2000年 今週の意見 4月
今週の意見(160):
ネット日記のすすめ
3月2日にフリーのホームページをオープンしたが、自前のホームページとまた
違った楽しみ方ができるのがいい。ネットワークの楽しみ方が増えた感じである。
フリーと言ってもなかなかよくできていて、最小限度の情報を入れるだけで、まさ
に5分でホームページが開設できるというのもうそではない。メニューは自分でさ
まざまにカスタマイズできるのもすばらしい。絵やイラストを直接入れたり、音の
データを直接おいて鳴らしたりできず、それはあくまでリンクを貼ってやることに
なるのはいたしかたのない。それをやると、ホームページ開設のごとにものすごい
ハードデイスクスペースを必要とすることになって、それが運営側にとって大きな
負担になるかのでそれができない設計になっていることは理解できる。
このフリーページで気に入ったのは掲示板と日記である。掲示板は自前のホーム
ページでも持てるし、フリーのサービスで設定できるものもある。が、問題はせっ
かくそれをオープンしても、なかなか誰も書き込みにきてくれないことであろう。
その点、フリーのページでは同じフリーページ利用会員の間で、結構書き込みを交
換できるので、その利用度は結構高い。私の場合、3月2日オープン以来その書き
込み件数は150を越える。メーリングリストの仲間同士のメッセージ交換もある
が、ここでのそれは殆どこのフリーページ会員との交換である。
その場合掲示板への書き込みのきっかけは会員の日記を読んでのそれである。こ
のフリーページでは、メニューに日記を書くコーナが作ってあり、会員ははそれぞ
れ毎日フリースタイルで日記を書くことができる。かなり長いものでも、ほんの数
行の短いものでもいい。おもしろいのは数は限られているが、いくつかのHTML
のタグが使えること。それで、リンクタグなど使って、読む人に参考になることを
別のサイトで紹介したりできるわけだ。
日記と言っても殆どだれも読まないだろうが、書いたものは毎日運営システムが
自動的にまとめて、フリーページ会員全体が読めるように表題とともに紹介する。
それがあるので会員ほか、一般のアクセス者によって読まれる可能性もかなりある。
日記は本来プライベートなもので、そんなものを公開の場で書く気がしれないな
どと言われるかもしれないが、これはかなり普通の日記とその性格を異にする事は
言うまでもない。自分自身の行動の記録というよりも、むしろ誰かに聞いてもらい
たい、言いたいことを、日記という形で書くのである。私は日記というメニューの
タイトルを「今日も一言」と変えたが、内容はまさにそういうものだ。毎日の生活
の中で感じた意見、感想などを書くのがその主な目的で、3月2日に始めて以来、
毎朝一番にこれを書くのが楽しみになってしまった。
本来のものと少々違うが、日記なるものを書き始めたの私の人生でも始めてのこ
とである。もう始めてしまったこと、これからいつまで続くかわからない。がこの
ネット日記なるものは一生続けると、ネット日記の中でも宣言してしまった。そう
するつもりである。いや、実におもしろいものを見つけたものだ。
みなさまもお始めになりませんか。
2000/4/1
Tadashi HAYASE
今週の意見(161):
政局転換
自自公連立はついに解消した。自由党の小沢党首は自自連立に当って合意した政
策の早期実現を迫ったが、3党首の会談でそれが実現できないという回答を自公両
党主から得て、連立解消を決意した。当然の流れだと思う。そして小渕首相の入院。
政局は大きく転換した。
何度も離脱カードを切った小沢氏の動きをおおかみ少年だとか、たんなる脅しの
連発のように批判する向きが多い。マスコミは概してそういう方向だ。小沢氏は、
連立に当って合意した政策の実現を迫っただけで、離脱カードを連発し、ただこと
を自党に有利にはかろうとしたわけでないと言ってるいる。それはそうだと思う。
政策合意を反故にし、政治家としての信義を裏切ったのはたのはむしろ小渕総理で
あろう。重体の首相には大変お気の毒ないい方かもしれないが。
自自の間でどんな政策合意があり、なにとなにが実現できなにが実現できなかっ
かその詳細を書くつもりもない。が、例えば、衆議院の定数削減問題についても自
