の低さ
を物語っているということではないか。世襲であろうとなかろうと、その候補者が
人物、政治家としての識見を備えていればいい。それが大切なことだ。もちろんそ
うでないこともあろう。数多くの資質に欠ける世襲議員が存在することは事実であ
る。世襲を制限するとかしないとかでなく、そもそも党本部がそうした人物識見を
検討した上で公認候補として認定するというのが筋なのではないのか。     

さらに再度いうが党がどういう判断に立って候補者を立てようがいずれにせよ、そ
の候補者が選出されるかどうかは100%選挙民の判断にゆだねられているのだ。

資質を求められているのは、候補者ではない。選挙制度の良し悪しではない。選挙
民の政治意識のレベルそのものが問われているということを忘れてはならない。 

2009/4/18
早勢 直

今週の意見(627):

傲慢自公に鉄槌を

今週水曜日河村建夫官房長官は東京での演説会の中で、解散総選挙について「7月 
12日の東京の都議会選挙と重なることを避けるべき」との見解を述べた。これは 
かねてより公明党が主張きたことで、「そのことに配慮しなければならない。都議 
会選挙では、公明党が独自候補のために全力を挙げなければならず、自民党との 
選挙協力ができない」ということなのだ。それは、解散総選挙の時期については公 
明党が主張する、8月初旬頃になるだろうという見解を述べたものとも取れる。  

これには民主党の鳩山幹事長をはじめ、他野党の代表者から厳しい批判の声が上が
ったのは当然である。批判の声は与党自民党内からもあった。官房長官と言えば、
内閣のスポークスマン、政府を代表する組織の要ともいうべき立場にあるものだ。
その人が、与党とは言いながら、解散総選挙の時期について、友党公明党の選挙に
配慮すべきだ、しなければならないという趣旨の発言をしたのだから、それは「党利
党略、まことに身勝手な言い分だ」と酷評されて当然だ。                       

これを受けて麻生首相はぶら下がりの記者会見で、「公明党は連立を組む友党だか 
ら、それにさまざまな配慮をするのは当たり前のことだが、解散時期については、
首相たる私の専権事項で、それは自ら決めさせていただく」などと平然と述べてい 
た。だれもそんなことを聞いているのではない。一言くらい、自らの内閣の閣僚、
しかも、官房長官たるものがそのような発言をしたことに「不適切であった」と釈明
すべきではないのか。その発言が自民党の幹事長から出たものであれば何の問題も
ないだろうが、建前だが、本来政党とはなんの関係もない、政府のスポークスマン
の発言だから問題なのである。                                              

先週日曜日朝のNHKの政治討論会に与野党の代表が集まり、やはり解散の時期に
ついて議論をしていた。野党はこぞって一日も早い解散を主張していたのは当然と
して、自民党の細田幹事長は、条件として補正予算が成立することが先決だとして
いた。公明党の高木陽介広報室長は「都議会選挙が影響する時期は避けるべき」と明
言していたのにはあきれた。よくもぬけぬけといえたものである。要する解散総選
挙という政治のもっとも重大課題を自分たちの党の都合だけ優先して考えるその傲
慢さ、それを密かに考えるのならまだしも、公言してはばからぬそのスタンスは許
しがたい。                                

公明党はともかく内閣官房長官がこのような発言をしたことについて、マスコミは
事実関係は報道しているが、これを厳しく批判するような論調はどこからもなかっ
たようだ。各種世論調査を見ても国民の6割は早期解散を求めていることは明白で
ある。しかし麻生首相はこれまでずっと、景気対策だの、それが首相の専権事項で
あるとかいう理由で、解散を先延ばししてきた。5月連休明けの解散などが言われ
だしたのは、例の小沢政治献金問題で、内閣支持率が少々回復したからだ。   

そうした与党の政治的判断がすべて悪いとは言わない。言ってもしかたがない面も
ある。しかし、今の自公連立政権はまさに自分たちが選挙でどう生き残るか、いか
に少しでも選挙戦を有利にするかしか考えていないのだ。それが当然のようによう
に受け取られる日本政治の現状を批判しようともしない日本のマスコミの情けなさ
といったらない。                             

こんな状況を打破するためには、国民は次回選挙で必ずこの自公政権の鉄槌をし、
権力の座から引きずり下ろす必要がある。政権交代こそがまさにすべての政治課題
であることを国民は忘れてはならない。                   

2009/4/25
早勢 直
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