自連立の後で、自自公連立がなければ比例区の削減を含めて、20名ではなく、政
策合意通り50名削減ができたはずだった。それが公明党が連立に入ったために当
初の自自連立の合意が達成できなかったわけだ。
定数削減については小沢氏自身はさしたる問題ではないとしているが、自民党が
公明党と連立を組んだことで、そのほかさまざまな自由党の連立に当っての政策が
反故にされたり、先送りになったことは事実だ。そのことが連立解消の理由になっ
たことは、第三者からみるとごく当然のことである。
が、マスコミをはじめ、政界でもほとんど政策合意のことを問題にせず、ただ小
沢氏がだだをこねているような考え方をすることが自体がおかしいと思う。政治が
何をすべきか。国家、国民の幸福のためにあるべき原理、原則にたって政策を一つ
一つ実現していくことなのだ。それを政策の中身よりも、数だけ集めて、原理、原
則よりも妥協と調整ばかりはかっていく現政権のやり方にはどうも賛成しかねる。
当初の内閣支持率が自自公連立以来ずっと落ちてきたのは当然のことだと思う。
国民はそうした数合わせだけの連立政権にうさんくささを感じてきた結果だろうと
思う。
自由党が連立解消に当たって党自体が分裂するのは残念なことである。党に残る
もの、出ていくものそれぞれの思惑やその理由があるに違いない。が、ここは小沢
氏がなんと言われようと、おおかみ少年だとそしられようと、そしてその結果場合
によってはその政治的生命を失ってしまう結果になるかもしれないにも関わらず、
その政治的信念を貫き通す姿勢を私はよしとしたい。
総選挙も一気に真近くなった。国民は今度こそどの政党が本当に政治を良くして
くれるのかじっくりと見極める必要がある。見極めて正しい選択をしょう。
2000/4/8
Tadashi HAYASE
今週の意見(162):
談合と粛清
4月7日の天声人語は、「小渕前首相幽閉説という、はなはだ穏やかならぬうわ
さを聞かされた。前首相は実は病気ではない、政敵に拉致され、病院に閉じ込めら
れている、というのである」 という、ちょっとぎょっとするような表現で始まる。
意表をついた出だしで、一気に最後まで読ませる。趣旨はあきらかである。 今回
の政権交代劇が自民党の限られた幹部だけの密室の話合いで行われたことを皮肉っ
たものだ。
非情なものである。小渕さんが入院され、再起不能となったとたんもう次の総裁
選びが始まり、その数日後にはもう森首相が国会で施政方針演説をやっているのだ
から。私情をはさむ余地のないことも事実。が、総理総裁があんなにバタバタとし
かも自民党の派閥力学で決まってしまうのはおかしい。主権者たる国民の意思が入
る余地なんて全くないのだから。国民の意思とは、例えば、自民党内で総裁選挙を
急遽行った上で総裁を決め、国会の決議を経て総理に就任するのならいい。が、今
回はその時間がなかったとは言え、事実上限られたメンバーが密室で、「いや、この
際、小渕内閣を支えた森幹事長がいい」などという程度の話合いで決まったとのこと
だから、民意もへたくれもない。要するに自民党だけの派閥の都合で決まったわけ
だ。
そのプロセスがかってのソ連のクレムリンの権力者選びのようであるという野党
の批判は当っていなくもない。内外のマスコミも、上記天声人語のようなものを含
めて、その総理選出プロセスに疑問を呈する向きが多いことも事実だ。
しかしその一方で、なんの混乱もなく、スムースに権力交代が行われたことは別
の意味で実に見事なものであったとも言える。それが本当の意味での民主主義的な
手続きであったかどうかは別にして、遅滞なく混乱なく政権交代が行われたのだか
ら。そのこと自体はその国の民主主義の成熟度をはかる一つの指標でもあると言う
と間違いだろうか。そうした際の危機管理として、総理大臣になにかあった場合に
誰が臨時の総理につくか、そしてそれから真の総理選出の手続きをもっと具体的に
法律で定めておく必要があることは、多くの識者の指摘を待つまでもないことだが。
そうした現状の法体系不備の中で、今回スムースに政権交代が行われたことは、
それでよしとすべきであろう。それは国民としても容認できる。が、この上は、森
内閣は一日も早く国会を解散して国民の信を問うべきことは、野党の要求を聞くま
でもないことだ。今回誕生の森内閣は選挙管理内閣以外の何物でもない。
サミットも、国民の信任を得た内閣がその運営に当った方がいいに決まっている。
各国首脳だってその方がより真剣に会議に参加できるにちがいないのだ。解散総選
挙がサミット前か後か、どちらが選挙にとって有利か不利か、ましてや、サミット
前にする理由が同情票をねらってのそれなどという次元では話にならない。
森内閣は国民の総意を問うための選挙管理という重責を担っていることを忘れて
もらっては困る。
2000/4/15
Tadashi HAYASE
今週の意見(163):
星野投手の技
先週土曜日午後マンション目の前の散髪屋さんに出かけた。ここの主人は熱狂的な阪
神フアン。椅子に座ったとたん野球の話になる。こっちは適当に相槌をうつだけだが、
前の日は、移籍の星野投手で7−1で中日に勝ったことを話題にしたら、ご主人いや、
喜ぶまいことか、星野がいかにすばらしい投球をやったかをとくとくと話したものだっ
た。
いやそうだと思う。それを見たわけではないが、こちらは長年パーリーグの西武フア
ン。星野にはなんどもあの軟投でやられて悔しい思いをした経験がある。200勝以上
の実績もある。店の親父、シーズン始まる前は、阪神が星野をオリックスからFAで獲
得したものの、 星野についてはあまりたいして期待できないという話をしていたはず
だ。私はそれに表面づら同調をしていたが、星野は野村監督の好みというか、野球の考
え方にもあった選手で、シーズンが始まれば、きっとそこそこの活躍はするだろうと思
っていたわけだ。
野球技術の専門的なことはいい。が、あの細い体でそれだけの実績を残してきたのは
なぜだろうと考える。150キロを超えるスピードボールを投げるわけでも、ストンと
落ちるフォークを投げるわけでもない。超スローボールと落差の大きいカーブが武器な
のである。それを投げておいて、せいぜい120キロ台のストレートで相手打者をしと
めるわけだ。それらの球種の組み合わせの妙なのである。その投球術とは。
ことは野球だけの話ではない。そのことはあらゆることに通用することだと思ってい
るわけである。仕事のこと、そして、我々の生き方のことなど。仕事ができるとか、で
きないなどという評価一つとっても、見方が非常に単純であることが多い。仕事ができ
るとは、単に何か一つ二つの技術が優れているとかいないかだけの問題ではないはずで
ある。それぞれの状況に応じていかにその組み合わせでことに対処し、問題解決に当た
るかの総合能力が問題なのである。
阪神ファンでもなんでもないが、星野投手には是非活躍し続けてもらいたいと願って
いる。
2000/4/22
Tadashi HAYASE
今週の意見(164):
屋島の風景
新緑の季節だ。同じ緑でも濃い緑、淡い緑、黄緑などさまざまな緑がまざった庭
の木々を見ているとほっとする。
今住んでいるマンションから、ここ讃岐の国の一つのシンボル屋島が見える。屋
島も緑の季節を迎えている。いつも見なれた風景だが、気になることが一つある。
山全体が木の緑に包まれているのだが、じっと目を凝らしてみていると頂上の左上
の方に何か木と違ったものが見える。
遠くからでも望遠鏡ならはっきり見えるし、近くへ近づくと肉眼でも見えるが、
なんとそれは鉄筋のホテルというか、旅館なのだ。誰がいつ、それを、そんなとこ
ろに建てたのか知らないが、全体の自然の風景を壊していることはなはだしいので
ある。しかも頂上に行ってみれがわかるが、この旅館もう客がこなくて、営業をや
め、廃屋になっているようだ。
どういう関係でそんなものがそんなところに建てられたのか知らない。が、日本
では都市といい、観光地といいそういうことが結構多い。外国では建物を建てる場
合、その周辺の風景環境にマッチした建物を建設することが要求されたり、
規制されることが多いと聞くが、規制国日本ではそういうことに関しては案外無神
経、規制もないことが多いようだ。
もう営業していない廃屋なら、そんなものさっさと撤去して風景の改善に努めた
らどうだ。私物で、カネが掛かりそれができないのななら、国とか県がやってもい
いはずだ。
日本各地名所旧跡にはそれぞれ豊かな自然とそれにまつわる歴史がある。その景
観を守り、歴史的遺産を守ることについてもっと関心を持ちたいものである。
2000/4/29
Tadashi HAYASE
ホームページへ